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≪特集≫カール・ホグセット氏を偲んで(4)通訳からのメッセージ

Tokyo Cantatでのホグセット氏の英語通訳と来日時のアテンドを長年担当されてきた通訳の安保洋子さんから、メッセージをお寄せいただきました。


カール・ホグセット氏 一周忌に寄せて

安保洋子(英語通訳)

ホグセット氏との出会い

 カールと最初に出会ったのは、1995年の春だったと記憶しています。
 前年に栗山先生とコーロ・カロスのスペイン・トロサ国際合唱コンクール参加に同行していた私は、その夜、カロスの川口リリアホールでの演奏会にご招待をいただいていました。当時、私はノルウェーサーモンのプロモーションでちょくちょく大使館から仕事をいただいていて、ちょうど同じ日にノルウェー大使館公邸で打ち上げの食事会があり、大急ぎで広尾から川口まで車を飛ばし、最終ステージにギリギリ間に合ったことを覚えています。
 この演奏会はホグセット氏の合唱団であるGREX VOCALISとの合同演奏会で、リレハンメル五輪と長野五輪の橋渡しの文化交流の一環で来日したGREXの受け入れを栗山先生が引き受けていたと聞いています。演奏会の後にホール内で打ち上げがあり、その時に私は初めてホグセット氏に会い、お話をさせていただいたのですが、打ち上げの終わりにホグセット氏から一言ご挨拶を、という流れになった時に、何故か私が引きずられていき、スピーチの通訳をすることになったのです。
 1994年トロサでグランプリを受賞したカロスは、その後、翌年のイタリア・アレッツォで開催されたヨーロピアングランプリ合唱コンクールに出場し、そこでもグランプリを受賞するのですが、その時の審査員の一人がホグセット氏でした。コンクールが終わった後に教会前広場で再会を祝い、一緒にグランプリ受賞の祝杯を挙げ、素晴らしい街並みの響きの中で一緒に歌を歌いました。

「ミスター・ホグセット」から「カール」へ

 そして第1回Tokyo Cantatに、栗山先生がホグセット氏を招聘したのが1996年。母国語のノルウェー語の他に英語・ドイツ語も堪能なホグセット氏の通訳は、当初はドイツ語の横尾佳子先生がご担当でした。私は自宅が会場に近かったこともあり、興味があって講習会も聴講させてもらいました。
 翌年のCantatにスイスのイェルク・エーヴァルト・デーラー氏が招聘され、佳子先生はデーラー氏の通訳を務められることになったため、白羽の矢があたってホグセット氏の英語通訳を私が務めることになりました。その当時、私は通訳として主にエンターテインメント業界の仕事をしていましたが、子供の頃にピアノやビオラを習っていた以外は音楽に関して全くの素人。こんな私で務まるのかと不安はありつつも、ホグセット氏の発声指導がとても分りやすいことにも助けられ、また通訳する時にも出来るだけ音楽用語に頼らない平易な言葉で訳出することを心掛け、また当時英国に留学されていた片山みゆき先生にも色々と訳語についてご相談させていただきながら、なんとか1回目を乗り切りました。
 その年の夏にはグランプリ受賞団体のみが招待される、ヴェゾン・ラ・ロメーヌ合唱祭(フランス)が開催されました。カロスとともにGREXが招待されていて、南仏の田舎の石と木で造られた小さな教会でGREXが演奏会をした際に、カロスは片道3時間以上かけて駆け付けました。演奏会後の教会の外で満天の星空の下、グリーグの『Ave Maris Stella』を皆で歌ったのは忘れられない思い出です。
 こうして翌年以降のCantatでもホグセット氏が来日する時には私が通訳を務めさせていただくことになり、又ほぼ毎年ヨーロッパのどこかで再会を繰り返す内に、「ミスター・ホグセット」ではなく、「カール」と呼ばせていただくようになっていきました。

Tokyo Cantat 2014

カールとの絆を深めた栗山先生のノルウェー客演

 大きなマイルストーンは、2005年4月の、栗山先生のオスロでのGREX VOCALIS客演指揮でした。約1年前に、カールから栗山先生へ提案があり、「演奏会のプログラムの半分を栗山先生が選曲した日本の曲で、GREXを振ってほしい。前半でカールが指揮するノルウェーの曲、後半が栗山先生指揮の日本の音楽。4月にオスロで演奏会、その後、訪日して同じプログラムでJAPAN TOURをしたい。」との内容でした。
 栗山先生は快諾され、「その提案の一部に洋子も通訳や翻訳で手伝ってほしい」との依頼で、私も歌詞の翻訳や発音のお手伝い、またオスロへも同行することになりました。この時のプログラムには、三善晃「嫁ぐ娘に」より 『5.かどで』、林光「原爆小景」より『 1.水ヲ下サイ』の他、カールが大好きな「赤とんぼ」も含まれ、大変意欲的な内容でした。
 オスロでの演奏会は大成功、その後初夏に札幌・松本・韮崎・東京の各地で日本公演が行われ、絆はさらに強くなりました。

「日本にも合唱指揮を学べる場を」~アジア初”合唱指揮コンクール”開催への尽力

 カールは、Cantatでの来日時に「音楽樹」幹事の先生方と交流を深める中で、サテライトセミナーで日本各地を廻り合唱関係者との懇親会で、また来日中に他の招聘講師とじっくりと膝を突き合わせて話す中で、当時の日本には素晴らしい歌い手、また合唱指揮者の卵が多くいるにも関わらず、体系的に合唱指揮を学べる場がない(音大に合唱指揮科がない)ことを憂うようになりました。
 2007年に初めて「音楽樹」の総会に招聘講師3人がゲストとして参加した後、ホグセット氏とエルヴィン・オルトナー氏はそれまで二人で温めていた「若い指揮者のための指揮コンクール」を栗山先生・藤井先生他幹事の先生方に発案しました。場所は錦糸町の中華料理店でしたが、万年筆で書かれたコンクールの構想が手渡され、その証書は今でも音楽樹事務所の金庫の中に保管されていると聞いています。
 そして2008年に「第1回 若い指揮者のための合唱指揮コンクール」が開催されてから、カールはほぼ毎回、審査員として若い日本の指揮者の成長をサポートしてきました。コンクールの優勝者にはオスロ音楽院での聴講や発声のプライベートレッスンを行い、また後年は合唱指揮セミナーへの推薦参加を後押しする等、多くの日本の若い合唱指揮者の育成のために助力してくれました。

Tokyo Cantat 2008 第1回若い指揮者のための合唱指揮コンクール

生徒たちが引き継ぐ、カールの魂

 昨年の第7回コンクールの後、まもなくカールが亡くなってしまったことは非常に残念ですが、コロナ禍のリモート審査という大変な仕事が、おそらく彼の最後の公式なお仕事であったことは、カールと日本の合唱との深い繋がりを感じます。
 今年、2022年のTokyo Cantatは昨年に引き続き、コロナの影響で海外からの招聘講師の来日は断念せざるを得ませんでしたが、私は5月1日「やまと うたの血脈XI 東北を聴く」のコンサートを拝聴し、皆さんの(特に最後の公募合唱団)の歌声の響きにカールの魂が宿っているように感じました。カレッジクワイア、発声の講習会、客演を通じて、直接指導を受けた歌い手の方々。またカールの弟子とも言うべき若い合唱指揮者の発声指導で培った歌声の響きに胸がいっぱいになりました。
 カールが蒔いた種は確実に芽吹き、これからも葉を広げ、花を咲かせていくことでしょう。

2022年6月上旬

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