断片集、つぶやき集12 イチローと矢沢永吉は違う領域に住むが、互いに通じ合い、話し合える。
断片集、つぶやき集12 イチローと矢沢永吉は違う領域に住むが、互いに通じ合い、話し合える。
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(以下 所々、敬称略)
イチローと矢沢永吉は、それぞれ野球とロックバンドの世界の人で、基本的に住んでいる世界が違うと言えるかもしれない。
この2人は対談して、ずいぶんウマが合っているように自分には感じられる。
専門とする領域が違っても、その専門領域に対して持っている「心構えが似ている」場合、波長があったり、何かと話が通じあったりするもののように感じる。
逆に、専門とする領域が同じでも、その専門に対して持っている心構えがずいぶんと違っていると、表面的には話が通じ合うように思えても、深い部分や内面的な部分では何かと話が噛み合わないものが出て来やすいのではないかということを思う。
野球部に所属しているが、正直あまり野球に深入りせずにゆるくプレイし続けたい、と思っている学生は、すべてのエネルギーを野球に注ぎたい、と思っている学生とはあまり話が合わないのではないかと思う。
あまり野球に深入りせずにゆるく野球をプレイし続けたい、と思っている学生は、サッカー部に所属しているが正直あまりサッカーに深入りせずにゆるくサッカーをプレイし続けたい、と思っている学生と話がよく噛み合うのではないかと思う。
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空挺ドラゴンズという漫画の9巻か10巻位で、ソラヤという登場人物が、他の登場人物に、「眠れなくても目を閉じているだけでもずいぶん休まるぞ」という意味のことを話している。
最近、地球ドラマチックという番組の録画を見て、動物の睡眠の話をしていた。
ある種類の動物は人間と同じやり方で睡眠を取るらしく、眠っているときに、レム睡眠とノンレム睡眠とが交互にやってくる仕組みになっているらしい。
レム睡眠というのは、ラピッドアイムービング睡眠ということで、睡眠中に眼球が高速で動き続ける状態を指すらしい。
ノンレム睡眠は、睡眠中に眼球が停止している状態を指すらしい。
地球ドラマチックの中では、眼球が停止していると、脳や体の休息はよく取れるのだけれど、だんだんと脳の温度が低下してくることが問題で、脳の温度がある温度よりも下になってしまうと何かと問題があるという説明をしていたように思う。
それなので、眼球が停止している睡眠は疲労回復には良いが、まとめて長く実行することは問題があって、ある程度でモードを切り替えて、眼球を激しく動かすようにして、そうすると眼球の動きに連動している脳がだんだんと温度が高まっていって、脳の低温による弊害の問題を回避できるという話をしていたように思う。
自分はこの話を聞いて、お風呂の湯沸かしに似ていると感じた。
眼球や目の活動は、脳とダイレクトにつながっているようで、最初に触れた「目を休めると熟睡しなくてもだいぶ休まるぞ」という話は、実際的で内容があるコメントのように自分には感じられる。
眠る
→ 眼球停止睡眠(体は休まる、脳の温度下がる)
→ 脳の温度が下がりすぎると まずい
→ 眼球稼働睡眠(体は休まりは減るが、脳の温度は上がる)
→ 脳の温度が結構上がる(風呂の湯沸かしに似ている)
→ 再び、眼球停止睡眠
というサイクルなのか、と理解している。
脳の温度を上げる活動は、陶器を焼く人などの、窯の温度を夜通し、下がりすぎないように寝ずの番人を立てて、時々、吹いて温度を高める作業にも似ている気がしている。
大雑把に言うと、温度がある温度を下ると、窯はダメになってしまうらしい。
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チャーチルがドラッカーの書いた文章に感銘を受けて、ドラッカーの書いたある本を、イギリス軍の標準装備の中に含ませた、という逸話は興味深いものに自分には感じられる。
第二次世界大戦に関連してのエピソードである。
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弓矢の数が限られていても、心が整頓されていて、技術が高められていれば、少ない矢の本数でも、的確に的を射止めていくことができるはずである。
例えば時間において、リソースが限られていても、的確に的を止めることができると良い。
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懸案事項が解決されなくても、何かしらの形で「気が済む」ということが得られると良い。
「気が済む」と、問題が実際はたいして解決されなくても、「自分の中では問題がなくなる」(問題がある、という切迫感が解消される) というケースが時々あるように自分には感じられる。
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永遠の微調整、という言葉を、テレビの対談番組で耳にした。
歌手のUAさんと、政治学者の中島岳志さんの対談で話していた。
中島さんの言葉の中で、UAさんが印象に残る言葉として挙げていて、UAさんは歌詞にもその言葉を取り入れたことがある、という。
この言葉は自分の印象に残っている。
生活の中で自分がいろいろなあった事柄に対処していくということを続けている中で、この永遠の微調整、という言葉は時折自分の心の中に印象深く改めて思い出される。
サッカーの試合を、ボールの動きを負わずに、誰か1人特定の選手の動きを目で追い続けていると、
「トップレベルの選手は、実に微細な立ち位置の調整をずっとずっと続けているものだ」 ということに気づく。
例えば、クロアチア代表のモドリッチや、フランス代表のグリーズマン(グリエズマン)を追い続けるカメラでの映像をずっと見ている際に感じた。(アベマのカメラアングル変更で2022年ワールドカップにおいて、視聴した。)
こうした、トップレベルの選手の映像の、「微細な立ち位置の微調整の連続」というものをじっと眺めていると、その時にも自分は、この、永遠の微調整、という言葉を思い浮かべる。
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地学の図録を見ていて、三点法というようなことについて書いてあった。
地震が発生した際に、3つの異なる地点で観測ができると、それぞれの揺れの強さの度合いを照合することで、地震の震源が推定できるという話であった。
こういう話は、他のいろいろなことでも似たことがあるのではないかということを思っている。
3つのヒントがあれば、それを吟味することで、おおよその検討や答えが推定できるようになる、というケースは、地震の震源特定以外にも何かとあるのではないかということを思っている。
ここまでです。