コロナの前にペスト‐マダガスカルに行くまで(1)

成田空港まで
2017年9月下旬、腹が立つほど暑い快晴の日に私は住み慣れた実家を出た。
 20代半ばの女が重々しく「実家を出た」と言ったら世間の皆様方は結婚かあるいは転職で別の地方へと、ある意味微笑ましく考えるのかもしれないが私の場合はちょっと違う。仕事で別の土地へ行くことは行くのだが、その土地とはアフリカのマダガスカル共和国であった。
 なぜ私がマダガスカルという大多数の日本人が日常生活でまあ聞かないであろう国へ行くことになったのか。大学院生時代にJICAの青年海外協力隊に応募していたからである。日本語教育を専攻していた私は海外経験を積むのにちょうどいいと日本語教師を多く求めているアジア地域を中心に希望した。それがまさかアフリカの、しかもマダガスカルに決まろうとは。合格通知が来た時の我が家の阿鼻叫喚ぶりを想像してもらいたい。特に母に至っては、世界地図を出されても位置がよく分からない国に娘が行こうとしている事実に卒倒寸前だった。
この後も色々な人から戦地に赴くような助言や別れの言葉をもらったが、まあ何はともあれ、無事に大学院を修了し、JICAの70日間に及ぶ訓練を終え(これはこれでまた涙なしには語れないのだが)、遂にマダガスカル出発の日を迎えたのである。

 日本からマダガスカルへはまず成田空港から出発する。私の実家は近畿地方にあるため近くの空港から成田空港に飛べば早いのだが青年海外協力隊の場合、この手は使えない。何故か協力隊には離島に住む者以外、日本で空路を使ってはいけないというよく分からないルールがあるのだ(当時)。ちなみに上記の協力隊訓練地の1つ、福島県へ移動する時も空路は禁止されていた。この不便極まりないルールのせいで協力隊員たちは重い荷物を引きずりながら陸路で成田空港を目指すことになるのである。
 特大のスーツケースを抱えて新幹線に乗るというこの行為。経験者も多いと思うがこの時の周囲の目ほど痛いものもあまりない。「飛行機使えよ」という視線がひしひしと突き刺さってくるのである。私も飛行機を使えるものなら飛行機に乗りたい。何が悲しくて2時間強もの間、いたたまれない思いをしなくてはならないのか。ただ幸運なことにこの時、母が見送りのため道中を共にしてくれたので視線を無視する勇気はあった。後に聞いた、山口県から一人で新幹線に乗り成田空港へ行った知り合いの話にはなみだがちょちょぎれたものだ。

 さて東京駅から成田空港までは成田エクスプレスという特大のスーツケース持ちに優しい非常に便利な乗り物がある。スーツケース専用置場もあるし、なによりほぼ全員が飛行機で長距離を移動しようとしている人たちなので、荷物を載せるために乗車に少し手こずっても生暖かい目で見守ってくれることが多い。この日は夏休みが終わった9月末の平日、さらに真昼間だったためか、かなり人が少なかった。そして私と母の見える範囲に日本人は一人もいなかったように思う。予想していなかった静けさの中に入り込んでしまったため、徐々に「本当に今からアフリカに行くんだ…」という現実感が増し、興奮とか少しの恐怖とか色んなものがないまぜになった感情が一番強くなったのが成田エクスプレスだった。乗っていた時間は新幹線よりかなり短かったのにも関わらず、未だに成田エクスプレスを見ると胸がぎゅいっとなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?