部分最適を追求した結果、全体最適が損なわれる典型
ちょっと今日は時事ネタにて失礼します。
■少数者への配慮
先日、こんな記事を見つけました。
考え方自体は分かります。
一昔前は「ランドセルは男の子は黒、女の子は赤」みたいな考え方が主流ですが、今となっては多種多様な色彩・デザインのものが珍しくなくなっています。
また部活動や通学・通勤のバッグ等も肩掛けのものから、徐々にリュックタイプのものにシフトしているのも売り場や自身の周りをみても明らかだと感じています。
デザインというのは時流に乗って変遷するものだし、色々な配慮や改良等がそれ自体何ら問題ではありません。
ただ重要なのは「それによってデメリットを享受する人が存在するかどうか」という観点です。
上述のランドセルの例で言えば、ランドセルの色が何色であろうが、ぶっちゃけ本人以外には何の影響もありません。
ただ今回の明石市のトイレの場合、不利益を被る人が発生する恐れがあることが少々気になっています。
■間違えようと思っても間違えられない仕組み、が大事
仕事における”改善”の主目的がコレになります。
というか、これだけと言っても過言じゃないくらいです。
「注意する」「確認する」「ちゃんとする」という
アクションを改善案で提示する場合はママありますが、
コレは改善でも何でもありません。
「人はどうしても間違えてしまう生き物だ」
という前提を敷いた上で、改善案というのは立案しなければいけません。
今回の明石市のトイレでいえば、想定できる最たるエラー・トラブルは
「間違って男性側・女性側の方に入ってしまった」
というものでしょう。
もちろん故意であれば大問題ですが、
「”過失”の発生可能性が上がるのではないか?」
というのは懸念されます。
比較的新しいショッピングモールなんかでも
結構パッと見でわかりにくくて、
よくよく確認しないと間違えかねないところはママあります。
私は視力いい方ですが、それでもちょっと怖いくらいです。
「よく見ればわかるだろう!」
という主張をされる方は、急いで作業しなくても済むような人生を歩まれているんですかね?
例えば、製造現場なんかでは資材の確認をしながら取り扱っています。
現場担当者は「管理番号」や「資材名称」なんかをもちろん確認しながら取り扱っています。
それでもミスは起きる時には起きます。
だからこそ「ラベルの色を変える」「容器を変える」「管理番号をわかりやすくする」なんかのパッと見でも気づけるチェックポイントを設定するのです。
まぁもちろん、頭の良い行政の方々が散々考えて導き出した結論でしょうから、も・ち・ろ・ん、その程度のことは織り込み済みなのでしょう!
第三者としてどういう展開になるのか、楽しみに傍観しておきます。
■デメリットが無いなら、ドンドンやればよろしい
上述の通り、デメリットを享受する人が少ないのであれば、推進すること自体は何ら問題ありません。
・車いす用のスロープが設置されて困ることありますか?
・電車のホームドアが設置されて困ることありますか?
・新一万円札のデザインが刷新されて困ることありますか?
もちろん費用的な面では課題があるでしょうし、
それを税金でカバーするみたいな方法論であれば
広く浅く負担しなければいけないので、安直に
「まぁ、やりたいならやれば?」
とはならないでしょう。
ただ、考え方自体に反発する人は少なくて済みます。
いちゃもんつけたい人はいつも一定数いますからね。
新一万円札については、私も初めて見たときは
「なんか海外のお札みたいだなぁ。ちょっとダサいかも」
と思いました。
しかしながら以下のような記事を見た時に、自身の思慮の浅さを恥じるとともにデザイナーの凄さを痛感しました。
弱視の方でもわかりやすい、というのは正に”盲点”でした。
これこそ「特に困るわけではないのでドンドンやればいい」の典型だと思います。
■部分最適と全体最適
ポリティカルコレクトネスが叫ばれて久しい中、この”少数者へ配慮することへの部分最適至上主義”の流れは止まらないでしょう。
別に否定しているわけではありません。
結局は”メリットとデメリットを比較して決定する”という点は変わらないからです。
(まぁメリットの評価方法に疑義はありますが。。。)
私にとっては銭湯の暖簾の男湯・女湯くらいバキっと分かりやすい方がありがたいんですけどね。。。
これからどういう風に世の中が変化していくのか、楽しみですねぇ。。。
おにぎり紳士🍙
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