"あの日の月とおんなじような"
「月が綺麗だよ」
そんな風に送りたくなるのは、やっぱり、愛おしく想える人だからなのだと思う。
月という生命体はなんだかとてつもないパワーをもっているように感じる。
2023年の中秋の名月は、偶然にも満月という、スペシャルなタイミングらしい。
あまりにも明るくて思わず空を見上げたら、まるくて大きな、今にもうさぎが飛び出してきそうな月が、わたしを優しく照らしてくれている。
悲しいとき、辛いとき、なんだかしんどいなぁというときは決まって空気の澄んだ夜で、そんな日はいつも、上を向いて、ただただ気の済むまで、月を眺めていた。
思春期真っ只中の頃、なにもかもに疲れ果てて、このままふわっと消えてしまいたいと思っては、ひとりベランダで涙したあの夜も、吐いた息も吸い込む空気も凍てついていて、"いっそのこと心まで真っ白に染まってしまえば良いのに"なんて思いながら、ひとりぼっちで歩いた駅からの帰り道も、どの夜も月が綺麗だったと思い起こす。
あの黄色いまんまるから放たれる凜と柔らかな光が、"大丈夫だよ"とわたしのすべてを肯定してくれているようで、いつまでも眺めていたくなる。
今夜もそうだった。心に靄がかかっていて、でもひとりでは晴れそうになくて、この気持ちをひとまず報告することにした。言葉にしようとすると、うまく伝えられないのがもどかしい。
でも、ふと、こんな憂鬱な日でさえも共有できるのって、とんでもない特権を手に入れたかのようで、悪くないなぁなんて思ったりした。
きっとこの先も、こんな夜を何度も繰り返すのだろうけれど、寄りかかれる誰かが居てくれるというだけで、こんなにも心が強くなれるのだから不思議だよ。
どこにいてもおんなじ月を眺められるということ。
こんなことを想いながら、今夜もまた眠るのだ。