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"水底吹笛” しょっぱい川で聞いた話/気まぐれ雑記

『海での時間』というテーマで思い出したことがひとつ。たまに真面目なノンフィクション・エッセイを書いてみるのも悪くないかもしれない。


いまから5年前の3月。時刻は午前5時。
北海道南西部・福島町の漁港から、一艘の釣り船が沖合へと移動を始めた。
日の出まではまだ1時間。周囲は薄暗いが、日が昇れば津軽海峡の向こうに青森県の竜飛崎が見えてくるはずだ。

釣り船は軽快なエンジン音を響かせながら、凪の海面を滑るように進む。船上には操舵室で舵を切る船長のKさんと、カメラマン、音声マン、そしてディレクターの私の4人。乗り込んだのは釣り船だが、「釣り番組」の撮影ではない。津軽海峡の底をつなぐ「青函トンネル」の成り立ちを辿るドキュメンタリーの取材である。

実は船長のKさんは、青函トンネルを掘り進めた『トンネルマン』の一人。それも、青森側と北海道側とが初めてつながる際の先進導坑発破の指揮を執ったほどの中心人物。この年の3月26日に北海道新幹線が開通するのに合わせ、元トンネルマンの思いを聞こうと、この日の取材をお願いしたのだった。

取材とは言え、遊漁船のチャーター料金をお支払いしたこともあり、Kさんはポイントを定めて船べりから仕掛の釣り糸を垂らしてくれた。ほどなくして、ヒットの気配。巻き上げると澄んだ青緑色の海水面から、色鮮やかな大型のメバルが次から次へと姿を現し、船上でビチビチと跳ねる。

青森と北海道との距離が一番狭いところでわずか20キロという津軽海峡は、かつて「しょっぱい川」と呼ばれていた。幅が狭いため海流の流れは速く、海の難所でもあるが、絶好の漁場でもあるのだ。

その後、さらに沖合に出たところで日が昇り、周囲が良く見渡せるようになった。Kさんが語り始める。

「ここがちょうどトンネルの真上だね。あれが竜飛崎。こっちが(福島町の)吉岡」

「両方見渡せる。近いんですね」と私が言う。

「近いけど・・・、遠かった。このあたりがちょうど、一番大変だった」

Kさんはトンネル工事にかかった20年の歳月を辿るように、しばし海面を見つめた。つられて私も海面に目をやり、最大水深450メートルという海の底を思った。


Kさんが北洋漁業の漁師からトンネルマンに転身したのは、トンネル工事着工の1964年。この年は東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した年でもある。

トンネル工事は素人のKさんだったが、漁師として海と向き合った経験を買われ、先進導坑の掘削担当に任命された。その真の意味が分かったのは数年後、大掛かりな『異常出水』が発生した時だった。暗いトンネルの底で、胸まで海水につかりながら毎秒80トンともいわれる出水を食い止めようともがいた。工事の本格再開には1年もの期間を要し、工期はどんどん長引いて行った。

「・・・それでもさ」

Kさんは海面から目をあげるとつぶやいた。

「北海道に新幹線を、というのが私らの合言葉だったからね」

長い工事の間には不幸な事故もあった。Kさんは信頼する上司、同僚、可愛がっていた後輩の3人を事故で失った。Kさんの心にはそのたびに苦く、重いものがのしかかっていった。

「あの竜飛崎にはさ、慰霊碑があるのさ。あの人たちのためにも、トンネルは完成させないとダメだと思ったね」

ふいに私の脳裏に『水底吹笛』という言葉がよぎった。
学生時代に合唱をやっていた人間なら誰もが知る『方舟』という合唱組曲の中の1曲である。詩人・大岡信氏が18歳の時に書いた詩に、木下牧子氏が曲をつけたもの。その一節を思い浮かべる。

「水底吹笛 三月幻想詩」より抜粋                  がらすざいくのゆめでもいい あたえてくれと
うしなったむすうののぞみのはかなさが
とげられたわずかなのぞみのむなしさが
あすののぞみもむなしかろうと
ふえにひそんでうたっているが

直接の関係があるわけではないが、『海の底』の重く、無慈悲なイメージが私の脳内に広がる。その後もKさんにはトンネル掘削にまつわるエピソードを伺ったが、津軽海峡の波の上、トンネルの直上で聞く話はどれも感慨深いものだった。

2週間後、北海道新幹線開通の日。Kさんは福島町内の北海道側トンネル出口で第1号の新幹線を待ち受け、歓喜の雄たけびをあげた。着工から50年余り。Kさんにとってはこの日が青函トンネルの完成した日となった。


4月。私はその北海道新幹線にのって、青森県・竜飛崎を訪ねた。慰霊碑を参拝した後、竜飛崎灯台に立つ。遠くにかすむ、北海道の陸地。その前に横たわり、うねる海。その時に感じた思いを100%表現できる言葉を、私はもっていない。

「新幹線を北海道に」

そんな思いで『しょっぱい川』の下で果敢に戦った男の話を、トンネル直上の海で聞いた。いまの私にできることと言えば、海の底を思いながら、折に触れてそのことを誰かに伝えていくことくらいが精一杯なのだけれど。


<終>


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