イリーン

今までの人生であったこと、楽しかったことも悲しかったことも何も感じなかったことも書き留…

イリーン

今までの人生であったこと、楽しかったことも悲しかったことも何も感じなかったことも書き留めるために。

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  • コロナの前にペスト

    2017年、ペストが流行していたマダガスカルの首都で見たもの、感じたこと。

最近の記事

コロナの前にペストーイヴァト国際空港ー

 私は今までアメリカやオーストラリア、韓国などの先進国にしか行ったことがなかった。そのため、マダガスカルの玄関口、イヴァト国際空港についた時はかなりの衝撃だった。  まず決まった滑走路というものは私から見える範囲にはおそらくなかったように思う。地面はコンクリートではなく土のまま。空港である建物からかなり離れた場所に着陸するため、徒歩で空港まで向かい入国審査を受けるのだが、まあ何というか、その気になれば突破するのは簡単だろうなと思わせられるセキュリティだった(当時)。入国審査

    • コロナの前にペスト‐マダガスカルに行くまで(2)

      成田空港~イヴァト国際空港まで  成田空港に着いて真っ先に向かったのはスーツケースのラッピングサービスだった。空港などでよく見かけるスーツケースをビニールでぐるぐる巻きにするアレである。盗難や破損防止のために施されるものでアフリカなどの治安が不安な国に行く場合は多少面倒くさくてもしておいた方がいいと言われている。私がいよいよ日本を出発するにあたり、一番強烈に不安を植え付けてくれたのがこのラッピングサービスのスタッフだった。何の因果かこのラッピングサービスをしていた男性はマダ

      • コロナの前にペスト‐マダガスカルに行くまで(1)

        成田空港まで 2017年9月下旬、腹が立つほど暑い快晴の日に私は住み慣れた実家を出た。  20代半ばの女が重々しく「実家を出た」と言ったら世間の皆様方は結婚かあるいは転職で別の地方へと、ある意味微笑ましく考えるのかもしれないが私の場合はちょっと違う。仕事で別の土地へ行くことは行くのだが、その土地とはアフリカのマダガスカル共和国であった。  なぜ私がマダガスカルという大多数の日本人が日常生活でまあ聞かないであろう国へ行くことになったのか。大学院生時代にJICAの青年海外協力隊に

        • コロナの前にペスト(はじめに)

          はじめに  2017年8月、アフリカのマダガスカル共和国では首都のアンタナナリボを中心にペストが流行していた。  8月と言っても、アンタナナリボの住民たちがペスト流行の知らせを聞いたのは9月に入ってからだったらしい。それからはもちろん、新聞やテレビ、Facebookではペストについての話が常に流れていたがアンタナナリボの住民たちはいつもと変わりなく、自分たちの生活スタイルを変えることなく過ごしていたように思う。  当時、WHOをはじめ、日本を含む世界のメディアがマダガスカルの

        コロナの前にペストーイヴァト国際空港ー

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