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部分最適と全体最適

仕事などで、どうするのがいいか、という話をしていて話全然合わないな!というとき、相手が部分最適な考え方で自分が全体最適考えている、ということがよくある。
まったくかみ合わない。

どっちがいいかとかではなくて、どのくらいのスパンで考えていて、今優先したいのはどっちなのかとか、どっちが好みかだと思うんだけど、私の中ではほんとに超短期間での何かを考えるのではない以外、「全体を見たうえでの部分」として考えるのが好き。

なんていうか、その場のベストであっても、その次、次の次、次の次の次...くらいを見たときにいまいちだったり続かなかったりするよりも、このときはベターなレベルであっても、ずっとよい感じで続けられるようにもっていけるというほうが、あとあとになってさかのぼって見てみたら、やっぱあのときそれがベストだったよね、みたいな方が健全で安心って感じ。

全体を考えているようで、結局部分にとってもよかったよね、ってなると思っていて、なので、みんなのためにでなく、自分のためにみんなのことを考えている気分で全体を見ている。

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全体、っていうのは、たとえば自分のチームや部署だけでなく関連する全体であったり、今回だけでなく先々もであったり。
それは結局どっちも同じことだとも思っている。

意見が違ってお互いメリットデメリット違うようなとき、自分の意見とおした方がそのときは得するけど、押し通すようにするよりも、ちょっとひいて折衷案とか考えたほうが、その後の関係よく長くいい感じで仕事ができたりする。お互い譲り合うとか、以前折れてくれたから今度はって空気つくるとかの方が、いちいち闘ったりするよりずっと楽だしうまくいく。

都度都度議論しては自分の有利を勝ち取るとかもできなくはないだろうけど、一方的に有利なの勝ち取るのって、どこかに負荷かかるの無視することになるし、それは敵意や反発や無気力うむし、あとあとうまくいかない要素をつくってしまう。それは結局あとで効率悪くなる。
もちろん、自分の有利な方にする場合でも、相手にも(または相手の方により)有利なように見せて提案して喜んでいただきつつ自分の思い通りに、っていう手もあるけど、それは毎回そこまで都合よくまとまるパターンとは限らないから。

なんなら、折衷案とかでなくても、小さい損をさくさく引き受けておいて、いつも折れてくれたりめんどう引き受けてくれてるって認識つくっておいたりして、ここぞというときには絶対自分に有利にもっていけるって方が断然得じゃないかと思っている。

損得ってだけでなくて、自分のことだけでなくてみんなのこと考えている人だ、自分の得だけでなくてどうやったら全体的によくなるか考えている人だと思ってもらえると(みんなとか全体とまでいかなくても、こっちのことも考えてくれたなって思ってもらえると)、安心してもらえるし。
信頼感ってまでの強さでなくても、連帯感とか出てきて、安心してちょっと話してもらえたり事前に情報とか相談とかされたりするし、そしたらなんとなく自分もみんなも(相手も)うまくいく感じにつくっていけるし。
信頼されてたら、意見とおりやすくなったりまとめ役になれたりして、結局自分のいやなほうにはしないですむようにできたりするし。(って結局損得に戻ってしまったけど...)

いい感じでうまく続けていくのに、誰かがすごく嬉しいよりもみんながまぁまぁよしとして不満とか覚えにくい方がスムーズで安定すると思うし、そのために目の前の損得でなく先々までいい感じでやるにはどうするかっていう方が、結局自分もみんなも嬉しいと思うんだな。

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それが私の基本スタンスで、そういう風に一緒に仕事していける人と仕事したいなと思う。

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