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ターニングポイントは、自分の弱さを受け入れたこと。薬物密輸の元受刑者が自分の人生を歩み始めるまで

両親に促されて中学受験をし、猛勉強の末に名門校に入学することになる――そんな経験を持つ人は少なくないのではないでしょうか。スポーツや音楽の世界で親から期待され、必死に頑張ってきた人もいるかもしれません。

大久保秀司さんも、その1人です。しかし彼は、無事入学できた名門校で抱いた「劣等感」をキッカケにギャンブルにのめりこみ、いつしか薬物の密輸に手を染めることとなります。

6年間の刑務所生活、出所後のギャンブル依存、自殺未遂…。彼が激動の人生の中で抱いていた思いは、一体どんなものだったのか。そして、生きがいを見つけた彼は今どんな道を歩んでいるのか――。ワンネス財団のメンバーが話を聞きました。

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大久保 秀司(おおくぼ しゅうじ)
1952年神奈川県藤沢市生まれ。お金のために手を出した薬物密輸が原因で逮捕され、6年間の刑務所生活を送る。出所後、再びギャンブル依存の状態に陥りワンネス財団(以下:ワンネス)へ入所。元受刑者のための回復プログラムを受けて回復を果たしたのち、現在はワンネスで入所者の日々の生活サポートの仕事にあたっている。

財布の中には、薬物密輸で得た100万円。お金が生み出した偽物の安心感

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―大久保さんが進学したのは、東京大学や早稲田大学へ卒業生を輩出するような名門校だったとうかがっています。そこからなぜギャンブルの道へ?

勉強についていけなくなった、というのが大きな理由ですね。小学校のときの成績はクラスでトップで、周囲にも認められていたんです。でも入学した中高一貫の友人たちは、みんな中学受験を勝ち抜いてきた「頭のいいやつ」。学年が上がるにつれて少しずつ「勉強が嫌いなはずなのになんでこんなことやっているんだろう」と思うようになり、周りからも馬鹿にされていると感じるようになりました。

「どうすれば勉強のできるやつらを見返せるか」と考えたときに浮かんだのが「お金」。お金があれば尊敬されるだろうと考えるようになり、ギャンブルに手を出すようになりました。

―ギャンブルで多くのお金を手にすることはできたのでしょうか。

実際には、どんどん借金が膨らんでいくような状態でした。でもギャンブルは止まらないし、見栄も張りたい。そんな中で「やってみない?」と声がかかったのが薬物密輸の仕事でした。

そして、初めての密輸はたまたま成功してしまい、僕は「すごい仕事だ」と勘違いしてしまった。だって、右から左で手配するだけで毎月100万円ものお金が手に入るんです。密輸の仕事は次々入ってきて、お金もどんどん手に入る。すごく安心感がありましたね。

―安心感?

安心感です。悪い仕事をしていると、当然周りには本物の不良がいるわけですよ。彼らはお金を持っているし、良い車に乗っている。同じテーブルに着くためにはお金と権力が必要だと思っていました。

だから、100万円が財布に入った状態で周りと話をしていると安心するんですよ。「俺、こいつらと同じテーブルで物を言っているな」と。引けを取らないような悪い仕事をしているし、お金もたくさん持っている。勉強はできなかったけど、俺はこっちでのし上がっていけるんだ……と。

―一時的には満たされたということですね。

そうです。でも、一人になると必ず「いつか捕まる」「いつか終わりが来るだろう」という不安に襲われました。それなのに、辞め時が自分で決められない。1000万円貯まったらやめようとか、今やめたらもったいないとか、いろんな理由付けをしてしまうんですよね。結局自ら辞めることはできないまま逮捕され、6年の刑期が言い渡されました。

―そのときはどんな気持ちでしたか?

6年という長さには茫然としましたね。一方で、「これで終わらせられる」という感覚もあった。自分の意志だけでは離れられなかった悪い場所から抜け出せる、という安堵に似た気持ちもあったように思います。

6年間の刑期の中で取り戻した自信と、外の世界で生きていくことへの恐怖

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―刑務所での生活について教えてください。

刑務所では印刷工場の配属になりました。最初の2年は生活に慣れることに必死であまり外のことを考える余裕はありませんでしたが、少しずつ目標も持てるようになってきて。ひとつの工場でやり切る、工場内の機械の扱いをマスターするという目標を持って取り組んでいましたね。実際、業務範囲はパソコン作業から印刷機、断裁機……と広がっていって、自信もついた。「俺、やろうと思えばできるじゃん」って。

ただ、面会にくる友人たちが成功する話を聞くたびに焦りと劣等感に苛まれるんですよね。僕が刑務所にいたのは28歳~34歳のときで、仕事だったら勢いが出始めるし、家庭を持ったり、家を建てたりし始める時期。それなのに俺は刑務所の印刷の作業しか知らない。出所しても社会復帰なんてできないんじゃないか、と。

―刑務所内では、今後のキャリア設計について考えることはなかった?

ないですね。仮出所の前に2度の面接があって「今後どうしていくんですか?」ということは聞かれます。でも、刑務所の中では外の世界の仕事の情報を得ることは難しい。だから「自分には帰れる場所があって、仕事も問題ない」というしかありませんでした。

本当は、具体的に何をしていきたいのか、何ができるのかはまったくない状態です。それでも「相談しながら決めていく」というだけで通ってしまう。外に出ることに対しての不安や恐怖を共有できる場もなかったんですよね。

―なるほど。不安とともに出所することになりそうですね。

おっしゃる通りです。出所した後は、自由な生活を手にした大きな喜びがありました。でも、1週間もしないうちに不安や恐怖の方が大きくなって。周りはどんどん先に進んで行くのに、自分には何もない。仕事も見つからず、ただ過去に悪いことをしていたという事実だけがここにある。

友人から「焦らなくていいんだよ」「大丈夫だよ」という言葉をもらっても、すぐ被害的になってしまうんですよね。お前らにはどうせ、仕事と家庭があるから余裕があるんだろ、と…。仕事の見つからない自分を憐れまれている、蔑まれているように感じてしまっていましたね。

―そこから再び、ギャンブル依存の状態になっていくのですね。

そうです。自分は上手くやっていけるんだろうか。以前のように周囲から一目置かれる存在になれるのだろうか。そういう不安を解消するためにギャンブルに手を出し、気づけばまたギャンブルと借金が止まらない状態になっていました。家のお金にも手を出し使い込んでしまい、いよいよ家庭が崩壊してしまう……というところで親がワンネスに電話をし、インタベンションを受けることになりました。

自殺未遂に失敗したときに浮かんだ、ワンネススタッフの言葉

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―初回のインタベンションでは、入所を決断できなかったとうかがっています。そこからどのように入所へ?

初回のインタベンションは、断ってしまったんですよ。自分でなんとかできるという意地もあったし、刑務所での施設生活を終えたばかりなのに、また施設に入ることにも抵抗があって……。

インタベンションを断ったその日に、友人から30万円を借りました。でもそのお金も、最後の1回のつもりでやったギャンブルで無くなりました。そのときに自分のなかで出た答えが「死のう」だったんですよね。

友だちのお金を使いこんでしまう。お前らのせいでこうなったんだぞ!と親に罵声を浴びせてしまう。めちゃくちゃなことをしているのは自分でもわかるのに、そうしないと自分を保てない。そんな人生はもうこりごりだと思いました。

そして、残った1000円だけを握りしめてロープを買いに行き、それで首を吊りました。だけどやっぱり、土壇場でできないんですよ。頭がブラックアウトしていく感覚があって、怖くてほどいてしまって。「俺は死ぬこともできない中途半端な人間なんだ」と泣き崩れたときに、インタベンションに来てくれた人の言葉が浮かびました

―どんな言葉ですか?

「やり直せるよ」って言葉です。「自分がうまくいっていないこと、本当はわかってるでしょ?」って。誰かに助けてもらうのは逃げるようで格好悪いと思っていました。それでも、そのスタッフからの言葉が頭の片隅に残っていたから、1回電話してから決めようかなと思えた。実家に帰って親の姿を見たときに出た言葉が「頼む、施設に電話してくれ……」でした。

「その経験、俺にもあるよ。」ワンネスで見つけた本物の安心感

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―ワンネスとつながって3年と少しが経ちました。さまざまなプログラムを受けてきて、秀司さんの中でどのような変化がありましたか?

大きく変わったと思うのは、受け入れられている感覚を持てるようになったことですね。以前は「俺みたいな人間は俺だけだ」と思っていたんですよ。こんなに馬鹿で、仕事も不良もやりきれず、親を恨んでばかりの情けない人間は俺だけだ、って。

でもここに来てみたら、同じように悩んでいる人が多かった。自分の気持ちや経験を打ち明けると「その経験、俺もあるよ」と共感してくれることが増え、安心できるようになったんですよね。

―ターニングポイントになった出来事はありますか?

鮮明に記憶に残っているのが、ダンスのプログラム。数人でチームを作ってダンスをする取り組みで、最初は「なんでいい年してこんな踊りを」って思っていたんですよ。上手く踊れなくて笑われるのも怖かったし、恥ずかしかった。だから、「俺は絶対やらない!」とかたくなに主張していました。本当に、嫌で嫌で(笑)。

でも、周りはものすごく一生懸命やってるんですよ。それを見ていたら、「俺はこんな風に、何かに一生懸命になったことがあるだろうか」と思うようになったんです。ここで挑戦しなかったら、後悔するかもしれない――。

そこからは、自分の頑固さを取り払ってちゃんと取り組みましたね。ダンスの良し悪しはともかく、一生懸命やった経験は本当にあって良かった。みんなでお疲れ!と声を掛け合えたし、失敗も「やっちまったよ!」ってみんなで笑い合えました。

―失敗しても受け入れてくれる仲間がいたことは、そのあとの人生に大きな影響を与えていそうですね。

そうですね。今までは弱い自分は受け入れてもらえないと思っていました。けれどワンネスでは仲間が自分の失敗や弱さを認めてくれたから、自分でも、弱い自分を受け入れられるようになった。

そうしたら人間関係も少しずつ変わってきて。今まで劣等感を覚えていた友人にも「あのときの僕、本当に情けないことを考えてたんだよね!」と打ち明けられるようになったんですよね。

よく考えれば、自分に自信がないって当たり前のことなんですよね。だって僕は、今まで何にもやってきてないんだから。だったら、これから作っていけばいい。周りと比較するのではなくて、自分の人生は自分で決めて歩んでいくものだと思えるようになったのは、ワンネスが「心から安心できる場所」になってくれたからだと思っています。

自分の強みを生かした”これから”

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―プログラムの中には、自分の強みを見つけることを目的としたものもありましたよね。今秀司さんが考えるご自身の強みは?

自分でいうのも恥ずかしいですが、「優しさ」と「人の話を聞くのが大好きであること」が強みだと思っています。

ワンネスの仕事の中でも、未成年の相談を受ける機会がとても多いんですよね。夜中に何度も電話がくることもあるけれど、それでもいいんです。彼らが頼ってきてくれることが嬉しいし、定期的に話を聞けるのが生きがいです。みんなが持っている良い部分に僕が目を向けて伸ばしてあげることで、彼らが自分のやりたいことを見つけていってくれれば、と思っていますね。

―秀司さんの夢は?

これからは、自分の強みを生かしてカウンセラーの仕事をしてみたいですね。そしていつかは、昔からの夢だった飲食店の経営もして、より多くの人の話を聞いてあげられる場を作りたいです。

ワンネスに初めてつながったときは、入所することも、回復プログラムを受けることも、「死ぬことの先延ばし」だと思っていました。でも、今は違う。死ななくて良かった、と思います

いろんな経験をしてきた自分だから気づけたこと、感じられたことが山ほどあると思っています。これからは、それを若い世代にも伝えていきたい。友だちのような感覚で話をできる相手になるのが、僕の夢です。

「未来の話をしているときの秀司さん、本当に素敵な顔をしますね」

秀司さんがご自身の夢を語っているとき、ワンネスメンバーの口から思わずそんな言葉がこぼれました。

親に”行かされた”学校での出来事をキッカケにギャンブルのめりこみ、一時は自殺を考えるほどの苦しみを味わった秀司さん。しかし、新たな生きがいとともに自分の人生を歩み始め、「とにかく今が楽しいんです」と笑う彼の表情には、一点の曇りもありませんでした。

(書き手:中野里穂)

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