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彼女は、世界を広げたいと言った

「あなたには、世界がどう見えているの?」


少しずつ温かくなってきたということもあり、彼女と遊園地に遊びに来た。

休日の遊園地は、家族連れやカップルで賑わっている。

普段は遊園地になんて興味のなさそうな彼女も、某世界的に有名はキャラクターの被り物をしてジュースを飲んでいる。

相変わらず無表情ではあるが、どこか楽しそうでもある。

朝から歩いたり並んだりして疲れ果てた身体を休めるため、二人でベンチに座っていると、彼女が急に冒頭の質問を投げかけてきた。


「いや、どう見えていると言いましても、、、」

私は答えに窮した。


「はぁ、、、あなたみたいな人がいるから、日本とアメリカの差はどんどん開くのよ。えげつない低能ね。」


いや、酷い言われようだし、それは昨年のM-1優勝コンビのネタのセリフだろう。
実はお笑いも好きなのか。知らないところでYouTubeでも観ているのか。


「世界はね、広いのよ。
物理的にもそうだし、それをどう知覚して、どう捉えるかで言ったら、無限の可能性があるわ。

例えばこの休日の遊園地だって、幸せそうな家族もいれば、別れ話につながるカップルもいる。

あるいは、別の見方をすれば、そもそも遊園地なんてものがあって、何の心配もなく遊べるだけで幸せという考えもある。
世界、あるいは日本にだって、遊園地に遊びに行けない家庭なんて星の数ほどあるわ。

さらに言えば、遊園地を資本主義の権化と捉える人もいるし、夢を売る場所と捉える人もいる。

同じ遊園地という事象に対して、捉え方と印象は異なる。
その事実を知っているかどうか。
そして、そのうえで自分はどう捉えるかによって、物事への接し方は変わる。

あるいは、それこそが多様性を受け入れるということなのかもしれないわね。」


彼女は遠くを見ながら続けた。


「私はね、世界を広げたいのよ。

自分以外の人が、物事をどう捉えているのかを知りたい。

そうしないと、自分の狭い世界の中で生き続けることになるから。

そのためには、自分の考えと相手の考えを知るために、対話をする必要があると思うの。

私はこう思う。あなたはどう思う?
を、相手への批判や判断抜きで行うこと。

それができれば、お互いのことをもっと良く理解できて、少しでも相互理解につながるんじゃないかと思うの。

そしてそれこそが、自分という狭い世界を広げるために必要な行動なんじゃないかなと思うの。」


なんとなく、言わんとすることは分かる。

自分の正義と他人の正義。
どちらも正しいからぶつかり合う。

それを否定するのでも、過剰に肯定するのでもなく、受け入れたうえで一緒に乗り越えられたら、世界はもっと平和になるのかもしれない。


彼女には、世界はどう見えているのだろうか。

そして私は、その姿を、一緒に見ることはできるのだろうか。



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