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闘病という言葉は使わない(言い換えのすすめ)

kazuki-ONEMaster(けいゆう)です。

闘病という言葉の言い換えについて、記事をリライトしました。解説を詳しくしましたので、よろしければご覧ください。https://onemaster.info/2020/09/19/toubyoutoiukotobanoiikae/

 今回は、“闘病”という言葉について記事を作成しました。内容については、あくまで私の個人的な主張であり、押し付けるつもりはありません。

 ただ、私自身、急性前骨髄球性白血病になり、脳出血し、それでも順調に治療・回復して退院した経験から伝えたい思いがあり、発信しています。

 初回の入院時の病状が悪かったこともあり、高リスク群として再発の可能性を指摘されておりました。退院後、半年程度で危惧していた再発となってしまいましたが、それでも、現在も問題なく順調に治療が進み、充実した入院生活を送っていることから、自分が心掛けていた事をお伝えしたいと思います。

 ズバリ、

闘病という言葉は使わない

です。 

 皆様は、ご自身やご家族が病気で入院・治療する際に“闘病”という言葉を使っているでしょうか。
 この“闘病”という便利な言葉は、『なんとなく使っている』人もいれば、『辛く苦しいから』、『病と闘っているから』など、様々な理由から使われていると思います。

 しかし、この便利な言葉は気づかぬうちにストレスとなり、行動力や可能性を無くし、患者や家族を追い込んでいることに他なりません。辛く苦しい現実をわざわざ押し付けているようなものです。

 ちなみに、“闘病”の意味を調べると、
 ・病気と戦うこと
 ・強い意志で療養につとめること
 ・病気に抗い、病気を治そうとして努力する生活
などの記述があります。
 戦う(闘う)とか、抗うとか、強い意志とか、まるで辛く苦しい思いをしなければならないような言い回しです。

 私自身、入院・治療したから(しているから)こそ思いますが、“強い意志”もなにも、治療しなきゃ死んでしまうから治療をしますよね。
 “戦う(闘う)”に至っては、一体何とどう戦う(闘う)のやら、と言った気持ちです。例えば、がん細胞と闘う術とは何でしょうか?

 私は今までに“闘病”という言葉を使ったことは無く、“病気に勝つ”とか“病気に負けない”という言い方も一切したことがありません。
 そもそも、病気の治療の結果は勝ち負けで判断することではないですし、そういった考え方だと自責にも他責にも、追い込み、追い込まれていきます。

 “闘病”という言葉を使わない私なりの言い換えは、

 闘病→治療・療養
 闘病生活→入院生活・療養生活

です。
 もちろん、「そういう意味で“闘病”という言葉を使ってるよ」と言う方も多いかと思いますが、それであれば、ぜひ、“闘病”という言葉を別の言葉に言い換えることを勧めます。

 我々が普段、発している言葉や耳にしている言葉、書いている文字(漢字)や見ている文字(漢字)には、意味やイメージ、固定観念があります。
 “闘病”という言葉は確実にマイナスイメージであり、“戦う(闘う)”や、“抗う”などの意味を連想させ、治療することを苦労に変え、結果、現実(病気)を受け入れられなくなってしまいます。

 言葉を言い換える、差し替えるだけでも気持ちが楽になったり、考え方が大きく変わったりするものです。
 患者さんご自身、また、そのご家族においても、こういった小さな事から、病気と向き合う、受け入れることを考えてみてほしいです。ちょっとした事でも必ず生活は変わっていきます。自分の経験も踏まえて断言します。

 妻も病気

 私は、自分が病気になる前も、“闘病”という言葉に対して、今と似たような考えを持っていました。自分の妻も病気だからかもしれません。
 妻は膠原病、リウマチで、現状で完治はできません。現在、私も妻も36歳ですが、妻の病気は10年以上前、成人した頃からだったでしょうか。

 妻は病気ですが、“闘病”と言った考えをせず過ごしています。私がすることは、関節が痛くならないように、長距離の運転は私がしたり、重いものはなるべく私が持つぐらいでしょうか。あとは本人が、自分の病状を受け入れて、できる対策は行なっております。
 余談ですが、注射が結構高額です。でも、そのお金を惜しむわけにもいきませんし、お金がかかると言って怒るわけでも諦めるわけでもありません。

 結局、病気や環境を受け入れるというか、それで生活しなければなりません。また、時間をかけても、お金をかけても、妻の病気を根絶することはできません。何かを責めて病状が良くなることもありません。
 だから私は、妻が病気である生活も当たり前の生活であると思っていて、また、自分の病気も生活の一部と思っています。

 今の妻は定期的に通院し、自分で注射を打つ生活をしていますが、“闘病”ではなく、“病気を持っている”だけです。それが治らない病気であっても、“闘病”という言葉を使わないことで、言葉のイメージだけで辛く苦しい思いをすることがないようにしたいという思いがあり、“闘病”とは言いません。

 また、今の私の治療も“闘病”と言えるかもしれませんが、自分では言いませんし、思ってもいません。目の前に、治らない病気の人がいるのに自分は闘病生活をしているなんて思えないですし、自分も“闘病”という言葉のイメージだけで辛く苦しい思いをしたくないからです。

 もちろん、“闘病”という言葉を使わないからと言って、病気が無くなるわけではありませんが、マイナスなイメージの生活を無くす事で、生活は大きく変わります。断言します。

 私の結論ですが、

 自分(患者)がどう生きたいか、患者にどう生きてほしいかを考えていくことで、自然と言葉や表現は変わってきます。そして、言葉や表現を変えるだけで生き方、生活も変わってきます。

 実際、私は入院していても、退院後のために毎日、ヘアアイロンとワックスで髪のセットを練習したり、眉毛描くのを練習したり、筋トレしたり、プログラミングの学習をして、入院中の時間をムダにせず退院後までに成長していたいと思うぐらい考え方が変わりました。
 子供や妻に会えないからと嘆いても、退院や治療が早まることはないですから、それを考えるぐらいなら、今しかできない事をしておいた方がいいと思っています。

 ですので、この記事をご覧になっている方々には、辛く苦しいイメージの“闘病”という言葉を使わない事でマインドセットを変えて、治療中も治療後(退院後)も良い生活を送っていただけるきっかけとなればいいなと思っております。

 また、イメージを変えていくことは『引き寄せ術』などにも近づいていくと思います。こちらは、別で記事を作成したいと思います。

 今回は、“闘病”という言葉の辛く苦しいイメージで患者や家族が追い込まれてしまわないよう、『闘病という言葉は使わない』という記事を、自分の妻と自分の病気、入院・治療の経験をもって作成しました。
 皆様のより良い生活のきっかけになれば幸いです。

 次回も入院生活の続きの前に、今回の内容を自分なりに別の視点から考察した、深堀りについて記事を作成したいと思います。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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