雑記09 アランの"横目にて学ぶ"という話について

フランスの思想家のアランが著作集の中で書いていたことが印象に残っている。
著作集の全10巻くらいまである中の9〜10巻くらいの内容だったと思う。

『対象を真正面でなく、横目にて学ぶ』ということを書いていた。

アランが、ある時に学校でプラトンの本についての講義を聴くことになったらしい。

多くの学生は、教授がプラトンについて長々と話したり、プラトンの文章を音読するのを、ひとつひとつ理解しようと頭脳を緊張させて聴く。
しかし、長く続く講義の中で、緊張する力が疲弊していく。そして、理解できない箇所が積み重なっていき、だんだん嫌になって脱落していくという。

アランはそうした呼吸を理解していて、"ずるい" やり方を採用したという。
アランは、講義の内容を ゆるく耳に入れつつも、ひとつひとつをしっかり理解しようという律儀さを放棄するスタイルを採用したと言う。

ひとつひとつを 都度 頭で理解しようという緊張をせずにいる分には 疲弊しにくい。
アランは、そのおかげで、苦も無く長く講義場に くつろいで滞在していたらしい。

そして、長く くつろいで講義場にいて、講義をなんとなしに ぼんやりずっと聞いている内に、プラトンの書物を理解するための急所を ある時につかんだ と語っている。

自分が思うに、理解しようとして頭脳を緊張させるのは 100m走的であり、短距離ランナー的であり、無呼吸運動的である。
それは音楽用語で言うと、シャープ ♯ 『張り詰めていて、鋭い スタイル』である。
(自分の少ない音楽用語の知識を動員しての表現なので、真に詳しい方からは苦言があるかもしれないが…)

理解できなくていい、と決心して、くつろいで 対象に触れ続けるのは、マラソン的であり、長距離ランナー的であり、有酸素運動的である。
音楽用語で言うと、フラット ♭ 『平坦で、ゆるやかな スタイル』である。

アランは、この2種類のスタイルの使い分けを理解して、有効活用していたらしい。

真正面から がっぷり組みついて挑みかかるのが短距離ランナー的なスタイルで、
アランの言う "横目に" 対象を捉える、というのは長距離ランナー的なスタイルと言える。

言い方を変えれば、交感神経的なスタイルに対しての、副交感神経的なスタイルとも言えると思う。

長距離ランナー的な勉強スタイルが万能なわけではないと思う。
あくまで、適材適所が大事なのだと思う。

プラトンの著作など、一般に古典と言われるような息の長い作品は、長距離ランナー的なスタイルで臨む方が良いように自分は思う。

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