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NIPPON



1.日の昇る国


日本で過ごして2週間ほど。

日本の姿を海外から帰ってきて、一番新鮮に感じられる今だからこそ、思うことがたくさんあります。


日本はスペインと比べて、まるで異なる近未来の別世界である



海外で過ごすことのほうが一年を通じて長くなった20代というのは、日本帰国のたびに「日本」という国を

スペインと「日本」

ウルグアイと「日本」

というような対比をしながら、それらの違いや特徴を感じてきました。


20代当初は、海外かぶれもいいところで、日本に一時帰国する度に海外の価値観や生き方が全て正しくて、日本のそれはダメなんだと本気で思っていました。(今でも当時と同じ考えの部分はまだありますが、今はあくまでフラットに、どちらか一方に偏らずに考える癖がついてきました。)


例えば、東京という大都会のダイナミックなエネルギーは、人を良くも悪くも変えてしまうと感じます。

情報量の多さが尋常ではなく、そしてありとあらゆる人間が集う場所でもあります。技術、経済、文化、それらの最先端であるTOKYOで生きることは、世界的に見てもなかなかに極端な人生であると、最近認識できるようになってきました。

スペインという国が、今後100年の時を経たとしても東京のような場になるとは想像できません。

誤解してほしくないのですが、日本が良くて、スペインが悪いという考えではないです。(それぞれが、それぞれの良さを活かすことが最善であり、優劣をつけようとすること自体が間違った考えだと思います。)

ただし、明確に感じることとしては、スペインやウルグアイといった場所で「今なお感じることができる、ありのままの人間として生きる時間」がTOKYOという場では急速に失われつつあるのではないかという危機感です。


大事なものは自らの手で守り続けていかなければいけないです。

放っておいてもそこにあるものは簡単になくなってしまいます。


”人間であろうと生きている”人が自分の身の回りにいるからこそ、この激動の時代、激動の地に生きる自分も今ままでの価値観を変わらず持ち続けられていると感じます。

彼らの存在は自分にとって光であり、希望であります。

そして「今」を生きることでもあります。

「今」を生きることを別の言葉にするのならば、幸せという言葉でも表せると思います。

そのために人は働き、命を削りながら、いつか来るであろう終わりの日に毎日一歩一歩近づいていっているのです。

ライフワークバランスという言葉がよく使われるのは、そのバランスを見つけ出すことが難しいということでもあります。


日本に帰国して気づいたのですが、日本は日の出の時刻がスペインに比べとても早いです。

日本人が朝早くからせっせと働いて、たくさんの成果を出せるのは日の出の時刻が早いことがもしかすると関係しているのかもしれません。(スペイン人は朝は遅いですが、その分夜の文化が日本とは比べ物にならないくらい発展しています。)

日本人はきっと、人間であることを忘れてしまうくらいに流れの激しい時と空間の中で”人間であり続けるために働く”という非常に難易度の高いチャレンジしているのだと思います。

スペイン人が同じことをやらせたら1週間と持たないでしょう。

これが意味するところは、彼らが劣っているということではなく、異なっているだけということです。


2. 私たちはどう生きるか


主語が私ではなく、私たちで物事を考えることが今の自分にはとても大事だと思っています。

周りの人間のことを自分ごととして捉え、彼らが心から望む生き方をどう叶えるか、その手助けができるか。

自分が持てるものを、与えることができるもの、価値あるものをどう周りの人間に届けるか。

それがビジネスの始まりであり、同時に自分自身の幸せでもあると感じています。

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