You can (not) advance.

15年ほど前の話である。


18歳だった俺は、実家から程よく離れたとある大学に進学して一人暮らしを始めた。

当時の同人界隈は東方ジャンルがにわかに台頭し始め、ニコ動の黎明期にあたる頃。
そしてmixiでたくさんのオタクが繋がり始めた頃でもある。

その頃、俺は自分もこれから先に広がるオタクの時代の巨大ビジネスの一端に、自分がいると信じて疑わなかった。


中学の頃からの仲であり、絵を描いていた親友がいた。
その名前は明かせないが、まあ今でもぼちぼちな有名人である。
俺はそいつとサークルを作って活動をしていた。

俺はシナリオライターを目指していた。
自分には絵を描くほどの技量は無くて、その頃夢中になっていたエロゲのシナリオライターを本気で尊敬していたからだと思う。

俺が物語を作って、相方が絵を描く。
そしてそれがゲームになって界隈中に自分たちの名前を刻む。
そんな日が現実になることを夢見て、俺は日常にある自らの時間や僅かばかりの金を全て活動に注ぎ込んでいた。

しかし、サークルの瓦解は結構早かった。
ちょうど世間のオタクというものの認知が変わり始めた頃である。
どのイベントでも参加する度に来客数が倍々に増えるようになっていた。
俺は東方ジャンルが起点だったと記憶しているが、即売会に足を運ぶオタクもずいぶんと失礼な(当時の俺はそう思っていた)客層が増えた。
本を出しているサークルの売り子に本も買わずスケブを頼んだり、色紙をいくらで譲ってくれだの、到底その頃の常識からはかけ離れた輩が寄りつくようになった。
俺はその場で口論になる程度に怒ることが多かったが相方は違った。
2ヶ月かかって製本した500円の本より、その場で10分程度で仕上げて渡す色紙を2-3000円で売り払う方が儲かる。そして何より自己肯定感や顕示欲を満たせただろう。
相方が本を作ることにいい加減になり始め、イベントで目立つことばかり考えるようになった。

「うるせえな。ならお前も少しくらい儲かること考えろよ」

それを耳にして、俺は数年来の親友と縁を切った。
親友の振る舞いに付き合いきれず離れていった絵師の多くを引き連れ、俺は以降自サークルを別に設立して道を違えた。

だが、俺はそこから別に何かを成せたわけではない。
相方はそこから更に商業に食い込み、知らぬ間に出世していった。
俺はたくさんの仲間に恵まれたが、時間と共に一人一人離れていき、俺自身の環境も限界を迎えた。
実家との折り合いも悪くなって大学を中退して編入し、同人活動から強制的に遠のく環境に身を置いてひっそりと界隈から姿を消した。

もう随分と昔の話である。


その頃の大学時代の友人に当時の俺の話を聞くと、無茶苦茶な奴だったとよく言われる。

頭がおかしい、現実を見ていない、夢見がち、狂ってる……

当時の俺はそれを最高の褒め言葉だと思っていたが、今は苦笑いをして「そんな昔の話は忘れた」と言っている。
そして多くの友人は「お前も丸くなったよなあ」と感慨にふける。

その後大学を卒業してすぐに研修医、大学院へ進学して博士まで取得した。
気がつけばもう30代だ。必死に現実に食らいついていたら夢なぞ追うような歳ではなくっていた。

だが、まあ現状に不満はない。

ここに至るまで言うまでもない努力はしてきた。
人並みの仕事、生活、恋愛、人間関係を一度枠組みを外れた人間が取り戻すのは、まあ控え目に言って地獄でしかない。
今でもどこかで周囲の人間との違いを感じて、本来は抱える必要もないストレスに苛まれることくらいある。
ただ、それだって別に俺だけが特別なことじゃないだろう。

たまに果たせなかった夢を思い出す時もある。
しかし、それが自分が本当に望んでいたのかはわからない。
エロゲはソシャゲの影響で衰退し、ほぼ死に体のジャンルになった。
多くのエロゲライターはラノベやアニメの業界に転職し、多くの規制の中で有象無象の作品を作るだけで当時の輝きはもうない。
あの頃神様だと思っていた著名人の多くは行方知れず、生きているか死んでいるのかもわからない。

むしろ、俺は運良く普通の人生に戻ることができただろう。

大学や専門学校を留年したり中退したり、バイトもままならず親のすねかじり、引きこもり、仕事をクビになった、そんな人たちも業界の中で多く見てきた。
一人一人全く違う環境の中に生きていて、それでも同じ夢を見ていたというだけ。
その後の彼ら彼女らがどうなったのか、聞き及ぶ範囲ではろくでもない。
だが、それも俺がそう思うというだけの話で、その人自身がどう思っているのかまではわからない。
ただ、何となくもう少しやりようはあったかな、と思う程度だ。


全く意図していなかったが、その後メイド喫茶に通うようになって、昔の自分と同じような女の子と関わることが多くある。
彼女たち一人一人を見ていると、嫌でも昔の自分を思い出す。
夢やその方向性は違えど、その気持ちはわかるつもりでいるし、考えていることもある程度察するところはある。

昔はもっと過激で失敗ばかりしたし、今でも俺はそういう共感や同情の使い方が下手くそだ。
キャストなぞ所詮他人の人生と思う一方、でも自分のように生きるのは自分だけでいいと思ったりする。

俺らはこうなってしまったが、君の人生はどうなるかわからない。

そんな投げやりな言葉もかけられるだろうが、残念ながらこの歳まで生きてみてタイプ別のキャストの生き方の統計を見ていると、ほとんど予想の範疇というデータは揃っている。誤差もほとんどない。

だからだろうか。
俺は何を言えばいいのかわからなくなることも多くなってきた。
他人の意思なぞ他人が変えることは容易ではないし、データがどうのこうので人間はそんな簡単に自分の生き方を変えられるほど賢い生き物ではない。
結局自分でその時その時選択して、成功や失敗を自らで受け止め、教訓として生かしていくことでしかやりようがないのだろうか。自分自身がそうだったように。


ただ、出来れば修正できる範囲内での生き方がいいと俺は思う。
俺は運の要素もあったが、最低限運を取りこぼさないだけの努力はしてきた。
結果路頭に迷うことはなかったし、何となく次の自分の幸せを考える程度の余裕はある。

生きてるだけいいなんて、そんなことはない。
生きていて夢や幸せを考える余裕くらいがなければ、生きている意味があるのかわからなくなる。
後悔なぞ少ない方がいいし、幸せは多いに越したことはない。
固執するものも少ない方がいい。
今目の前にあるものがなくなったとて、次生きていくだけの環境の控えがあればいくらでもやりようはある。

そんな簡単なことに気付くのに、俺は結構時間がかかった。
特に俺は長いこと自分は特別だと思い上がっていた側の人間だったし、他人の言葉を素直に聞かない人間だから尚更だと思う。
それが良かったのか悪かったのかはわからないが、他人に説教を垂れる程度には教訓として得るものがそこそこあった。
そしてそれが何となく生かせそうな場が、巡り巡る因果の中で目の前にあったりする。

悪いとは思いつつ、俺が一人一人の生き方に口出しなり嫌味を言うのは、こんな理由からだったりする。
それに本当に意味があるのかどうかはわからないが、いつか思い返してその人の人生の役に立てたならいいと思う。
それくらいしか自分にできることはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?