「今、楽しいこと」と「人生の幸せ」は別だからこそ、「なりたい者」になる
「人生の幸せ」とは何か。
この壮大な問いに対する1つのアプローチみたいなもの。
自分の中にいつか出るであろう答えにかかる、ハシゴの一段にでもなれば。
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今を楽しむことが人生の幸せかもしれないと、最近まで思っていた。
だって、毎日今を楽しんでいれば、それは人生幸せと呼べると思うから。
でも、最近思ったこと。それは
「毎日楽しんでいても、人は後悔する生き物だ」
ということ。
(幸せ=後悔しないことではないけれど、後悔しないことは幸せの1要素にはなると思うから、今日はそこに焦点を絞りたい。)
どういうことかというと、大人はよく「もっと学生の頃に勉強しておけば」と言う。
しかし彼らは、子供の頃になにをしていたかと言うと、きっとつまらない勉強ではなく、その時面白かった友達と遊ぶことやゲームや、テレビを見ることだったりするんだと思う。
この現象がまさに、「今を楽しんでいるのに、将来的に後悔してしまう」と言う典型例だと思う。
自分もこういうことがよくある。
試験前だと言うのにシリーズもののアニメにハマって、テストはどうにかなるだろうとほっぽり出した結果、結局試験では痛い目を見るというお決まりの流れ。
もちろん、その時アニメを見ていたことが全て無駄だったとは思わないし、試験勉強よりも大切なことだってもちろんある。
しかし、そんなことも結局将来的に後悔してしまうのでは意味がない。
もしも試験期間にアニメを見たくなったのなら、アニメを見ることによって試験がダメになっても後悔しないと思える自分の中の判断・理由がなければいけないと思う。
それでは後悔しないためには今をどう生きればいいのか。
どこにその自分の判断・理由を見出すか。
それは
「なりたいものにものになること」
が1つのキーワードになると思う。
例えばそれが医者になることかもしれないし、バンドマンとは言わなくてもギターが弾ける人かもしれないし、もっと抽象的に面白い文章が書ける人かもしれないし、おしゃべりの上手い人気者かもしれない。
僕は医者になりたかったから医学部を目指したし、高校時代の僕は「医学部に在籍する人」になりたかったのだ。
そして、なりたかったものになれた時は嬉しい。それは決してその瞬間だけではなく、なりたいものになれた後にずっと続く嬉しさ・幸せなのだ。
でも、それまでの過程が全て楽しかったかと言われればそんなことはない。受験勉強はしんどかったし、結局医者を目指している今も予想以上に勉強が大変だ。
つまり、なりたいものになるまでには、修行の期間が必要だということだ。そしてその修行は往往にして辛いことが多い。
ここで冒頭の話に戻るが、今を楽しく生きるだけでは、結局修行の期間がなくなってしまう。(ただし、ごく一部の人間は、寝食を忘れて修行を楽しんでしまうケースもあると思うからそれは除く。)
それではなりたいものになれないのだ。
では修行といっても、今の自分がなにを修行すればいいのか。
これは自分のなりたい姿を描くことで初めて見えてくるものだと思う。
誰かの言うことではなく、自分の心の中にこそ答えがあるのだ。
最初の例をまた取ろうと思う。
大人になってから、学生の頃に勉強していればよかったと後悔する大人は2つの失敗を犯している。
1つはなりたいものを描かなかったと言うこと。もう1つはなりたいものに向かって修行を積まなかったこと。
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今は、昔に比べて、ものすごく早く簡単にいろんな情報を自分の手で得られる時代。だからこそ、親が教えてくれなかった、周りの環境が悪かったと言い訳している場合ではない。そんなことを言う暇があれば、少しでもいい情報を得る努力をして、1秒でも早くなりたいものになるための修行をつむことだ。
そしてなりたいものは1つではなくて良い。複数あったほうがきっと人生は楽しい。できることは多い方がきっと楽しい。
いろんなことに興味があって、いろんな者になれればきっと自分自身は幸せだし、その上で誰かの役に立てたらきっとそれ以上のことはないと思う。
さて、僕はとりあえず今はこの仮説が正しいと思っているから、それを実践してみようと思う。
それがどうなったかは、今後どこかでNOTEに書けるぐらいに成果が出せた時にでも。
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