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【吃音】うまく話せないわたしが、人と話すときに考えていること

今年は暖冬だと言われていますが、なんだかんだ寒い日が続きますね。これでも冬はまだ序の口です。なんと恐ろしい。本当に暖冬なのでしょうか。

こんにちは。投稿はこれが2回目です。よろしくおねがいします。

きょうは吃音についてです。HSPよりも長く付き合っているのがこれです。自覚したのは小学校低学年のころですが、いま現在も続いている強めのコンプレックスです。気持ちが緩んでいたり、別のことに集中したりしていて言葉の準備が疎かになっていると、つっかえてしまうことが多いです。
この投稿を見つけてくださったあなたは、わたしと同じような悩みを抱えているか、周りにそういう方がいらっしゃるのだと思います。これから書いてくのはあくまでわたし個人のことではありますが、「こういうこと考えて会話をしてるんだ」とか「それわかるわー」とか話半分に読んでいただけたら嬉しいです。
うまく話せないなら、文章にしちゃえばいいんです。キーは押せば文字をきれいに出してくれるから。


とにかく苦手な文字を避ける

ほんとうにこれに始まり、これに終わります。出発点でありゴールです。
わたしは、話し出すときに「あ、これつっかかるな」「うまく言えないな」というのがわかります。ここでは、そうなることが多い文字を「苦手な文字」と表現しています。要は言葉の頭についていたら言いづらい文字と思っていただければだいたい合っています。カ行が苦手な人、タ行が苦手な人、濁音が苦手な人など、どの文字が苦手なのかは人それぞれ違っています。わたしはア行、イ段、エ段が苦手です。苦手が重なる「イ」と「エ」には毎回苦労しています。特にア行なんて、日常生活をスムーズに営んでいくうえで大切な言葉がやたらと揃っています。
・ありがとう
・いらっしゃいませ
・いただきます
・おはようございます
・おねがいします
・おつかれさまです
 etc.
さらに物事を丁寧に表現するときには、だいたい言葉の頭に「オ」をつけますね。ホワイ、ジャパニーズ、ピーポー。わたしもジャパニーズ・ピーポーのひとりですが。

では、苦手な文字を避けるために何をしているのか。できればその言葉は言いたくないけど、会話の流れからどうやったって避けられない局面は訪れます。そういうときに、私は頭の中で辞書を開くのです。その辞書の中から、言い換えできる言葉同義語類義語をものすごい勢いで探します。言いやすく、本来の意味を崩さず、言いたいことが伝わる言葉を選定してから相手に伝えるのです。たとえば、きょうだいや親戚から着なくなった服などをもらう「おさがり」がうまく言えそうになかったときに「使い古し」と言い換えるような感じです。
たまにちょうどいい言い換えが見つからず、会話の中の沈黙を怖がった結果、ズレた言葉を無理やり選んでしまい、微妙な顔をされることもあります。そういうときは、会話を終えてから心の中で「すみません」と謝っています。一人で脳内反省会もします。そしてちょっぴり落ちこみます。

避けられないパターン

前述のとおり、持てる語彙力をフル回転させて苦手な言葉を避けているわけですが、日常生活では絶対に避けられないパターンというものが存在します。それは何かというと、人の名前です。こればっかりは言い換えようがありません。友だちであれば呼び方を変えるなど対応の仕方がありますが、お仕事でかかわる人のお名前はどうしようもありません。わたしの苦手なア行からはじまるお名前の方(たとえば、アオヤギさん、ウエノさん、エトウさん、オオハシさんなどなど)とかかわるときには、必要以上に緊張してしまいます。いつもお名前をスムーズにお呼びできなくてすみません。

年齢が高くなればなるほど、うまく言えないことを笑う人は減っていきますが、いまでもたまーにそういう人に会うことがあります。そういうときはその恥ずかしさやら怒りやら悔しさやらを抱えたまま、その日を過ごしています。他人の価値観には干渉できないので、どうしようもありません。
ですが、こういう人はほんとうにごく少数です。わたしが高校を卒業してからは、片手で数えるほどしか出会っていません。わたしは会う人に恵まれているのかもしれませんね。ありがたいです。

人とどのようにして話すのか

さて、ここまでいろいろ書いてきましたが、けっきょくわたしが人と話すことに何を考えているでしょうか。
それは、うまく話せないことを隠すのではなく、苦手な文字を避けて言いやすい言葉に置き換えることでもなく、潔く開き直るのです。
わたしの吃音はおそらく治りませんし、他人の価値観は変えられません。そうなったら、もう開き直るしかないのです。うまく話せなくてもいいから、話をしたいと思う人とだけかかわりを持っていくのです。吃音はメンタルも大きくかかわってくるとわたしは思っています。リラックスできる場面ではそんなにどもらないし、緊張していたり苦手な人の前だったりすると高い頻度で言葉がつっかえます。そういうときにそれを笑う人と、無理をしてかかわる必要は一切ありません。開き直りましょう。「うまく話せないけど、だから何?」と言えるくらいの心の強さを持ちましょう。わたしもその境地に向かって日々悪戦苦闘しています。なかなかそういう強いメンタルを持つのは難しいことですけども。

うまく話せないことをコンプレックスにして、人との会話に苦手意識を持つ方も多いと思います。人に吃音を指摘される嫌悪感や恥ずかしさ、悔しさを痛いほど感じてきた方も多いと思います。もちろん、わたしもそのひとりです。悔しくて恥ずかしい思いを何度もしてきました。
吃音のミュージシャンとして有名なScatman Johnは、吃音を「後ろをついてくる大きな象」にたとえて「そんな大きなものを隠そうと躍起になっていたなんておかしな話だ」と語っています。わたしも学生のころは言葉がつっかえることを気にして、スポーツだったり、勉強だったり、それこそ音楽だったり、言葉を使わない方法で誰かに認められようと躍起になっていました。わたしの後ろをついてくる大きな象を、隠せるはずもないのに、どうにかして隠そうとしていたのです。けっきょく、隠せなかったうえに、くたびれてしまったわたしは、一時期人とかかわることがとんでもなく億劫になってしまいました。
ですが最近になって、信頼できる人の前では勇気を出して開き直って話をしてみると、人は思っているよりもいろんなことへの理解があるし、優しいし人の話を聞いてくれる、ということがわかってきました。相変わらず人との会話に身構えているわたしですが、それがわかってからは、会話へのハードルが低くなった気がしています。
吃音をどうにかしようとするのではなく、自分の心の持ちようを変えていくことが、わたしにとってはコンプレックス軽減の第一歩だと思っています。やがて会話をするときに緊張しなくなれば、言葉もうまく出てくるかもしれませんね。



noteのなかで触れたScatman Johnを置きつつ、今回はこのへんで。
おつかれさまでした。