コロナの前にペスト‐マダガスカルに行くまで(2)

成田空港~イヴァト国際空港まで

 成田空港に着いて真っ先に向かったのはスーツケースのラッピングサービスだった。空港などでよく見かけるスーツケースをビニールでぐるぐる巻きにするアレである。盗難や破損防止のために施されるものでアフリカなどの治安が不安な国に行く場合は多少面倒くさくてもしておいた方がいいと言われている。私がいよいよ日本を出発するにあたり、一番強烈に不安を植え付けてくれたのがこのラッピングサービスのスタッフだった。何の因果かこのラッピングサービスをしていた男性はマダガスカルに一時期住んでいたアフリカ人だったのだ。
 世間話がてら、今からマダガスカルの首都に向かうことを話すと、急に口ごもって何とも言えない顔をしていたのが今でも忘れられない。理由はペストではなく、マダガスカルの首都アンタナナリボの治安だったのだろう。マダガスカルは2000年代初期ごろまでは他のアフリカ諸国と一線を画して平和な地域だったのだが政変後は一気に治安が悪くなった。2013年の大統領選挙後、政情は安定しているとされてはいるが首都のアンタナナリボではスリや強盗、誘拐等が多発している。外国人観光客が巻き込まれるケースも多く、実際に私も周囲の日本人も大多数が被害にあった。被害の内容はまたいずれ記述するが、ともかく覚悟はしていたものの、実際に住んでいた人から現実をつきつけられ、気が重くなりながら他のマダガスカル隊員と共に飛行機に乗り込んだのである。


 日本からマダガスカルまでの行き方は様々だが、協力隊員は最も安価なチケット(当時)、つまり成田~香港~南アフリカ~マダガスカルの乗り継ぎ時間を含め約24時間かかるルートで行くことになる。機内での記憶はあまりないが、南アフリカの玄関口であるO.Rタンボ空港に着いたときは「自分が今アフリカ大陸にいる」という現実が信じられず、妙な焦燥感に襲われたのを覚えている。ご存じの通り南アフリカはすごく発展していて空港の中もアメリカやオーストラリア等の主要な空港と変わりないため、実感がわかなかったせいかもしれない。またこの国では英語が通じるという無意識の安心感も手伝って、今考えると、何というか「旅行している」という気持ちが芽生えてしまっていたのかと思う。
 「アフリカにいる!」と実感できたのは南アフリカからマダガスカルに向かう飛行機が出発した1分後だった。O.Rタンボ空港の周囲が一面の赤土だったのだ。自分が生まれ育った土地では見ることのできない鉄の大地を凝視し続け、ようやく色々な覚悟ができたような気がした。

そして遂に「最後の楽園」と呼ばれるマダガスカルに到着したのである。

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