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ひとり旅をするおたく~伊豆大島一周編~#6

二日目

(十二)
 その晩、カプセル内が暑かったのでパンツ一丁で寝ていたら、ホテルの人に「ここで裸で寝るのは神様に失礼だから死刑にあたる罪です」と恐ろしい宣告を受けた。当たり前だが夢だった。

 そんな夢から覚めると時刻は既に九時をまわっている。今日の十五時の船便で帰るから九時にはホテルを出てまた少し観光するつもりだったのに。

 今日の目標は島の名物のべっこう丼を食べること、と決めていた。昨日の夜食べ損ねてしまったからだ。その土地の名産品を食べないのは旅の醍醐味をスルーしていると同じだ。(余談だがローカル路線バス乗り継ぎの旅の蛭子さんは、その土地の名物料理を総無視し好物のオムライスやらカレーを頼むことで有名である)

 目星をつけていた有名店の寿司屋が開店するまで結構時間があるので、またサイクリングをして時間を潰すつもりだ。昨日は行かなかった島の北部の海岸沿いのサイクリングコース(通称サンセットパームライン)を走ってみようと思っていた。海沿いの道に伸びる赤いサイクリングロードは観光サイトを見た時から気になっていた。今日みたいに雲ひとつない晴れにあそこを走ったらとても気持ちがいいに違いない。牧場などもあるみたいなので是非とも寄ってみたい。

 しかしながら十五時の船の出航に間に合うように町に帰ってきて、べっこう丼を食べておみやげを買うというミッションをこなさなければならない。

「自転車でサンセットパームラインを走ってこようと思うんですがお昼頃に戻ってこられますか?船は十五時頃なんです」
 チェックアウト時に宿のおばさんに聞いてみるとおばさんは朗らかに笑った。

「大丈夫大丈夫、そんな長い道じゃないから。もしどうしても間に合わなくなりそうだったら電話くれれば迎えに行きますよ~」

 なんとまあ優しいではないか。チェックアウト後の客(それも予約日を間違えた)なんてホテルにとっては他人であると思っていたので感動した。これも島の人と人の距離が近いからなんだろうななんて思ったりした。

 昨日と同じレンタルサイクルのお店に行くと、昨日のおばさんとも青年とも違う帽子を被ったおじさんが店番をしていた。旦那さんだろうか。本当に家族経営なんだろうな~というのが窺えて面白い。迷った末に昨日のバイクとは違う種類のママチャリを借りた。ギアも設定できないようなただのママチャリだ。マウンテンバイクよりも割安で、半日レンタルだとかなり安く借りられる。昨日のような地獄の登りはないだろうと見越しての選択だった。

 満を持して町を抜けて、海辺のサンセットパームラインを走り出した。やはり乗りなれたママチャリは体に馴染んで走りやすい。島の一周を目的とした昨日とはまったく異なるのんびりとした楽な気持ちで自転車を漕いでいく。

 サイクリングの国際大会のコースとしても使われるこの海辺の道は、よくある川沿いの車は通れないような狭いランニングコースのイメージだ。左側には常に海が望めて今日のような晴天には非常に気持ちがいい。気分がいいから大声で歌いながら走っていると稀にランニングしている人にすれ違ったりして少々気まずい。でも基本的に人はあまり見かけなかった。

 道は想像していた通り多少の坂はあれどそこまで険しくなく、ママチャリでも充分走れるコースだった。全長五キロほどの短い(短い?)(昨日に比べれば)コースだ。
 景色を楽しんでいるあっという間に最北端の野田浜にたどり着いた。広場には私以外にも数人、ここまでやってきたチャリダーらしき人が休んでいる。

 開けた広場の中央には最北端らしく何かの記念らしきのベルのモニュメントがある。ベルを鳴らしてみようと近づいたが、説明文を見ると「信頼の輪」がテーマらしきパートナーの二人が永遠を誓う鐘だとか何とかが書かれているではないか。こんなみすぼらしい独りぼっちの成人女が一人でリンゴンしている姿はあまりにも惨めだ。私は何も見なかったことにしてそっとモニュメントから離れた。

 海を眺めるとダイビングスーツを着た数名が眼下の岩場でなにやら先生らしき人に講習を受けている姿があった。しばらく説明を受けた後、順番に海へ飛び込んでいく。そういや大島はダイビングスポットとしても有名なんだっけ。普段見ている東京湾はあんなに生活排水やらなにやらで不透明なのに、数十キロ離れた同じ東京ではあんなに青くて透き通っているのが不思議だ。

身体を休めながら穏やかな波と戯れるダイバー達をしばらく眺めていると、自分がかなり遠くまで来てしまったように錯覚してしまう。しかしながら実際はここは日本を出てもいないし、ましてや「東京都」の一部なのだ。私はこの旅で「東京都」の新たな顔を沢山見つけられた気がする。


(十三)
 海沿いから少し道を逸れて島の内側のほうへ入ってゆく。相変わらず人の影はまったく見かけなかった。

暫く森の中の道を進んでいくと、なんともまあ農牧的な、牧歌的な匂いが漂ってきた。端的に言うと「糞臭い」。臭いに導かれて進んでいくと段々と道が開けてそれらしい柵が道の両側に現れた。

 牛だ。柵の中に牛が放たれている。それも結構な数がいるではないか。私は自転車を降りて牛を凝視した。こんなに近くで牛を見たのはたぶん初めてだ。よぉ~く見ると小さな虫が牛の体の一部に集結して群がっている。なかなか気持ち悪い。最早寄生されていると言ってもいい。牛はまったくそれらを気にすることなく(気付くことなく?)自由に昼寝をしている。彼らは完全に共存していた。

突如現れる農場

 そんな牛達が大島名物の大島牛乳(パッケージが可愛い)の生産者である。昨日食べた大島牛乳アイスもその派生商品だ。

牛達の間をすり抜けて進んでいくと、バンガローのような木造の建物が現れた。久々に人の影らしき姿も見える。数人が外のテーブル席に座って何やらアイスらしきものを食べている。あれが観光サイトにも載っていた人気の「大島牛乳のソフトクリーム」だ。牧場のソフトクリームはとても美味しいと相場が決まっている。食べない理由はない。

 自転車を降りてその木造の建物、ぷらっとファームに立ち寄った。
 中は地元の野菜や、お土産品などが並んでいて、空港が近いこともあり飛行機に乗る前の家族連れの観光客でにぎわっていた。
 名物の椿に関するスキンケア商品もそこそこ置いてあり、いつも馬油を顔に塗りたくっている祖母の為に椿油をお土産に買った。顔に塗りたくるなら馬の油よりも花の油のほうが香りも良さそうだ。

アイスには椿味や島の塩味、明日葉味(明日葉味?)など色々気になる種類があったが、やはり一番人気で王道の「大島牛乳ソフト」を頼んだ。
 店内の席は満席ということで外のテーブルを案内される。先ほど野田浜で見かけたチャリダーも向かいのテーブルに腰かけてソフトクリームを食べていた。専用スーツを着た完全武装の大の男が数人でソフトクリームを頬ぼっている姿はなかなかシュールな光景だ。

さあ念願の牧場のアイスの味とご対面である。まずは一口。牛乳の自然の甘味と島の恵み(?)が口いっぱいに広がる。ジャージー牛乳アイスバーを十倍凝縮したような濃厚さだ。う~ん美味しい。
 勿論味もとても美味しいのだが、この牧場に囲まれたロケーションが最高である。空気までエッセンスとなって楽しめる。ゴオオと地鳴りのような音がして上空を見上げてみれば、すぐそこの空港から旅立ってゆく小型の飛行機が青空の中を進んでいく。あれはきっと私の知っている本島の空港へ行くんだろう。

甘味も取ったところだし一息コーヒーでも飲みたいところだが、時間を見るともうあまりゆっくりしている時間はなかった。この後再び元町まで戻って「べっこう丼」を食べるという使命が残っている。(ついでに家族と職場へのお土産も)

 美味しい乳を提供してくれた牛たちに感謝を告げて、再び私は走りだした。やってきた着た時と同じだけの距離を走って、だんだん日常へと戻る準備をする。

#7へ続く

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