子供たち(不登校長男編 その3)

その2はこちらから↓↓↓

家庭学習に踏み切った当初、長男はいつも布団に横になっていた。
買物に誘うけど、疲れたから行きたくないという。
一人にしておくのがいいのかわからず、当時の買い物は生協とネットスーパーをフル活用していた。
私は努めて普通に家事と内職をし、でも長男の様子を監視する日々が続いた。

暫くすると、長男が起きている時間が増え一緒に買い物に出かけられるようになっていった。当時の日記にこう書いてあった。

※※※※※※※ 当時の日記より ※※※※※※※※※


今日、長男と一緒に買い物に行った。何日ぶりの外出だろう。
どうしていこうと思ったの?と聞いたら
心の中の電池が満タンになって体が動くような感じになったから
と言っていた。なんにしても、満タンになったなら良かった。
今まで電池切れしていたのね

ごめんね、長男
気づかなかったよ

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

当時の長男、小6 12歳
心の電池が切れるってどれ程疲れていたのかと。
どこかで学校に行けないなんてという想いや
普通であってほしいという願いは持っていて
休みがちだった学校へ
今日は行こうね!
と無理やり行かせていた事に気づいたとき・・・
長男が生きていてくれて本当に良かったと思いました。

不登校の子供の学校の資料を集めたものの、学校不信・教師への不信の塊になっていた私は、いい事だけ書いているのではという想いが消えなかったが、話だけは聞いてみようと学校へ連絡をして一人で見学に行ってきた。

ここの生徒は不登校をした子がとても多いです

説明の先生の最初の学校紹介がそれだった。
生徒をみると、確かに大人しそうな子もいるけれど
どの子も生き生きとしていて、どの子が不登校だったのか見分けがつかない程。

不登校をした子は、自己評価が低くなってしまっている子が多いです。
なぜ、自分はみんなと同じようにできないのかと、自分を責めて生きています。
ここでは、失った誇りと自信を取り戻し、人との距離感や関り方、辛い時の解決の方法を学び、普通の世界で普通っぽく見えるように生きていけるようにすると思ってください。


という説明を受けた。


その後、学校説明会や体験授業を受け
ここに行きたいと意思表示した長男。

勉強の遅れが出ないように、家庭教師の日を増やし
たまにお散歩したり、お使いに行けるようにまでなった。


時は流れ、長男の受験が終わり、卒業を控えた頃

今さらのように学校から
卒業式位はみんなと一緒に出て
楽しい思い出を作って卒業してはどうか?

と学校から連絡が来た。

私は久しぶりに血圧が上がり
どの口が言っているんだ!と思った
(たぶん、電話で言った)



近所の仲良し君が
卒業式は一緒に出ようよと誘ってくれたので
練習に出る事にした。

このまま静かに卒業とならないのが
この学校で・・・



卒業式の練習の最中、貧血で倒れた長男
長時間立っているという事と
久しぶりの学校で具合が悪くなり倒れた
と連絡をうけ、学校へ慌てて迎えに行った。

ニヤニヤしながら担任は

びっくりしましたよー
男子の癖に倒れるなんて!あははは
何の冗談かと思いましたー

そしたら、顔色真っ青で
もう少しだから頑張れって
私は言ったのですが
保健室送りになってしまったので
連絡しましたー



冗談で倒れる程
うちの息子は演技が上手じゃござませんので!!


この時はもう、頭にくるというよりも頭が真っ白で
ニヤニヤ担任に掴みかかっていた


居合わせた教頭は、ニヤニヤを怒鳴りつけ
保健室の先生と、騒ぎに気付いた若い男性教師に止められるという情けない事をしてしまった。


卒業証書だけくれたら
もう卒業式も出ない


という長男に、何度も謝罪し出席するように説得をした教頭。


何のために、こんな状況にまでなって卒業式に出させたいのですか?
貴方たちの面子だけで、この子にこんな思いをさせないでください!

と何度も伝えたが、教頭は

辛かったからこそ、その辛かった事が終わったと
区切りをつけて進んでほしいのです
私は長男くんに何もしてあげる事ができませんでした。
教師生活の中で、これほどの後悔と無念を残したことはありません。
私のためではなく、長男君が新しい生活に進むために
区切りをつけて欲しいのです
二度と思い出したくないと思ってくれていいのです
今日を限りに思い出さない、振り返らないという
決別の日にするためにも
区切りをつけましょう


この言葉に丸め込まれた感じになったが
長男は納得をし、その後卒業までは
時間の許す限り教頭が長男の側で過ごしてくれた。


卒業式当日

緊張した面持ちで
卒業証書を受け取る事ができた。

教室では、卒業式を終えてみんなで写真を撮ったり
卒業アルバムの余白のページにメッセージを書き合ったり
していた。長男のアルバムにも色々書かれていたし、一緒に写真も数枚取って居た。


名残惜しく、まだ残っている子が多かったが
長男は誰よりも早く、校門を後にして帰宅。


帰宅後、アルバムを目につかない所に仕舞うと
言っていたので、ちょっと見せてと
見せてもらったところ
仲の良かった友達が、一緒の中学に行けなくて
寂しいというメッセージや
離れても友達だと書いてくれていた中に
驚きの人からメッセージがあった


一つはニヤニヤ担任

これは血圧が上がるのでカット



もう一つは超意地悪女子軍団(その2に登場)の一人

どうやら、この子は
長男の事が好きだったらしい
卒業しても仲良くしてね♡
と書いてある

は?ふざけんな!

と、アルバムを閉じ、クローゼットの奥深くへ仕舞い
その後見ていない。





長男、中学校へ進学


学校の環境が長男にはとてもあっていた事
先生が不登校の子や発達障害のこの特性を
とても良く理解し、配慮をしてくれる事
良いところを伸ばし、自信をつけさせるというのを繰り返し

あの不登校長男
生徒会会長をやるまでに成長

小学校はいい思い出が全くないけど
中学校楽しいよ!


と元気な笑顔で電車通学をしていました。

中学校は時々疲れたといって休む事はあっても
連続して休む事はなくなりました。


子供は出会う大人や
友達次第で
変ってしまう事がある

特に先生

長男は3年間、とても面倒見のいい担任が当たり
かといって手をかけすぎる訳ではなく
手は離しても目は離さない様にしているのが
わかる接し方をしてくれていた。



高校進学を決めなくてはいけない時期


いくつか学校見学に出かけ、商業科か、工業科高校進学の方向で検討していたのだが、今一つ決め手がなく
もう一つ気になっていた県外の学校へ体験入学をしにいった。


県外に出るとか、寮生活に難色を示していたが
体験入寮が終り迎えに行くと

僕、ここの学校にしたい
そして、お坊さんになる

と、言い出した。


お坊さん???

確かに希望コースはお坊さんになるためのコースを書いた。
でも
家は寺でも何でもない、普通の家庭。
長男、もう他の選択肢はないと
自分の進む道を信じて進もうとしている。

15歳で親元を離れ、お坊さんになりに行くって
どういう事よ?

という気持ちがグルグルするも、一切反対はしないで
受験準備をし、入学準備をした。


寮に入るので、必要なものを一つ一つ買いそろえるために
買い物に二人で出かける事が増えたある日
ご飯を食べながら

ママさ、僕の事心配しているでしょう?
大丈夫だよ
不安はあるけど、どうしても行きたいんだよ
末っ子君いるし、お手伝いできなくなるのが心配だけど
僕のわがままを許してね。

僕ね、辛い思いをした人のお役に立てる
お坊さんになりたいんだよ

頑張るからね



不覚にも、ガストで大号泣の私






2018年4月高校入学

5月に得度を受け
現在はお坊さんの勉強をしながら
高校2年生をしている。



学校を休む事なく
普通に生活しており
普通の子と全く変わらない
生活を送っている。

大学進学を希望しており
もっと未来を思い描きながら
毎日を暮らしている。

暗黒の時代を知る人は
長男が立ち直り
学生生活を送っている今を奇跡だと言っている。



奇跡でも何でもいい

不登校を乗り越え
今は元気に暮らしている子が居るんだよという事が
不登校に悩む人に届くといいなと思っています。















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