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無名の究極のフットボーラー

彼の名は世界的に、いや日本国内ですら知られていない。
けれども、彼こそがフットボールを体現し、フットボールを日々新しく創造している究極のフットボーラーであることはもはや疑いようがない。

彼は孤独と向き合い、人生と向き合い、生とは何か、死とは何か、人間とは何かを考え続けてきた。

彼の目に映る世界は、どこまでも純粋で、それでいて繊細で脆く、時に彼のこころを執拗なまでに傷つける。

けれども、その眼差しは常に真実を映し出す。

彼の言葉は、愛に溢れていて、温かく、その言葉に触れる人々を人間本来の姿に戻す。

だが、時にその言葉は鋭く、残酷で、うわべだけの見え透いた意地悪い態度、人間の弱く醜い部分を厳しく浮き彫りにする。

だからこそ、彼という人間を信用できるのだが。

人は弱い生き物で、自らの過去を振り返ることや、今に向き合うことを避け、真実から目を背けようとする。

そんな時は、彼の存在それ自体が一歩前へ踏み出すことであることは皆が分かっているのだが、そこに向き合う勇気が持てる人間というのは意外にも少ない。


これまで数多くのサッカー選手が彼の言葉に人生を変えられてきたか、数えればキリがない。

彼は、ピッチに立たずしてサッカーを表現する。

ピッチに立たずして、誰よりもサッカーを追及する。

日本のサッカー、ましてや世界のサッカーにとって彼が現役のプレーヤーとしてプレーしていないことは大きな損失だろう。

しかし、もはやそんな考えを吹き飛ばしてしまうほどの彼のサッカーへの愛、周りへの影響力というものは計り知れない。

彼は異端児であり、改革者であり、哲学者であり、究極の人間である。

ゆえにフットボーラーなのだ。

奇しくも、時代が追い付いていないのか、それとも、私たちの目が真実を見れなくなっているのかは定かではないが、彼こそが現代最高のフットボーラーであり、自分にとってのヒーローだ。

彼なくして、今の自分はあり得ない。

彼の右足から放たれるシュートは彼の生き様を表す。

覚悟、愛、喜び、悲しみ、孤独、すべてを背負ったその軌道はどこまでも真っすぐだ。

いつの日か、彼のゴール、スピード、勝利の雄たけびに、世界中の人がその美しさ、価値に気づき、ともに歓喜する日を僕は夢見ている。


ps. 親愛なる、人生の先輩であり、血のつながっていない兄弟であり、仲間である彼へ、愛と感謝を込めて。



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