感情のコントロール
1. 怒りの原因を明らかにする
久々に自分の感情をコントロールできないほどに怒りが湧いた出来事があったので、今日はそのことをシェアしたいと思います。
まず初めに感情について大事だと思う結論をいくつかまとめてみます。
感情自体を否定しない
なぜを考える
コントロールできる範囲とできない範囲を見極める
一つ目の、感情を否定することは、すなわち生きること自体を否定するようなものです。
一度感じてしまったものは、否定するのではなく、積極的に迎え入れ、早いうちに良い方向へとつなげるきっかけにするのが最善だと思います。
どんな感情であれ、それらは本来喜んで迎えられるべき人間に与えられた恵みだと思うのです。
なぜなら、全ての感情の先には、必ず喜びや深い慈悲のような感情を見出すことができるからです。
たとえ、それが腹の底から煮えくり返るような激しい怒りだとしてもです。
一度感じてしまったものは、否定するのではなく、積極的に迎え入れ、早いうちに良い方向へとつなげるきっかけにするのが最善だと思います。
そもそも怒りの原因は、自らが大事にする何かを奪われたり、傷つけられる危険があると感じるからです。
今回の件は、自分のサッカーに対する姿勢を、価値観を冒涜されていると心の底から感じたことが原因だと考えています。
チームはリーグ戦終盤を迎えた現在、目標のプレーオフから外れた7位。
直近のアウェーでの試合にて負けを喫した後、これで何度目か数えきれないというほどのチームスタッフ含めた全員での話し合いがありました。
しかしあれほど話し合いで、練習態度の改善を話し合ったのにも関わらず、翌日の練習ではまるで前日の話し合いがなかったかのような散々たる練習内容でした。
もちろん、自分も練習の雰囲気を作り上げる責任を負う一人ではあるのですが、あまりにもひどい内容に堪忍袋の緒が切れてしまい、練習が終わった直後には怒りのあまりに感情を言葉にすることすら難しかったです。
その後チームメイトたちが声を掛けてくれましたが、家に帰ったその後もその怒りの炎は消えませんでした。
何度も別のことを考えようとしても、事あるごとに練習の記憶が蘇ってきては、再び怒りとストレスを感じてしまい、感情に支配される自分が幾度となく現れました。
普段はこれほどまでに感情が自分を支配することはあまりないのですが、自分でもはっきりと分かるほど、何度も頭のなかで怒りの声が響いていました。
正直、もう十分すぎるほどに怒りを味わったので、いまは大分冷静になりましたが、かなり疲れました。
怒るのにも体力を使うことを改めて実感します。(愛を持って叱ってくれた人たちに感謝ですね。)
2. 感情を長期的に捉える
今回改めて自分が大事にすることは何かを確認する機会になったと思います。
そして、どこまでを自分がコントロールできることとし、どこまでをコントロールできないこととするのか、という線引きを考えるきっかけにもなりました。
周りの選手の練習態度は、短期的に捉えた場合、すぐに変わることはあまり望めないでしょう。
ましてやそれが20歳前後の若い選手であればなおさらです。
彼らは、大抵の場合若さゆえに視野が狭く、また経験も浅いので、周りの意見を受け入れる幅は少ないです。
それでも若い選手は時間的猶予を考えれば長期的な変化を期待できます。
問題はある程度年齢を重ねた人間です。彼らは凝り固まった姿勢、態度を持つことが多く、若い人間に比べ変化を望むのは難しいでしょう。
彼らに対しての付き合い方は、程よく距離を取りつつも、自分の価値観を侵害されないように先手をうって、リスペクトを勝ち取ることが大事だと感じます。
他人の課題に対して、自分が無駄にエネルギーを消費してもしょうがないです。
自分の目標がはっきりと定まっていれば、それに準じて何に時間とエネルギーを費やすかがはっきりします。
今回は、チーム単位での課題に対して過剰に自分が責任を負うことによって、本来費やす必要のない時間とエネルギー(怒り)を使ってしまいました。
もちろん、チームが勝つことは絶対に外せない原理ですが、自分自身がまず正常な精神状態を保てなければ、チームどうこうの話ではないです。
まだまだ未熟であると自覚すべき出来事でしたが、明日のトレーニングではサッカーを楽しんでいる自分でいるイメージが湧いてきました。
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