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書く女

なぜか人より得意なこと、好きなこと、続けても飽きないこと、妙に惹かれるものや場所、そういうものが誰でも一つはあると思う。反対に全然向いていないことや、理由はわからないけれど凄く苦手なものがあったり。

先日ある方に霊視をしてもらった。
私には超能力や霊能力的なものは一切ないが、そういう世界をどちらかといえば信じたい方だ。
どんなに人間が物識りになっても、世の中には依然として説明のつかないことが沢山あり、目に見えないものに対する想像力や自然への畏怖みたいなものがあった方が、人は人らしくいられる気がする。
冒頭に書いた「なぜか人より得意なこと、好きなこと、続けていて飽きないこと」の一つが私にとっては何かを書くことだった。それは子供の頃の作文や読書感想文であり、思春期に綴った痛ポエムであり、Twitterでありこのnoteでもあり。
私は一つのことに集中するのが異常なほど苦手だ。熟睡している時以外は常に何かしながらいつも同時進行で別のことを考えてしまう。そして映画を観てもライブを観ていても自分の人生の大事な場面であっても、常に「監督わたし」が私自身を頭上から見ている感覚がある。だから我を忘れて感情に溺れた経験が、ほぼない。
映画館で臆面もなく泣いている人を見ると皮肉ではなく心から羨ましい。同じチケット代で同じものを享受しながら、私の感受性の味気なさ、元の取れなさたるや、と思わずにいられない。
そんな心ここに在らずな自分がどこかに飛ばされていかないよう、心を繋ぎ止めておいてくれる手段の一つが私にとっては文章を書くことだった。夢中で何かを書いている間は頭と心が一致していて、時間が経つのを忘れられるから。

「大きな葉っぱみたいなものに何かを書いている女の人がいる。前世もその前も、ずっと何かを調べて何かを書いていた人のようだ。それは街の歴史だったり土地に伝わる文化についてだったり、なるべく自分の私観を挟まぬよう、ドライで正確な文章を書く鍛錬を積んできている。だから今のあなたが人に対して感情的になるのが苦手なのはその影響かもしれない」


ほえーーーー!

子供の頃から妙に上手かったことや好きだったこと。
それが仕事やお金になるかならないか、自慢になるかならないかで段々遠ざかってしまったり、好きだったことさえ忘れてしまう時がある。でも絶対人には必ず何かの才能や適性があると思うんだよな、持って生まれてきた何か。生き方の癖みたいな何か。
色々な人の意外な特技や隠れた才能を知る瞬間は楽しい。その人の才能がいかんなく発揮されている場面は美しい。

私には「書く女」が刷り込まれている。
そう考えるとちょっと嬉しかった。
誰かに褒められるためではなく、ただ自分がそれが好きだからやりたいんだと思えることがあるのは幸せだと思う。

向き合って座っている彼女が今私越しに見ている世界を私も映像で見てみたいと思ったけれど、それこそが私になくて彼女にある能力の一つなのだ。
こういう話を胡散臭いと思う人もいるだろうけれど、私にとっては自分が癖や特性ごと肯定されたような、脈々と連なる人の生き死にの歴史に参加していることを確認するような、不思議で有意義な時間だった。


彼女が私にまつわる前世や守護霊の話をしてくれている間ずっと、背中が不思議なほど温かくて、その不思議な温かさがスピリチュアル的な何かかどうかはわからないけれど、今もリアルに思い出しています。

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