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ショートショート「4階」/おせっかいな寓話

マンションも築40年を越えれば、そこかしこに古さが目立ち始めるものだ。開けるたびに軋むガラス扉。ところどころ欠けたタイル。薄ぼんやりと暗い蛍光灯。当然ながら、電子錠や監視カメラなどの防犯設備はない。その概念自体がないというべきだろうか。

22時を回っての帰宅はそれだけでも十分憂鬱だが、帰ってくる先がこのオンボロマンションだということが、さらにブルーさを色濃くする。料理番組では「追いガツオ」などという技法を聞いたことがあるが、憂鬱さを追加する「追いブルー」なんて言葉はあったろうかと自問する。

さらに嫌なことがもう一つ。このマンションのエレベーターだ。

籠が到着し、扉が開くまでが遅い。

扉があき体重80キロの私が乗ると、ほんの微かにだが、沈む。一瞬のことだが、底が抜けて落ちるような不安を全身で感じる。

あがる速度が遅い。お経のような機械音を発しながら、ノロノロとしか動かない。

だが、これらはまだいい。一番不愉快なのは、最近私が乗り込むと4階で必ず一度停止することだ。

私の部屋は6階。4階のボタンは押していないし、ランプも点灯していない。なのにこのエレベーターはきょうも無人の4階で停止し、気絶するほどの遅さで扉の開閉を実施した。

私の目に見えない誰かが降りたのだろうか。成人男性が3人乗ればもう満杯だというこの籠から?いや、もしくはいままさに、何ものかが私の隣か、背後で息を殺しているのだろうか。そこはかとない恐怖を覚えながら、私はいたたまれず『閉』ボタンを押す。慌ただしく何度も。結果的に、閉まる速度は変わらないのだと知っていながら。

最初は誰かのイタズラだろうかとも考えた。4階で『昇』ボタンを押した後、階段を上り下りするなり、4階の部屋に入るなりすれば、この現象は物理的に可能だからだ。だが、矛盾に気づいた。

マンションは数か月後に取り壊されることが決まっていて、この棟には現在、私以外の住人は住んでいないのである。私一人に対する嫌がらせにしては労力が大きすぎるだろう。

6階の自室前についた私は、ふと思いついた。階段で4階に降りてみようか。なにか手がかりがあるかもしれない。確かめてはいなかったが、ひょっとしたら4階の『昇』ボタンが押された状態のまま、ひっついてしまっているといった事情があるのかもしれない。

だが、深く考えずに4階に降りてきたことを私は即座に後悔した。夏だというのに産毛が総毛だつほどの冷気。他の階とは明らかに違う陰鬱な影。これはまずい。そう思って引き返しかけた時だった。

ペタン。

そんな音が下の方から聞こえた。サンダルの足音のようだ。

ペタンペタン。

音は続けざまに鳴り、階段を上がってくる。私以外誰も住んでいないはずのこの棟を。

ペタンペタンペタンペタン。

身動きもできないまま、音が近づくのを待つ中で、かろうじて動く右腕で、エレベーターの『昇』ボタンを押す。お経のような機械音が聞こえ始める。

ペタンペタンペタンペタン、ペタンペタンペタンペタン。

階段の足音は確実に近づき、すぐ傍まで来ている。早く、エレベーター、早く。思いながらもついつい、音のする方を見てしまう。階下からのその物体は、踊り場に黒い影を見せた。

あれはなんだ。子供?子供の後頭部なのか。頭は後ろ向きだが、体は前向き、という5歳くらいの子供が壁伝いに階段を上ってくる。私がいる場所との距離は2メートルまで迫った。

やめろ、やめろ。来るんじゃない!声も出ぬままに念じていると、その首がゆっくりと回り、前を向く。

穴という穴から血をたらし、かっ、と目を見開いたその子供は恨めし気に私の顔を見つめながら言った。

「みぃーつけた。次はお兄ちゃんが鬼だよ!」

・・・。

・・・・・・。

あれ、この子は・・・。

なーんだ、2週間前に私が殺した男の子じゃないか。かくれんぼを口実にこのマンションに引き入れ、首を絞めて殺害したのだ。そういえば、殺した場所がここだったか。

ちょうどその時、エレベーターの籠が4階に到着した。一時はどうなることかと思ったが、理由がわかったからには問題ない。

私はエレベーターに乗り込むと、ゆっくりと『閉』ボタンを押した。閉まる扉のガラスの向こうでは私が殺した男の子が、鬼のような形相でこちらを睨みつけている。

しばらくは不便が続きそうだが、引っ越すまでの辛抱だ。ゆっくりと動き出したエレベーターの籠の中で、私はそう考えていた。


<終>

この機会に自分で朗読しましたー!


当初、こちらの企画参加で書いた作品です。

新たに、2000文字ホラーに参加いたしますー!

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