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雑記31 (長い) Wジェイムズ、ポケモン、ヒカルの碁

文字数・8500〜8800

■はじめに

今まで30個の記事を書いてきたが、この記事はその中で「筆者が内心、真に記述してみたい」と思ってきた領域に最も触れている文章である。
記事の中には、哲学者ウィリアム・ジェイムズ、ポケモン(初期の)、ヒカルの碁などについて触れる文面があるが、それらについて全く知識がないまま読んで差し支えないものだ、と筆者は考えている。

■世界の名著 ウィリアム・ジェイムズ について

世界の名著、中央公論社 の48巻、パース、ジェイムズ、デューイは、長らく筆者が入手したいと思っていた本で、入手した時、嬉しく感じた。

この本には、

  • パース
    ジェイムズ
    デューイ


の3人の主要な著作と、その紹介が収録されているが、筆者はジェイムズを目当てにこれを入手し、今も筆者がこの本を読む時の多くはジェイムズを目当てにしている。

筆者は、ジェイムズについて、ベルグソンが語る文面を読んで、それでジェイムズへの関心を強く持つようになった。

ベルグソンがジェイムズについて語るというより、ベルグソン全集(白水社、1960〜1975頃の出版) の、8〜9巻の中でジェイムズへ向けた書簡がいくつも内容が収録されている。筆者はその文面を読んで関心を持つようになった。

■ジェイムズの年表



巻末の方に、ジェイムズの生涯の簡易な年表が収録されている。
この中から、筆者が気になる箇所をいくつか、抜粋する。

ジェイムズ年表は、p551〜 収録。

以下、1844年 … 2歳と書いてあるのは、
1844年は西暦、 〜歳というのは当時のウィリアム・ジェイムズの年齢である。

  • 1844年 … 2歳
    イギリスのウインザーの近くに滞在中、父ヘンリーは肉体的消耗を伴う抑鬱状態におちいり、…

    1852年 … 10歳
    この年から55年までの3年間、ニューヨークで小学校に通う。
    以後、大学に入学するまでのあいだ、正規の学校教育は受けなかった。

    1854年 … 12歳
    この年から1864年にかけて、フランスのカント主義者シャルル・ルヌヴィエ(1815〜1903)の主著「一般的批判論」(四巻) …… が出版された。
    この本は、認識、心理、自然、歴史等のテーマを批判主義の見地からあつかった大著で、そのうちの「合理的心理学」…… において展開された意志の自由にかんする説は、1870年代の初めに、憂鬱症におちいっていたジェイムズに強い感銘を与え、精神的健康の回復を促したばかりでなく、かれの哲学思想に深い影響をおよぼした。

    1861年 … 19歳
    画家になることを断念し、ハーバード大学のローレンス・サイエンティフィック・スクールに入学、化学の研究を志す。

    1864年 … 22歳
    …… ウィリアムは化学から生物学に研究のテーマを変更し、ハーバード大学の医学部にはいった。

    1855年 … 23歳
    ……    探検隊に加わってブラジルに行き、翌年三月までブラジルにとどまる。その間に、自分の思索的な素質を発見して、哲学への関心を深めた。

    1868年 … 26歳
    …… この年の秋ごろから憂鬱症におちいり、深刻な精神的不安を体験する。

    1870年 … 28歳
    ルヌヴィエの「合理的心理学」における自由意志論に深い感銘を受ける。のちに、ジェイムズは遺稿となった「哲学の根本問題」に、

    「わたしは1870年代に、シャルル・ルヌヴィエのすばらしい多元論(引用者注、一元論的な決定論にたいする自由意志論の立場からのアンチ・テーゼをさす)の主張によって、決定的な影響をうけた。もし、かれの影響がなかったならば、わたしは、幼時からはぐくまれてきた一元論的な偏見を生涯脱却しえなかったかもしれない。そして、こんな書物は書かなかったかもしれない。わたしは、ここに、深い感謝の念をもって、この本を偉大なルヌヴィエの霊に捧げたい」と書いた。

    1872年 … 30歳
    憂鬱症はようやく回復に向かう。……

    1873年 … 31歳
    …… ほとんど精神的健康を回復。

    "… " は 「中略」を示す。筆者によって、漢数字は0〜9の数字形式に変更されている。
    中央公論社 世界の名著 48 、パース、ジェイムズ、デューイ より



■ジェイムズの年表の引用について筆者の雑感



こうして引用をする中で、以前見た時は見落としていた興味深い記述を見つけ、関心を新たにしているが、筆者がこの記事で触れたいテーマについてまずは消化したく思う。

この年表の中で 目立つ存在として名前が出てくるのは、シャルル・ルヌヴィエである。ジェイムズは、ルヌヴィエの書物のおかげで26歳に始まったとされる憂鬱症を乗り越える契機を得たようである。
ルヌヴィエについては、また別の機会に触れたい。


ジェイムズの 26歳に憂鬱症が始まり、
28歳にルヌヴィエの書物に感銘を受け、そこから次第に回復が始まる。
30〜31歳には、大分肉体的・精神的に回復を遂げたようだが、それはただ単に25歳までの健康を取り戻したというより、それ以前とは「桁の違う精神的、内面的な力」を新たに獲得した状態に入っていったものだと筆者は考える。


■ジェイムズの生涯と、ポケモンの進化モデルの対照、キャタピー →トランセル →バタフリー型の進化モデル




(以下は、筆者の古いポケモンの知識に基づいて書く。筆者は、ポケモン初期のシリーズの経験しかなく、以下に記載するポケモンの進化モデルなどの理解、見解は 全て ポケモンのごく初期作品である「ポケモン赤青緑シリーズ」の知識に基づく。以下に記載のあるポケモンの記載は、読者のポケモン最新情報と照らし合わせると、「更新されていない時代遅れの記載」と目に映るかもしれない。
そのような事情があるのだが、ポケモン初期の知識を応用した以下の記述に、読者の方が"協力者"として読み進めていただけると筆者としては幸いである。)


ポケモンで例えて言うと、ウィリアム・ジェイムズは、25歳まではキャタピー(芋虫、幼虫)だったが、
26歳にトランセル(蛹 さなぎ、攻撃や積極的行動において完全な無力状態) に変貌し、

その後28歳にバタフリー(成虫、成熟状態)へと進化した、という ポケモンの"進化モデル"と共通点や類似点があると筆者は思う。
(進化モデルという表現が適切か迷いもあるが、ひとまずそう呼称する。)

これは 他のポケモンの、
ビードル(蜂の幼虫) → コクーン(蜂の蛹 さなぎ、トランセル同様、"かたくなる"以外、取りうる積極的行動手段があまりない。) → スピアー(蜂の成虫、強い状態)   の進化モデルに置き換えても良い。


■完全変態モデルに対する、不完全変態モデル、コンパンの例




しかし、2段階目の トランセル(蝶々の蛹) や コクーン(蜂の蛹) など「蛹状態を通過しない」、他の進化モデルを、このウィリアム・ジェイムズの人生推移に当てはめるのは妥当ではない、と筆者は考える。

例えば、コンパン(蛾の幼虫ポケモン) → モルフォン(蛾の成虫ポケモン) の進化モデルは、途中に「無力」の蛹の状態をはさまない。
このコンパンの進化モデルは、昆虫で言う、「不完全変態」にあたる推移の仕方である。

■完全変態モデルと、不完全変態モデルの対照



学研のポケット昆虫図鑑に、セミ 蝉は 「不完全変態」で成虫に変貌する種である、と書いてあったように筆者は記憶している。

セミは幼虫(飛べない状態)が地上に出てきてから、成虫(飛べる状態) に変貌するために、脱皮のためにほぼ身動きのとれない「脱皮・変態状態」に入る。この「変態状態」は数時間程度で 完了するが、こうした数時間ほどで完了する「変態」は、比較的短期間のもので、完全に無防備な姿を晒す時間は短い。

「完全変態」は、無防備な状態でいる期間が長く、強引に人間に例えると、(奇妙な表現に聞こえるかもしれないが、) それは 「無防備、無力化される状態」に役所で住民票を登録変更し、そこから新たに進化していく場合は、その時も新たに役所で住民票を「成熟した状態」へと登録変更するようなイメージである。
結果として、該当者は、
第一の居住地 → 無力状態の地 → 成熟の地 という 3つの居住地の登録履歴を持つ。また、3つの居住地の生活を知る。

「不完全変態」は、「無防備、無力化される状態」への住民票の登録変更は無く、ただ1〜2時間の間、役所の手続きを役所内の待機所で待たされたり、すぐ近くで数時間ほどの時間をやり過ごす必要に迫られる、というイメージである。
第一の居住地→ 成熟の地 という2つの居住地のみの登録履歴を持つ。2つの居住地の生活を知る。



「無防備、無力状態での生活を知る者」と、「無防備、無力状態での生活を知らぬ者」の差異が、
完全変態モデルと不完全変態モデルにはあり、

(完全変態)キャタピー → トランセル → バタフリー
(完全変態)ビードル → コクーン → スピアー
に対して、

(不完全変態) コンパン → モルフォン
は、似ているようで、本質的にかなり異なる性質を持つ。


■漫画ヒカルの碁について




漫画・ヒカルの碁において、幽霊の佐為に取り憑かれた進藤ヒカルは、その影響から囲碁において成長を進める。ヒカルは、無邪気に囲碁を楽しみ、囲碁にのめり込んでいく。
これは、ポケモンのキャタピーやビードルの状態である。元気に快活に動く幼虫である。

しかし、ある時に佐為は念願を遂げて、不意にヒカルの元から完全に消え去る。ヒカルはその唐突な出来事に当惑する。佐為を当然の存在と思い、時として軽んずるような発言をしていた自身を「バカだ、俺」と振り返って悔やむ。
それ以降、ヒカルには、それまであった無邪気な快活さは失われる。

結局、佐為はそれ以後、姿を見せず、ヒカルは、「俺が碁を打たなければ佐為は戻ってくるかもしれない、という気がする」ということで、囲碁を避けるようになる。

囲碁の仲間が、特に和谷などは、そうしたヒカルの様子が腑に落ちず、善意からヒカルを囲碁の道に連れ戻そうとするが、ヒカルは「和谷から走って逃げていく」など、どうしても囲碁の道に戻れない、行き場のない閉塞的な状態になる。

上記の、行き場のない閉塞的な状態というのは、
トランセルや コクーンの 「戦いの場に身を置くはめになっても、攻撃手段が一切なく」、 「"かたくなる" しか 技を持っていない」 という状態に似ていると筆者は考える。

その期間の長短はケースごとに大きく異なる。数週間、数ヶ月や数年というケースもあり、長い場合は十年や数十年、そうした消極的な境遇に追いやられる、というケースもあるように筆者は考える。


■コイキングについて




これは、また、コイキング(弱い)→ギャラドス(強い)の進化モデルの、 コイキングの完全無力状態とも似ているが、
(コイキングは 「はねる」しか技を持たない。)

しかし、コイキングは最初から一貫して、かなり完全な無力状態で、キャタピーやビードルのような「幼い割にけっこう戦える」という状態を知らない。そうした状態を経験していない。


ジョジョの奇妙な冒険・第5部の「プロシュート、ペッシの兄弟」の 弟のペッシは筆者の見立てでは「コイキング→ギャラドス型の進化モデル」である。
(無力状態でのスタート → 成熟状態への唐突で短期間での変貌という 不完全変態のモデル)

ペッシは、筆者の目からすると、どうも物心ついた頃から心が弱々しい。しかし、兄プロシュートが自身の実力を最大限に発揮する闘い(対ブチャラティ) において弟のペッシに対して見せた心の力の強さを目撃した事が契機になって、ペッシは突如として、手練れのブチャラティが動揺するような心と技術の強度を発揮するようになる。

ペッシの成長、進化は、急激で唐突なもののようであるが、筆者は人生経験の慎重な観察から、人間の内的な力の成長は、驚くほどのごく短期間でなされるケースが多々あると考えており、このペッシのケースは、創作物の中の話であるが、決して実際的なリアリティを欠いているとは感じない。

これは、植物の地中に蓄えられた栄養と根の増大が、ある時までは他者に全く観察できないが、ある時を境に、急激に結晶化・具体化し、地上に進出するケースに似ている。

■変態現象における地下茎の力の蓄積と、急激な結晶化



この、「地下茎における栄養や力の蓄積が、人間の肉眼・心眼、両方の視力では視認することができない」という点に、人生における多くのドラマ、そして色々な不都合が発生する原因になっていると筆者は考える。

(この肉眼・心眼の両方を用いても「視認性が低い」事物、というのは人間にとって厄介なものである。)

地下茎の栄養と力の蓄積は、その本人ですら明確な自覚を完全には持つ事が難しく、本人も自身のそうした状態について半信半疑であるケースが多い。


この極端な例は、デカルトの20代前半(確か23歳?)に彼の身に起こった出来事であり、(筆者の理解が正しければ) 異国での一夜の宿にて、夜、突如として、彼の心の内に、大きな変化が発生した、と筆者は「ヴァレリー集成」の中でヴァレリーが描写する文面を読んだ。この変化は一夜の間になされ、正確な時刻の描写は思い出せないが、例えば夕方6時から夜12時ごろの6時間、または翌朝までの12時間ほどの間に、彼の一生を大きく区切る断層か生まれたようなのである。

以上の描写からして、デカルトは、一時的な短期的 (数時間〜半日程度の長さの)「変態」を伴う、「不完全変態タイプ」であり、2〜3年の長期的な変態を伴う「完全変態タイプ」のウィリアム・ジェイムズとは、カテゴリーを異にする、と筆者は考える。


■再び、ヒカルの碁について  和谷について




ヒカルは、キャタピーに相当する時期に、戦いにおいて活躍を見せ、囲碁部のメンバーや、院生のメンバーとの交流を持つ。和谷や伊角は ヒカルと心の交流を持ち、和谷はそのゆえに、トランセル化(蛹化) したヒカルを不可解に思い、強引な交流を持とうとして逃げられる。

和谷は、作中の全体を通して、極端な進化や変態を身に持たない、「進化なし」のモデルに近いと筆者は考える。

和谷の進化モデルは、ポケモンで言うと、
ポケモン赤青緑における、ガルーラ、カビゴン、ラッキー、ケンタロス、カイロス などに相当するもので、基本的に単純な右肩上がりの素直なスロープ状の成長曲線を描く。
劇的な進化をすることはなく、最初から割と強い。

劇的な変化が、和谷の成長曲線の中には用意されておらず、その経験がない(更に今後もそれが道の途上に準備されていない) ために、順調な成長をしていたヒカルの突然の態度の変化に戸惑い、困惑する。
ヒカルは、無邪気な幼虫時代に、自身の成長モデルと異なるカテゴリーの親友(和谷など)と深く交際を持ち、ヒカル自身が望まずに、蛹の時代に入ると、かつてのヒカルを知る親友(和谷)との相互理解の難しさによる困難に苦しむ。

ヒカルの場合は、佐為という幽霊の存在が、ヒカルの説明不可能性を強めるが、現実世界の色々な人間関係でも、類似の現象は多々あるように筆者は考える。

自己の内面や心模様の急激な変化を今までの友人にうまく説明できず(そもそも説明力以前の問題で、本人自身、自己の内面を捉えきれない。)、

また、成長モデルの違いからか、相互に理解を持つことの困難が立ちはだかり、片方は前までの道に相手を連れ戻そうとすることも起こり得るし、片方は相手にとって不可解な沈黙と共に関係を疎遠な方向に傾ける消極的姿勢をとる、というケースは、現実の世の中で筆者の観察では色々と発生しているように感じられる。

この和谷とヒカルのケースにおいて、和谷は全くの善意と友情から行動をしていて、人生の不思議な点として、その善意から起こされた行動がかえってヒカルを悩ませるのである。和谷が悪意、邪念、害意から行動している場合、かえってヒカルにとっては取るべき行動方針が容易に定まるように筆者には思われる。
これは、武者小路実篤の小説、「真理先生」の中の一場面にて、絵描きの"馬鹿一"が主人公に対して語る内容と似ている。"馬鹿一"は、友人・知人の"真理先生"からの全くの善意・好意からの提案に当惑、困惑し、内心悩まされている心理状態を主人公に語る。
以下の会話がある。

  • 引用、「好意で言ったのでしょう」
    「好意だからいけないのだ。悪意なら始めっから問題にはしない。」
    (日本の名著、中央公論社、20巻、武者小路実篤  p311から)


(和谷は国際戦の北斗杯のあたりから周囲の成長に焦燥を覚え、作品の終わり際には中国での武者修行への道を想起させるシーンがある。もしかすると、コンパン→モルフォン のような 進化モデルを、作品の終結後の未来で実現するかもしれない。)


■再び、ヒカルの碁について  伊角について



伊角は、途中から煩悶を抱く。院生をやめ、囲碁道場をやめる。ヒカルや和谷など気心の知れた仲間とも、交流が疎くなる。和谷とヒカルは、途中からある期間、伊角について、人から消息を聞く以外、状況を知ることができなくなる。
伊角は、筆者の目からすれば、伊角はヒカルと同じ、
キャタピー → トランセル → バタフリー と進む完全変態の進化モデルである。

途中に完全変態を挟んだ進化モデルの成熟体は、上記の和谷の「素直なスロープ状の成長曲線モデル」の成熟体よりも、実力において一段高いものになることが多いのではないかと筆者は考える。

筆者の目からすると、ヒカルの碁の終了時点で、ヒカルの同年輩の実力者を見比べると、

ヒカル、塔矢アキラ の力は抜きん出ているが、
その次に当たるのは、社(やしろ)、そして社と同等レベルの水準に伊角がいるように感じる。
(カドワキ、越智、本田、和谷… と続く。)

(カドワキは、佐為に完敗して心を入れ替えて精進するが、これは無力状態を長期間経由しない不完全変態モデルで、コンパン→モルフォン型である、と筆者は考える。)


伊角の特徴的な点は、ヒカルと共通した「無力状態」を経由する「完全変態モデル」であると共に、ヒカルの「無力状態、蛹状態」から次の成虫の段階に変貌する手助けを直接的に(意図せず)行なっている点である。

ヒカルは誰とも囲碁を打たない、という決心をしているが、伊角の「お前(ヒカル)のためじゃなくて、俺のために一局打ってくれないか」という伊角の言葉に動かされ、囲碁を打つ。その一局がヒカルに心の変化を与え、ヒカルは以前とは違う心で、新たに囲碁の道を歩む決心をする。
(ヒカルの、トランセル状態(蛹状態)から、バタフリー状態(成虫状態)への変化に相当する。)


(余談だが、伊角がアニメ版で(漫画版に相当するシーンがあるかわからない。)名瀬、和谷などとヒカルについて話すシーンがある。
ヒカルの様子を「どうだった?」と聞く相手に対して、伊角は「わからない。ただ、なにかふっきれたみたいだ。」と話す。この場面は、伊角の内面的な深さが現れていると筆者は考える。

ヒカルが「どのような理由」で囲碁を離れていたのか、などは伊角の念頭に置いて重要性を持っていない。伊角は、自身の経験を元に、ヒカルの心の中を「忖度して」(現在流行中の語法でなく古い語法の"忖度") 、その心模様をよく把握しているように筆者には感じられる。)


■再び、ヒカルの碁について  本因坊・桑原について



本因坊(囲碁のタイトル)の桑原は、ヒカルの(多くの人にとって)不可解な長期休養について、「迷いも苦しみも必要だ。」という旨の発言をして、理解を示している。
これは、桑原が、描写は無いが「完全変態タイプ」の人生経路を辿ってきたか、自己のタイプを超えた包括的な人間理解の力を得るに至っていることを示す、と筆者は考える。
(こうした包括的な人間理解の力を「全人的」「全人性」と呼んで、そう間違っていないのではないか、と筆者は思っている。)

■総括的、3つの進化モデルの列挙と、自己の非所属カテゴリーへの理解の困難



①最初から最後まで急激な変化(変態)を経験しない、右肩上がりのスロープ状のタイプ(非変態タイプ)

②ほどほどな強さの幼虫状態から、ある時に進化し、成虫になるタイプ (不完全変態タイプ)

③幼虫状態→無力な蛹 さなぎ状態 → 強い成虫と移行するタイプ (完全変態タイプ)

他にもタイプはあるだろうが、ひとまずは以上の3つのタイプがあり、「ひとつ桁の違う水準の内的洞察」を得ない内は、「自己の属するタイプを支配する力学が、全ての人間を支配していると思いがちである」、と筆者は考える。

①の、「非変態タイプ」の和谷は、③の「完全変態タイプ」の ヒカルや伊角の途中の状態について理解できない。「わかんねーな、伊角さんも。あんな対局、早く忘れちまえばいいのに。」というような口ぶりや心持ちにおける「理解のできなさ」は、ヒカルや伊角の ある時期の心模様に対し、継続的に続くものである。


■最後に、神谷美恵子さんの著作内の「2回生まれ」という言葉について




ついでながら触れておきたく思うことがある。
神谷美恵子氏の著作集は優れた内的洞察を多く含んだ優れた著作集だ、と筆者は感心するのだが、その内の一冊の中に「2回生まれ」という言葉がある。

文面があまりに長くなりつつあるので、簡略に言えば、上記の、ウィリアム・ジェイムズ、進藤ヒカル、伊角の 「完全変態現象」や、ペッシ、デカルトの「不完全変態現象」と重なるものと言ってよいと筆者は考える。




■ ここまでです。

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