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人と雑音(短編小説16)

忙しい朝の駅構内は慌ただしく、学校や職場に向かう人たちがバタバタと通り過ぎる。一人一人が、そのざわざわした空気に紛れ込んだとき、一人一人は、皆で奏でる一つの雑音になる。

健太も例外のなく、一つの雑音になりながら、いつも通り駅構内を通り、職場に向かう。そこに何の憂いもなく、いつも通りの日常だった。

ふと、視線を彷徨わせると、駅構内にあるベンチの上に、食べ終わったパンの袋が2つ、親切にも重ねて置かれているのを見つけた。

健太はその袋の周りに漂う想念から

ー私は、ここにいるー

怒りではなく、悲しみとまでいかない。ただ、自分という個人がここにいて生きているのだ、雑音の中の一音じゃなくて、私、が存在しているんだ、と言う一種の自己主張のようなものをキャッチする。

人間ならば当然の思考や感情が漂っているその一角の空間を、健太はヒーリングをし始める。自分の存在や自分の感情を主張することに一生懸命すぎて、パンのゴミ放置は迷惑行為である、という考えには至らないほど切羽詰まっている想念を癒すのだ。

なぜ、見知らぬ人の、見知らぬ想念をヒーリングするのかといったら、別に人が良くてお人好しで癒しをしているわけではない。
健太の目の前の意識の中に、そのような主張が映り込み、今のように、健太が感じ取って、共鳴しているのだったら、それはもう自分の世界のことで、自分の世界で起こることは巡り巡って自分にも影響するから、最早、この出来事は他人事ではない、という認識があるだけだった。

健太も、肉体、と言う限りある制限を持つ人間である以上、世界のすべての人間の心の迷子の結果を、1人で請け負ってはいられず、こうして遠くからヒーリングこそすれど、わざわざパンのゴミを拾って自宅のゴミ箱に捨てることまではしない。そこまでしていたらほんとに身がもたない。後は清掃のおばちゃんにお任せだ。

健太はヒーリングを終えて、また雑音に戻ってゆく。
そこにはやはり何の憂いもないし、
主張したい自分の存在などどこにもない、調和だけが広がっていた。

おしまい

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