初めまして!こんにちは!
たかまつこうすけと申します!
今回は僕の自己紹介と現在までの成り立ちについてお話ししていこうと思います!
プロフィール
・ニックネーム コウスケ、タカ、タカちゃん
・生年月日 1998/10/5
・身長 179cm
・血液型 O型
・好きな選手 三苫さん
・好きなアーティスト ONE OK ROCK
・好きな色 黒、緑、青
・好きな芸能人 長澤まさみ、松本人志
・好きな食べ物 カレー、チーズケーキ
・休日の過ごし方 スタバでコーヒー
(無脂肪ミルク追加)
経歴・所属
鳴門市第一中学校
→徳島北高等学校
→四国医療専門学校
→広島県、岡山県にて接骨院、
ジュニアユースサッカーチームトレーナー
→東京都整形外科
中学1年→新人戦優勝
中学2年→総体準優勝、高円宮杯準優勝
中学3年→NHK杯優勝
高校1年→選手権準優勝(ベンチの温め)
U-16徳島県優秀選手
高校2年→ケガ期
高校3年→選手権3位、徳島県最優秀選手
専門学校→柔道整復師(医療国家資格)取得
セラピストストーリー
幼少期
神奈川県横浜市の赤れんがで有名なおしゃれな町で生まれた。
しかし家庭の事情により母と共に徳島県へ移住し、自然溢れる環境の中で生活をしていた。
母とよく野球をしていた記憶がかすかにあるのと徒競走では2番だった記憶がある。
少年期
小学3年生の時
スポーツは割となんでも自信があった。
児童クラブの先生に「絶対野球の才能がある!」と言われつつサッカーも好きだったので先に地元にあるサッカークラブの見学に行った。
そこで見学だけのつもりが早速練習試合に出場させられ、得点を決めることができた。その喜びが忘れられないとともに野球で坊主にするのがどうしても嫌だったためサッカーを選んだ。
学校の休み時間や放課後クラブ活動が始まるまで常に誰かとサッカーをしていたのですごくサッカーが好きだったのだろう。
小学生時代のポジションは右サイドハーフ(日本代表で言う伊藤純也選手のポジション)で足の速さを活かしたプレーが得意だった。しかしいまいち技術が身に付かずシザースをしたりルーレットをしたりなどの身のこなしはなかった。
中学生になると、地元のJクラブ、徳島ヴォルティスユースの入団試験を受けるも一次試験で不合格。
地元で強豪の鳴門市第一中学校サッカー部に入部した。
1年生になってすぐ学校でお菓子を食べてしまい入部早々10発ほど殴られ、3ヶ月間練習参加禁止、毎日100本ダッシュ、練習終わるまで草抜きをしていた。(今思うとほんとしょうもないことをしたなと反省してます)
しかし、1年生の冬チャンスが巡り、なぜかCチームから突然Aチームに昇格し、県大会の新人戦準々決勝から左サイドバックで出場、そして新人戦優勝を果たす。
自分の代はNHK杯と言う県大会で優勝した。
高校生と練習試合した時、自分のプレーが通用していた感覚があり、何より選手権への憧れがあったため。
高校でもサッカーを続けると決めていた。
青年期
高校はテレビでよく見かけていた徳島市立高校に憧れはあったがオファーもなく、普通に入ろうとすると頭も良くないといけなかったため自分は無理だと諦めていた。
しかし、地元にある高校と、自分の尊敬する先輩がいた徳島北高等学校からオファーが届いた。
徳島北高校は当時、元プロサッカー選手が顧問をしていたこと、尊敬している先輩が進学していたこともありこれ以上ないチャンスだと思った。
しかし、進学校で勉強もちゃんとしないといけないこともあり、迷っていた。(当時3年生ながらa,b,cの順番すらわからなかった)
その時担任の先生や母が背中を押してくれたこともり、徳島北への進学を決めた。
進学後の入学試験で学年で下から8番目を取ったときは焦ったのを今でも覚えています。
推薦で入部したこともあり、早速先生よりプリンスリーグでチャンスをもらう。(部員70人程度)
相手は自分が憧れていた徳島市立でした。
ミスは多かったものの同点ゴールの起点になることができまずまずのデビューでした。
しかしここから一気に失速していく。
香川県強豪の香川西高校との試合でも途中出場を果たすものの3分で途中交代。サッカー人生中でもなかなかのショックでしたね。
それ以降メンバーに入ることができず夏を終える。
いよいよ自分の目標であった選手権の時期。
しかし全く試合に絡めず、練習でもミスの連続。
このままで選手権の出場どころかメンバーにも入れないと焦った。
プレーの質がどうしても変わらなかったためとにかく運動量でカバーすることにした。
そこで先生も見てくれていたのか選手権のメンバー25人に入った。
チームは惜しくも徳島市立に決勝で敗退、準々決勝でラスト5分程度の出場をし、何もできず苦い選手権デビューでした。
治療家、トレーナーを目指したきっかけ
2年生になり出場機会ももらえるようになった矢先のことでした。
いつもと違う感覚が股関節に来る。
いつも感覚でクロスボール上げようとするとゴールキックになってしまう。
違和感が少しずつ痛みへ変わってしまった。
夏の大会ぐらいからドリブルですら痛みが走るようになり、整形外科へ
レントゲン像では問題がないと言われ、MRIを撮ることになった。
ここで「グロインペイン」(サッカー選手によくおこる股関節周囲の炎症、痛み)であると診断を受け。
はっきりした治療期間も言われずリハビリをすることとなった。
お尻のトレーニングや体幹トレーニングなど様々なトレーニングをするも
全く痛みが引かず
2ヶ月ほど練習から離脱するも選手権への気持ちがあり復帰する。
しかしここでまた右太ももの肉離れをしてしまい選手権への雪辱を果たせず2年生を終えてしまう。
3年生になってからも100%痛みが取りきれず、チームにいたトレーナーさんに定期的にカラダを見てもらったり、テーピングを巻いてもらったり、
家の近くにある接骨院にも通っていた。
3年生ということもあり進路を考えなくてはいけない時期であった。
大学でしたい勉強も特になく、サッカー選手としてやっていくことも考えていなかったのでどうしようか悩んでいた。
でもスポーツ関連の仕事ならやっていけそうだなとは思っていたので
チームのトレーナーさんや接骨院の先生に少し興味はあった。
そこで柔道整復師、理学療法士、アスレティックトレーナーと言う資格があることを知り。
調べていく中で柔道整復師はテーピングを巻いたり、骨折を直したりする。理学療法士はリハビリの先生。
としり、ケガを素早く治すには柔道整復師か!と軽々しく思うと同時に
自分と同じ悩みを持った選手を減らしていきたいと思い医療系の専門学校にいくと決めた。
ちなみに高校3年時は選手権準決勝で徳島市立に0-5で完敗し、高校サッカー人生を終えました。
資格取得後
専門学生時代のある日、東京都にあるR-BODY(コンディショニング施設)の講師が学校にセミナーをしにきてくれることがわかり受講してみた。
その時に衝撃を受けたのが「運動で痛みを減らしていく」
「運動をしないと根本的には治らない」と言う考え方でした。
ここから少し意識が変わり、運動の必要性を知った。
香川県にある専門学校に3年間通い、無事柔道整復師の資格を取得した。
(接骨院によくいる先生の資格)
資格取得後は広島県福山市にあるコンディショニングジムと接骨院で2年間お仕事をさせていただくかたわら、岡山県笠岡市にあるサッカーチームでトレーナーをしていた。
第一の目標であったサッカーチームのトレーナーが叶うもいざ現場に行くと何もできなかたったのを覚えています。
ここから一気に危機感を覚え、外傷に関する知識、技術を再度復習し、さらにはケガの対応だけでなく動き方や切り返しの方法などトレーニング面の勉強もし、実践し続けました。
結果としてリハビリから選手への復帰、そしてフィジカルトレーニングの成果がプレーの中でちらほら見られるようになりました!
僕のトレーニング、リハビリについてきてくれた選手、何も言わずに見守ってくれたスタッフ陣には感謝しかありません。
評価、治療、トレーニングの土台が自分の中で固まっていなかったこともあり焦りを感じていた時、紹介もあって東京で手技とトレーニングをミックスさせて活動されているトレーナーさんの存在を知る。
ちょうど3ヶ月後東京で5日間のメンターンシップ開催されるのを知り、受講。
そこでセミナーの中でサラッと
「僕は間違っていても自分の仮説を伝え、自信を持って治療、トレーニング指導をしている」
言っていた。
この言葉を受けて以来、治療技術、指導に自信を持って指導することを意識した。(実力はまだまだです)
ここから少しずつ上手くいく場面も増え、選手を見ていてトレーニングの成果が出ている場面も試合で見られた。
ただトレーナーとして仕事をしている時間は周1回程度だった。
そして普段働いている職場では中々外傷に出会うこともありませんでした。
僕の中でこれだとハッキリした目標はありませんでした。
ただ28歳までに「スポーツでのケガによって思うようにスポーツができない選手、子供たちを減らしたい」と言う気持ち、何かアクションを起こしたいと思っていました。
そういった気持ちもあり、東京都での活動を決めました。
現在
そして現在は東京でお世話になったトレーナーさんがお仕事をされていた整形外科でお仕事をしております。
今はトレーナーとしてお仕事はしておりませんがまずは目の前の患者様と信頼関係を築けるよう日々研磨しております。
そして高い志を持った従業員もいるので僕自信も中々濃い毎日を過ごしております。
お誘い等があればすぐにでもトレーナー活動をしたいとも思っているのでいつでもいける準備はしておこうと思います!
(お誘いお待ちしております!!)
そして目標達成のために力をつけていきたい。
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