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穴を埋める〜ケイイチ ノ色彩

妻が浮気をしているっぽい。

こういう考えが一度でも浮かぶと全てが疑わしくなる。
そんな病にケイイチは冒されていた。

二度目の育児休暇を終えて職場復帰した妻は、ケイイチとのイーブンな育児・家事分担を盾に飲み会で夜遅く帰ってきたり、ケイイチの前では決して着ないような服を買ったり、ケイイチがあまり好きではないキツめのコロンをつけたりするようになった。

ケイイチと顔を合わせる妻は無表情か怪訝な顔をしていることが多いのにも気がついた。
直前まで子供やママ友に笑顔を向けていたのに、ケイイチに視線を向ける時はその笑顔はなくなっている。
たまに笑っていたとしても、それは「冷笑」と表現されるような類のものだった。

スマホを触って何かを打ち込んでいる時間も多い。
ちらりと見えた画面は大概LINEで、なにやらまとまった長さの文章を打ち込んでいるようだ、誰かに送るための。
ケイイチには事務的連絡事項を短文で、あるいはスタンプだけですませているというのに。

仕事も大きなプロジェクトを任され疲労困憊の日々が続いていたが
疲れが増すごとに疑念は心の中の穴になり、どんどん大きくなっていくようだった。

そんな中で彼女と親しくなった。
別部署だが同じプロジェクトに所属する彼女とは、チームメンバーとの忘年会で隣の席になったのが親しくなるきっかけだったと思う。
大きな目をくるくるとよく動かし表情豊かにケイイチの話を聞いてくれた。
「聞いてくれた」と感じるくらい、何を話しても笑ったり一緒に憤ったりする彼女の反応に、自分自身が受け入れられている感じがした。
仕事中は業務についての会話がほとんどだし、家に帰っても子供に関する話はするけれど妻との間には隙間風が吹いているような違和感が絶えずあったから、ケイイチ自身の話をきき、受け止めてくれる存在が久しぶりで、LINEを交換し、休みの日もたわいのないやりとりをするようになった。

そして、寝た。

彼女はケイイチに対して惜しげもなく自分をさらした。
それもうれしかった。
彼女は、いつも自分の話をにこにこときき、暗闇の中ですべてをさらす。
触れ合う肌と肌の感触は温かくほっとした。
満たされる感情を彼女に伝えたくなったが、月並みな言葉は恥ずかしく口にすることはできず、また口にしてよい立場でもない気がしたので
あるときこう口走った。

「俺の前で裸になってくれるだけでいい。十分だよ」

彼女はきょとんとしていた。
唐突にそういわれて戸惑い、そしてその言葉には、愛だの恋だの大切だの、という感情が含まれているものとは到底思えない表現だったから
眉を少しひそめたのが見て取れた。

「なぁに、それ」

苦笑しながら彼女は言った。

まずった。
でも、本心だよ。
すごいことなんだよ。
俺にすべてを見せてくれるのは。
君がしていることは、愛してるとか好きだとかの言葉よりずっとすごいこと。

最初のうちは妻への報復のような気持ちもあった。
お前も楽しんでいるのだから、俺だっていいだろう。
そんな気持ち。
しかし、しばらくすると妻の視線に探りをいれるようなものを感じるようになった。
女の勘はするどい、という。
なにかを感づいたのかもしれない。
自分が妻に感じていたような疑念を、今度は妻が自分に対して感じ始めている。そんな予感がした。
途端に、女たちの何かが終始まとわりついているような気がしてきた。
妻の疑念。目つきや言葉の端々から感じる探り。
彼女の期待。もっとわかるように伝えてほしい、という期待。

彼女との接触を回避するようになった。
我ながらちっさいな、と思う。
でも家庭内でこれ以上波風を立てたくなかった。
プロジェクトは大詰めを迎えており、忙しさを理由に約束を取り付けないようにしていくことは自然でもあったと思う。
彼女も同じ状況なので。
感じるものはあったとしても、なにかを訴えてくることもなく、彼女は同僚としての態度を崩さなかった。

プロジェクトは解散し、彼女と仕事で合うこともなくなった。
LINEのやりとりはケイイチの送信で終わっていた。
妻との間の隙間風は相変わらずだったが、妻に感じていた疑念はいつのまにかなくなっていた。
心に空いた穴は、・・・開いたまま。
だからといって別の存在で埋める必要は今はないようだ。

それだけのはなし。


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