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【#才の祭】「おばあちゃんの『エーアイ』」/連作短編「お探し物は、レジリエンスですか?」

家を出がけに母は、そろそろお願いね、と言った。そろそろいかなきゃ、とは私も思っていた。だがこれまで、なかなかあちらに向かう用事がなかったのだ。

・・・というのはやはり言い訳で、正直なところ、勇気が出なかったのだった。

84歳で祖父が亡くなってから半年。親族だけのコンパクトな葬儀を終え、49日を済ませるまでは私も母も、祖母のもとに足しげく通ってなにかと世話を焼いた。だが、そのうちに怖くなってしまった。

祖母の背中が日に日に小さくなっていくように見え、遠からず消えてしまうような、そんな不安を振り払うことができなくなったのだ。

2週間ほど前から母は、

「ユリは『おばあちゃん子』だったじゃない。ね、お願い。元気づけに行ってあげて」

と私に両手を合わせて拝みながらいうようになった。茶の間でちんまりと正座する祖母に一言も声をかけられず、ただただ立ち尽くしていた母の後ろ姿を見ていただけに、断る言葉も見つけられなかった。

社会人になって3年。失敗して落ち込んだ時に、甘ちゃんの私は祖母を頼り、さんざん励ましてもらったものだ。その恩は返したい。だが、私なんかができることはあるだろうか。

仕事が早く片付いた今日こそは。思いながら会社を出てところでスマホが振動した。祖母からのショートメッセージだった。

「ユリちゃんにもらったエーアイ、役に立ってます。ありがとね!」

は?エーアイ?AIのことだろうか?思い当たる節がない。・・・まさか、認知症?

「おばあちゃん!どこ?おばあちゃん!」

とるものもとりあえずタクシーで駆け付けた私は、母の実家=祖母の住む家に上がり込むと慌てて祖母の姿を探した。

「あらあら、ユリちゃん!どうしたのそんなに慌てて」

台所にいた祖母はエプロン姿で居間に姿を見せた。

「おばあちゃん!」

「いまね、ちょうど煮物ができたから食べてって」

普段と変わらない祖母の姿に、ほっと胸をなでおろす。というか、1か月ほど前と比べると別人のように明るい。いったい何があったのだろうか。

祖母は食卓テーブルに、手早く2人分の夕食の準備を整えている。私は祖母のしぐさを見ながら、なにをどう話そうか考えていた。

祖母はそんな私の迷いを知ってか知らずか、煮物をよそった器をもって祖父の仏壇へと向かった。

「はい、きょうはトシアキさんのリクエストの煮物ですよ。ちょっと作りすぎたけど、ユリが食べに来てくれました」

トシアキさん、という名前にドキっとした。もちろん、祖父がそういう名前であることは知っていた。だが、祖母が祖父を名前で呼ぶのを聞いたのは初めてだったからだ。

ん?なにか違和感が。・・・やはり認知症?聞かねば。私は食卓の椅子から立ち上がり、仏前に向かった。

「おばあちゃん、『リクエスト』ってどういうこと?」

「あー、はいはい。エーアイがね、そういうから。ユリちゃん、ほんとありがとうね」

「エーアイ?エーアイってなに」

「あら、そこにいない人がしゃべったりするの、『エーアイ』っていうんでしょ?こないだテレビでいってたけど」

「ちょっと待って!おじいちゃんとしゃべってる、ってこと?なんだろう、ごめんね。私ちょっと混乱してる。どういうことなんだろう」

まさか変な宗教に取り込まれたのでは・・・不安は増すばかりだ。

「ユリちゃんが高校生の時にね、ここでよく受験勉強してたじゃない。単語帳をたくさん持ち込んで。あのとき余った単語帳をくれたでしょう?それを使ってね、エーアイをつくったの」

「エーアイを?つくった?」

ほら、みてちょうだい、と祖母は言いながら仏壇の脇に置かれた10個ほどの単語帳の中からひとつ取り、私に手渡した。

AI?これが?単語帳を開いてみる。ハンバーグ、カレー、サンマ、焼き鳥・・・無数の料理名が鉛筆で書き込まれている。

「それは晩ご飯のその1ね。晩ご飯はその3まであるの。あとは飲み物とか、見たい映画とか、お菓子とか、いろいろあるの。毎日、おじいちゃん、ううん、トシアキさんに聞きながらリクエストに応えてるのよ」

すごい。この人はすごい。この人の中ではトシアキさんは生き続けている。誰にすがるでもなく、頼るでもなく、自分ひとりの力でこの人は深い闇を越えたのだ。

「あらあらユリちゃん、どうしたの?涙が・・・。ティッシュ、ティッシュ!」

言いながら祖母は立ち上がると、居間へと向かった。涙でかすむ目でその背中を追いながら私は心の中でつぶやいた。

ヨシコさん、あなたのそれは「AI」ではありません。「愛」ですよ、と。


<終>


過去作ですが、この機会に参加させていただきますね!



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