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「母の日」「父の日」への拭い去れない教師としてのちょっとした違和感について💪

こんにちは、oneです。今日は母の日ですね。普段は言えない感謝の気持ちを「ありがとう」と一輪のカーネーションとともに…。そんな「ありがとう」が溢れる時間になれたらいいですね。

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しかし、教師の立場からすると、毎年この日は拭い去れない違和感を覚える日でもある。もう言いたいことは理解していただけたであろう。今日のテーマは「母の日という捉え方」をどう考えるべきか。

時代の多様化、社会の生きずらさとともに、家族の在り方も複雑を極める今、果たして「母の日」の本来の目的がきちんと達成される家庭が、どれぐらいあるのであろうか。

複雑な家庭環境にあって、「ありがとう」と言える親がいない人、「ありがとう」を言える状況にない人…。逆に「母の日」があることで、より孤独感に苛まれる人。「父の日」も然り。ここで一つの疑問が…。

「母の日」「父の日」改めて、「自分を支えてくれる人たちに感謝を伝える日」ではいけないのか?

時代とともに、移り変わる家族観。「家族」を血の繋がりがある「血縁関係」と捉えることに、あまり意味をなさない時代ではないだろうか?「家族」を「日々の生活を共に支えあう関係性のある繋がり」と捉える時代になったのではないか。もちろん社会制度上、このような繋がりを「家族」と呼ぶことはできないことは承知の上で。支えてもらって感謝する人の中の一人が「母」であり、「父」であったら、この日がもっと笑顔になれるんじゃないかと思う。

学校でも「母の日」「父の日」を教育として、効果的に活用したいといつも思うが、片親の子、祖父母に育てられている子、複雑な関係の子…が学校に多くいることを意識しておかないと、誰かの笑顔を学校教育の中で奪うことになる。それぐらい、この日は教師としてシビアにならざるを得ない。

あくまで、私の個人的な違和感。 

「お母さん、ありがとう」も良し、「お父さん、ありがとう」も良し。しかし、こうなったらさらにいい時間になりませんか?

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「自分を支えてくれる人達に感謝を伝える日」

花言葉「感謝」。ピンクのガーベラとともに、支えてくれている人たちに、普段は言えない「ありがとう」を伝えてみよう。

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皆さん、いかがでしょうか(^^)?

ありがとうございます。