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小説「雪国」の冒頭“国境”の読み方は「こっきょう」?「くにざかい」?

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

小説「雪国」(川端康成)の冒頭

 日本には冬に一定量以上の降雪がある地域があります。これらの地域を「豪雪地帯」と呼びますが、「雪国」とも言います。

 小説「雪国」の主な舞台は、新潟県南魚沼郡の越後湯沢です。越後湯沢は、冬期に周辺地域との交通が断たれて孤立することもあるほどの多雪地域ですが、その厳しい暮らしの中で独自の伝統や文化を育んできました。

 小説の冒頭で描かれる「国境」は、冬に閉ざされる雪深い地域と他の地域との自然な境界を表すだけでなく、この2つの地域の文化や人々の価値観の違いをも象徴する重要な役割を果たしています。

 「国境」を「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むかについていくつかの説があります。また、どちらに読むかは、読み手が感じるままに読むという考え方もあり、未だに議論が続いています。

古くは地域を国(くに)と呼んでいたから「くにざかい」という読みがふさわしいとする説

 日本は現在47都道府県からなりますが、これは明治時代(廃藩置県)にできたもので、それ以前は令制国(りょうせいこく)という地方行政区分が用いられていました。令制国時代では、日本全土を五畿七道(ごきしちどう)という地方行政区画に分け、それぞれに複数の国(くに)がありました。

 令制国時代では、現在の群馬県全域は上野国(こうずけのくに)、別名上州(じょうしゅう)と呼ばれていました。また、現在の新潟県本土全域は越後国(えちごのくに)と呼ばれていました。これらの令制国の名前は現在でも、歴史小説や映画、大河ドラマなどに登場することがあり、地域の名称や呼び方にもその名残が見られます。例えば、故郷を「国」と呼んだり「国に帰る」と言ったりすることがあります。

 小説「雪国」の主な舞台は新潟県南魚沼郡の越後湯沢で、「長いトンネル」はJR上越線にある清水トンネルがモデルとなっています。この長いトンネルは、群馬県側から三国山脈(上越国境)を越えて新潟県に入ります。清水トンネルは、1931年(昭和6年)に開通した当時、日本一長いトンネルでした。

 「国境の長いトンネルを抜けると」は、主人公の島村が汽車で群馬県(旧上野国)から新潟県(旧越後国)へ向かう途中、清水トンネルを通過したことを表しています。この清水トンネルが上野国(こうずけのくに)と越後国(えちごのくに)の境に位置することから、「国境」は「くにざかい」という読みがふさわしいという説があります。

上越国境を「じょうえつこっきょう」と呼ぶから「こっきょう」という読みがふさわしいとする説

 群馬県(旧上野国)と新潟県(旧越後国)の間にある三国山脈は、上越国境(じょうえつこっきょう)とも呼ばれ、現在の群馬県と新潟県の県境にほぼ一致しています。かつては、三国峠や清水峠などの登山道が群馬県と新潟県の境にある上越国境を越える手段として利用されていましたが、どちらも標高が高く急峻で冬の豪雪や雪崩が多いため、新潟と関東の往来は非常に不便でした。1931年(昭和6年)に、JR上越線の清水トンネルが開通したことにより、新潟地区と首都圏の交通事情が飛躍的に改善されました。

 小説「雪国」の冒頭で登場する「長いトンネル」は、清水トンネルがモデルです。清水トンネルは上越国境を越えるため、「国境」は「こっきょう」という読みがふさわしいという説があります。

 国境(こっきょう)越えと呼ばれる場所は他にも、上信国境(群馬県と長野県の県境にある山岳地帯)などがあります。

「こっきょう」(音読み)より「くにざかい」(訓読み)という読みがふさわしいとする説

 「音読み」とは、中国から日本に伝わった漢字を中国語風に読む方法のことです。当時、耳で聴きとったままの発音が「音読み」として伝わり現代に残っています。

 一方「訓読み」とは、日本語固有の言葉や概念を表すために、漢字に日本語の意味を当てて読む方法のことです。漢字が表わす意味や概念を日本語で表現するものが「訓読み」です。「訓」はそのような意味や概念を表す言葉のことです。

 「国境」という言葉には、音読みの「こっきょう」と訓読みの「くにざかい」という二つの読み方があります。小説「雪国」では、「国境」という言葉は、島村が訪れる雪深い地域とそれ以外の地域との自然的な境界だけでなく、この2つの地域の文化や人々の価値観の違いをも象徴する重要な役割を果たしています。 「くにざかい」という訓読みにすることで、その違いや象徴性を強調する効果があるという説があります。

 音読みと訓読みでは印象が変わるものがあります。以下はその例です。
●「工場」 音「コウ・ジョウ」 訓「コウ・ば」(場だけ訓読み)
 「コウ・ジョウ」は、大規模な自動車工場などをイメージします。
 「コウ・ば」は、小規模な手作業や農作業をする場所をイメージします。
●「草原」 音「ソウ・ゲン」 訓「くさ・はら」
 「ソウ・ゲン」は、草が茂っているとても広い場所をイメージします。
 「くさ・はら」は、草が茂っている比較的狭い場所をイメージします。
●「人気のない場所」 音「ヒト・ケ」 訓「にん・き」
 「ヒト・ケ」は、裏路地の公園など人がいない場所をイメージします。
 「にん・き」は、注目度が少ない遊園地や公園などをイメージします。
このように漢字表記は同じでも、音読みと訓読みでは印象が違ってくる言葉は多くあります。


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