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僕は渡辺温の生まれ變はりかも知れないと云う話。

*此の文章が百年後に怪文書として殘って居る事を僕は希望します。

色々な事が在りすぎて、どの順番で話せば理解して貰い易いのか理解ら無いけれど、僕の思考や殆ど體驗の順番に書き記す事にした。
前半は薄味で後半に行く程濃厚にした。特濃の話題には「」を附けている。興味が在るトピックから讀んでいただければ幸いです。


◯。序文

僕が前の人生の事を明確に思い出したのは、渡辺温の49日を2日後に控えた日の事だった。

◯。前書き

相當頭が可變しい話をするし「此奴はオタクをやりすぎて愈々本當に頭が可變しくなって仕舞ったんだな」屹度そう思われるだろう。

そもそも僕は「自分の好きな【作家】の生まれ變わりかも」と云う人間が居たら物凄く嫌だと思う。それにご親族樣が聞けば何と思うか。それを思うと申し譯ない。
その位、常識的な感覺を持つ僕が云うのだから、此れは餘程の事が在ったと思って欲しい。

本當に色々な事が在った。毎日何かを思い出すから、自分でも感情と情報を持て餘す。澤山の事が在って、僕が本當に生まれ變わりか如何か? と云う以前に、少なくとも「生まれ變わりだと思う樣に、追い込まれて居る」と感じる樣に成った。

僕が「自分のことを渡辺温の生まれ變わりだと思って居る人間」だと云う事がバレると、折角繋がった人たちが皆ドン引きして離れて仕舞うかも知れない。そう思ってひた隠しにして來たけれど、僕はこう感じている事実を隠して居る事の方が辛くなって仕舞った。

僕は此の何年かの間に、自分が男だと氣附いて本當の自分を取り戻し、1920年代のモダンボーイだと云うアイデンティティを取り戻した。
子供の頃からずっと「本當の自分」に戻りたかった僕が、本當の自分に戻る爲に必要で、欠けた最後の一片が「渡辺温」だった。

最後の欠片を埋めたからなのか、僕の顔の感じも何だか渡辺温に似てきた。何気なく撮った一枚なのに、口と目の表情が似てるなーと思う。友達は、親類かと思う程似て居て不思議だとしみじみ云っていた。

皆樣が如何思おうが構わないけれど、僕は自分の前の人生が「渡邊温」だったと感じて居る。
それを告白すると僕は非常に樂になるし、皆樣に措きましても「ああ、此の人は自分でそう思って居る人間なんだな」位に思って頂ければ有難い。

また、世間の人々は案外簡単に「自分はXXの生まれ變わりだ」と自称するのだと知った。
それからスピリチュアル業界の考え方で、「一つの魂が分裂することが在るから、同じ人の生まれ變わりが何人居ても可變しくない」という物が在る。

なので、もし僕以外にも渡邊温の生まれ變わりだと云う人が居ても何の問題も無い。それにそう云う自覺が在る人が居られたら一緒に長谷川修二や及川道子の事を語り明かしたいものです…僕らの青春を。

◯。前世かもしれない疑惑

そもそも僕は最初から「俺は渡辺温の生まれ變わりだ!」と思って居た譯ではない。ものっすごい段階を踏んでるし、めちゃくちゃ疑って來た。
12歳くらいの頃から薄々思い始めながらも、それは痛いファンの妄想だと打ち消しつつも僕はずっと引っ掛って居た。

僕の思考の段階は此樣な感じだった

  1. 昭和初期の人間だった気がする。

  2. モダンボーイだった気がする

  3. 新青年に縁があった人のような気がする。

  4. 新青年の編集だったのかもしれない???

  5. 渡辺温は他人のような気がしないし、僕は渡辺温なのかな…?

  6. 否、温の事が此れだけ好きってことは戀人の方じゃないか?

  7. 温の家族の方じゃないのか?

  8. 温を近くで見て憧れていた新青年のお使いの少年とか編集部の補佐じゃないのか?

  9. 温の友達とか知り合いじゃないのか?

  10. 待って、渡辺温の靈が僕に乗り移っている可能性は?

  11. 温が守護霊として居てくれて居る可能性は?

等、あらゆる可能性を疑って來たけれど、自分の感覺や思い出した記憶、不思議な體驗など、それが正しいのか調べた結果などを踏まえると「渡辺温の生まれ變わりだ」と考えるのが妥當だと云う結論に達した。

そもそも僕は「有名人の生まれ變わり」を自称する人の割には慎重で謙虚じゃありませんか? 夢見がちな誇大妄想狂とは一味違うと思うのです。
例えば、僕の知人で前世が武将だったと云う人も、自分がその部下や家族だと云う可能性は全然考えて居なかったし、そう云う人が殆どだと思う。

・渡辺温のファンとして。

渡辺温の生まれ變わりだと僕が言ったら、他のファンの方々に「そうは云ってもお前の小説は渡辺温より全然ダメじゃないか」と思われるだろうなあとと云うのもあって、僕はとても云えなかった。

僕はそもそも渡邊温に作品の影響は受けてない(つもり)だし、異常に好きで堪らないけど「あんなのが書きたい」「天才」「上手い」みたく思ったこともないのだ…。好きで好きで堪らない事は確かだけど。

でもマニアとして温の作品を分析して居ると、自分の作品と色々と根っこが共通してるのを知ったり感じたりして「うわ」と驚いた。

他にも澤山僕の人生の樣々な事や自分自身の事は「前に渡辺温として生きてた人」だと假定すると、總て辻褄があった。
此れは僕の人生のネタばらしなんだと思う程に。

夢で見た前世の話や、思い出した事は設定として正しいのか? 等調べる爲もあって、渡辺温の事やその周りを調べまくって居るけど、全部整合性が取れていて何時も驚いて居る。

前置きが長くなったけれど、僕が渡邊温の生まれ變わりだと思わざるを得なくなったエピソードを羅列して行きます。

此樣な可變しな話は小説風にしてのんびり告白して行こうと思ったけれど、黙って居る事に耐えられなくなったので、一先ず箇條書きで羅列して、詳細は追々小説風に描写して行きたい。

それが僕が此の人生での爲すべき仕事なんだと思って居る。

◯。渡辺温と自分の共通點

1920年代が青春のモダンボーイっぽさと渡辺温要素に関することを書いていきます。

◯。子どもの頃の話

・1980年に生まれた。ずっと一人っ子。
渡辺温が死んだ丁度50年後だった。家人が天啓のように「人が死んで生まれ變わるのには50年掛かる」と言い切って居たので、そういう事なんだと思う。弔い上げの50回忌明けである。

・2歳の終わり
讀書がしたくて平假名を一人で3日で覺える。今思えば前世の感覺が殘って居たからすぐ思い出したんだと思う。母は神童だと喜んだけど…。

・5歳頃
ままごとのお父さん用のネクタイが異常に好き。父は作業着の仕事だったので、ネクタイが手元に來たのは此の時が初めて。

・7歳
シャーロック・ホームズにハマる。延原譯にも手を出したけど當時の僕には難しかった。

・8歳、9歳
・「及川」と云う名を知る。なんだか可愛い名字だなあと思って、それ以來自分の中の「可愛い名前リスト」に「及川」が入って居る。
・可愛いなあと密かに思っていた友達、思えば及川道子と目の形が似て居た。
・折本で本を作りまくった。此の頃から本を作る事が好きだった。

・10歳
・「道子」と云う名に触れ、その名が矢鱈と可愛く感じる。僕の「可愛い漢字」リストの中に「道」と云う字が入った。
・ポーにハマる。
・海外の推理小説にハマる。ルルーなど手當り次第讀んだ。
・江戸川亂歩の少年探偵団シリーズは子供っぽくて無理!となった。笑
・夏目漱石の文鳥や夢十夜が好き。近代文學を讀み始める。
・はだしのゲンを讀んだ。自分が全く知らない世界という感覺。特高の言論弾圧が一番怖いと感じて居た。自分の知らない世界を知っておきたい感覺。(僕は僕が居なくなった後の日本が如何なったのか知る義務があると感じて居る樣だった)
・禄に知らない筈なのにジャズが好きだと云う感覺。ジャズっぽい音楽に強く惹かれる。

【!】11歳で新青年に出会う

・11歳
最初は近代文學ばかり讀んで居た。
・智恵子抄、智恵子抄、室生犀星、萩原朔太郎、中原中也、立原道造、小川未明等等。
・小川未明全集で初山滋や武井武雄などのイラストレーターに触れ、好きになった。(温と啓助は妹らに赤い鳥を買ってあげて居たらしい)
・萩原朔太郎はの「殺人事件」など寫經するほど陶酔して居た。
・「ゐ」は最初何と讀むか判らなかったけど、自力で「い」という音だと理解した。

・一人っ子で周りに本を讀む友達も居らず、誰の影響もおすすめも無く、圖書館から自ら「面白そう」だと選んだ本が此れだと云うのは中々ぢゃありませんか。
・ラヴクラフトにも手を出し始める。

【運命の時】
・長田ノオトさんの漫畫経由で、江戸川亂歩の「押繪と旅する男」を讀んで、乱歩の變格探偵小説の世界を知る。
少年探偵団で「面白くない作家」だと思って居たので、驚いて其処から乱歩に心醉・耽溺する。
→初めて讀んだ長編は「孤島の鬼」 今思えば昭和4年の作品だった。そして僕が唯一好きな乱歩の長編。

・亂歩の短編集の解説に「夢野久作」の話が在り、此の名前に異常な引力と魅力を感じる。絶対に面白い筈!!何このときめく名前!!と云う感じでその名を忘れられず、取り憑かれた樣になる。
近くの本屋で角川文庫の「少女地獄」を入手して、久作地獄に溺れた。丁度ちくま文庫から久作全集が刊行されている時だったから、作品が手に入り易くて幸いだった。(此れも此の時代を選んで生まれたんじゃないかと思う)

・久作を見つけた流れで、圖書館で立風書房版の「新青年傑作選」を見つけて讀み耽る。

 此の時から僕は今もずっと新青年の虜になって居る。

・渡辺温の「可哀相な姉」と水谷準の「おそれみお」が、第一印象では特にお氣に入りだった。他には小酒井不木、海野十三、瀬下耽、等變格探偵小説の類に好きなもの多かった。

・新青年の中でも阿呆宮が大好きで、普通に笑ってた。傑作選の5巻ばかり繰り返し讀んだ。古い冗談だと解って居るけど、自分の心にはストライクど眞ん中だった。

・思えば「新青年」という雑誌そのものが大好きで溺愛して居た。今も。作品や作家は勿論だけど、レイアウトや埋草、何もかも愛してる。

・新青年の作家たちへの距離感が、無意識に知り合いのような距離感だなあと自分でおかしく、面白く思って居た。

甲賀さん、うだるさん、海野さん、乱歩さん、不木さん、久作さん、森下さん、水谷さん、横溝さん(或いはヨコセイさん)、本位田くん、中村進治郎くんなど、作家としてはマイナーな名前も一度讀めばするする入る。

「夏目漱石」「室生犀星」のようにフルネームで呼び捨ての感覺になる人がいない。

けれど新青年後期の作家は「小栗虫太郎」「久生十蘭」「獅子文六」等、フルネームで呼び捨ての距離感だし、この後期の作家はなんだか興味が持てなくて今も殆ど讀んで居ない。(讀めば面白いのだろうと思うのですが…)

・新青年の作家の「さん付け」知り合いの距離感の方々について、作品より人となりの方に親しみを持って感じる。

・一方、渡辺温の呼び方だけはずっと「渡辺温」。
「オンちゃん」と呼ばれて居たと知っても自分が呼ぶ發想と感覺は一ミリも沸かない。「ヨコセイ」とか「夢Q」は、すぐに乗っかったのに。温だけは違う。
「温さん」でもなく「渡邊さん」でもなく、フルネームで「渡辺温」という感じ。この感覺はずっと變わらない。

・新青年に溺れるようになって、「あの頃(昭和初期)はよかった。あの頃は皆が居た。あの頃に歸りたい」と郷愁と切なさの感覺が強くなる。新青年を見ていると、時々激しく堪らなく切なくて、歸りたくて仕方がなくなる。

小學生の僕と渡辺温の文學上の信念が似て居た

變格探偵小説こそ全文學の中でも最高峰だという強い信念が在って、小酒井不木に特に心醉して居た。純文學は高尚だと言うけれど、純文學なんぞより變格探偵小説の方が素晴らしいと考えて一人で熱くなって居た。
・萩原朔太郎の殺人事件の詩は探偵小説として完璧だと思った。
・ずっとそう陶醉して居たら、最近になって啓助さん(温の兄)がその樣なことを書いて居たと知る。二人とも文學的に目指す處は似ていたそうなので、温も同じ感覺だったんだろうあなと思う。
・渡辺温、渡辺兄弟の文學的な思想を知る前から(渡辺温を1作しか讀んでない頃から)僕はほとんど同じ考え、感覺だったと云う譯です。

・小説家の夢を本格的に抱き始める。
變格探偵小説に対しては「ああいうものは、書こうと思えば幾らでも書ける気がするけど、あんなものを書いていても何にもならない。誰も讀まないよ。あれは終わった時代の小説だ」という感覺で、耽溺している癖にそれを書く氣になれなかった。(偉そうだけど…)
今にして思えば「新しいことは素晴らしい」と云う感覺だったモダンボーイの渡辺温らしい感覺だと思う。

もしも温の魂が轉生したら、過去に書いて居た樣なものはもう書かない気がする。今にしかないツールを使ってもっと新しい創作にチャレンジしそう……。ファンとしてそう思う。

・僕は渡辺温には文學上の影響を受けては居ない。
だから長い事「好きな作家」欄に書く名前として思い浮かばなかった。僕は渡辺温の作品の1行1行を深く愛して居るけれど「こんな小説が書きたい!」と憧れたことはない。目標にしていたのは、筒井康隆(此れも11歳の頃からハマった)と夢野久作だった。
もし僕の前世が渡辺温なら此の感じも辻褄が合うなあと思う。

・小酒井不木全集全17巻(平凡社)の情報を手帳に全部書き写して、それを眺めてドキドキにやにや、ほっこりしていた。

・母の友人に角川文庫の横溝正史と高木彬光を全部もらう。結局、横溝さんの真珠郎、蔵の中、恐ろしき四月馬鹿がお氣に入りで、全部戰前の新青年に発表した話ばかりだった。

・映畫は絶対に白黒が好いと思ってた。モノクロ映畫ばかり見て居て、林海象の「20世紀少年讀本」がお気に入り。イングリッド・バーグマン、ヒッチコックなどを見て居た。

12歳 新青年の虜。
・モダンボーイになりたかった。
・モダンボーイになってモダンガールとデートがしたいと思ってその想像にうっとりとして居た。
・ネクタイを締めて小學校へ通う。
・シャツには何時も自分でアイロンを掛けていた。アイロンを掛けないと格好悪くてとても着る気になれない。
・山高帽を5000円で買った。どうしても欲しくて堪らなくて、お小遣いを貯めて思い切って買った。お小遣いが毎月900円の頃。(渡辺温は山高帽も隨分愛用していた)
・モダンボーイの髪型と云えばこれだろう!という謎の思い込みで、七三前髪長めショート。今にして思えば渡辺温の髪型と同じだった。けれど此の頃の僕は未だ渡辺温の寫眞を見て居ない。

12歳の頃。白シャツは前日に着て仕舞つた爲、精一杯シックな黑。片手に山高帽。上着は今思えば、モーニングの丈だね。だから好きだったのかも。

・近代建築も大好き。何故か大正時代、昭和初期の建物を嗅ぎ分けられる。今も。
・インバネスが着たかった。▶︎代わりに古着で買った紺色の長いコートを着る。
・親が戦前のイケメン俳優として「岡田時彦」の名を出す。その名前にロマンティックなきらめきを感じて凄く惹かれた。ずっとずっと氣になって居た。
・内田吐夢の映畫がCMで3秒くらい流れた。その一瞬で僕は内田吐夢に魅了され、ひきこまれ、それだけで好きになって仕舞った。
・生まれて初めて見たHな夢がチャブ屋の夢だった。
 渡辺温と岡田時彦が遊びに行ってた「チャブ屋」について調べていたら、あの夢はチャブ屋だったとはっきり理解った。
・勉強はよく出来た。出来すぎても疲れるから80点取れればいいや、と自らやり過ぎないようにセーブしてた。勉強は本気出せばトップ取れる気がしてたけど、これは温がそうだったからなのかもしれないと思ってる。(温は中學は勉強せず主席入學、大學は2度慶應に入ってる)
・旧假名旧漢字を使って授業のノートや作文を書く人間だった。
・無意識に選んでるものが1920年代のものばかりだった。
 ノーマンロックウェルが好き。
 アールデコイラストの便箋と手帳を使ってた。
・蕗谷虹児が好き。糸屋の娘に戀をしていた。→最近、僕の思い出の中の戀人…詰まりデビュー前の及川道子に似てたんだなって氣が附いた。
・高畠華宵も好き。

・本物の新青年が見たい、欲しいだったけどネットがない時代の岐阜の小學生(一人つ子)じゃ情報収集は殆ど不可能。どの店に在るのか理解らかなった。一度旅行で神保町に探しに行ったけど、當然見つけられなかった。

・自分は昭和初期の人間だったんじゃないかな? と思い始める。

・13歳 「27年の呪い」

中學校に入り、制服がセーラー服だった爲、思い切り女學生の格好をする方が、お洒落として決まると思ってショートボブにする。
そこから僕は處世術として女として生きることを選んで仕舞い、此の後27年間本當の自分を殺して女を演じ續ける。
男の自分に戻った時、女の人生を過ごした期間が奇しくも渡辺温の短い生涯とまるっと同じ期間だったことにぞっとした。

渡辺温だったとしてもそうじゃなくても、僕は女の子に対して罪を償いたい感覺がずっとあった。その爲に僕は女に生まれて女として色々つらい思いをして居る實感があった。思い出した今となっては、女の子たちに惡いことをして居たと云うより、戀人や妻を幸せに出來なかったと思って、自分で自分を罰したかったのだと気が附いた。

そういう譯で此處からが僕の懲役27年の始まり。

・叢書新青年から出た「渡辺温」を購入した。

名古屋のパルコブックセンターで買った。あそこがなかったら僕は不木さんも啓助さんも本を買うことが出なかった。間違いなく人生に深い影響を与えてくれた本屋さん。此處で買う事が出來たのも導きの樣に感じて居る。

・叢書新青年の渡辺温
此れで僕は初めて本格的に渡辺温に触れた。
26歳頃まで渡辺温の本はこれ1冊しか持って居なかった。薔薇十字社の本は當時3万圓程したし、田舎の中學生には實質幻の本だった。

・作品はどの味わいのものも大好きだった。にやにやしてしまう感じ。うっとりする感じ。

・渡辺温の寫眞、ビジュアルについて。
イケメンだという人も居るけれど、僕は横溝さんやご家族、同級生、本人の周りの皆さんと同じく「一般的な好男子」だとは思わない。「こういう顔の人かー」という感じ。
でも何故か顔を見るのが恥ずかしくて照れくさい。最初に見た時からそうだし、今もずっとそう。
他の寫眞も、全体に顔をみるのが恥ずかしい。なんだかとても恥ずかしい。
僕は温本人の寫眞は手帳に入れてなくて、シルクハットの寫眞のコピーを手帳に入れて居る。渡辺温の寫眞を持ち歩く發想って全然無くて、アイテムの寫眞と及川道子の寫眞を入れて居る。
此樣な感覺になる作家は渡辺温だけ。

作家のイメージと實際の顔が違ったと云う事は時々在るけど、それでもそのうち「イメージと違うけどこういう人だった」と慣れるものだし、やっぱり温の顔写真に対する自分のはにかみ感は異常。

…この感覺、過去の自分の顔だから、と云うとなんかすごく腑に落ちないですか。
因みに、啓助さんの若い頃の寫眞を見たら、イケメンじゃん!と思った。それで、他の人達が温をイケメンだという理由が理解った気がした。けれどでも、やっぱりどうしても温はイケメンだとは思えず、見るとなんだかどうしても照れくさくなるのだった。

・年表や本人のエピソードなど解説を飽きずに何度も讀んでしまう。
 温と道子の物語にものすごく引き込まれた。相當の純情さと深い純愛を感じた。今思えば僕は解説に書いていた以上のものを讀み取って、心を震わして居た気がする。

・巻末の年表や資料を讀んでいて、僕は渡辺温関連の人の名前や固有名詞は、全部等しくするする覺えてしまう。
だから辻潤も広瀬将も福田耕太郎も楢原茂二も小山内薫も、僕にとってはみんな並列の存在だった。楢原茂二も長谷川修二もどちらがPNでどちらが本名か理解らなくなるくらい僕の中に自然とするする入っていった。

・こうして見てると、温が他人だと云う気がしない。
 自分の中ですごく距離が近い感じ。

僕はもしかしたらこの人の生まれ變わりじゃないのかなと薄く思うようになる。けれど、そんなの痛いファンが安易に思うことなので、馬鹿げて居るとその考えを打ち消した。理知的な13歳だった。

けれども渡辺温に関して、プライベートの情報がぐんぐん頭に入ること、その人生ばかりを樂しく興味深く眺めてしまうことを自分でも異常だと思って、そんな自分が恥ずかしかった。そうして27年程、此の興味と衝動を封印して居た。

・同時期に小酒井不木、渡辺啓助、久作全集、海野十三、等を買って居たけど此樣にプライベートのことがぐんぐん頭に入っていくのは渡辺温だけだったし、興味を持ったのも温だけだった。
他の作家のことは人生を知りたいとは特に思わなかったし、讀んでも頭に入らない。

14歳
・夏休みの自由研究で戦前探偵小説史をやり、たくさんの資料を複寫したりまとめたりした。幸せな時間だった。
・讀書感想文は渡辺温の可哀想な姉で書いた。
・この頃は、讀める範囲にある變格探偵小説で讀みたいものは殆ど讀み切って仕舞って居て、讀みたい本が無い状態だった。
 今なら理解るけど僕は本好きというより「1920年代の日本の變格探偵小説好き」だったんだと思う。
大正末期から昭和初期の文章なら、どんな雑文でもぐんぐん水を飲むように吸収できてしまう。
僕はやっぱりこの時代の人間なんだと思う

◯。15歳以降の事。

15歳
・谷崎潤一郎に手を出しかける。
讀みたい本がなくなったので、探偵小説の文脈として興味があった谷崎潤一郎集に手を伸ばす。刺青、面白く讀んだけど「これは子供の自分が讀むんじゃ本當の良さは理解らないだろうから勿體ない。もっと大人になってから讀もう」と思って、讀むことを止めた。
後に20代、30代に谷崎を讀んだが色々な經驗を經た後だったので物凄く響いた。

16歳
・商業高校に入る。
 →渡辺温は經濟學部だった。温も簿記や算盤をやっていたとしたら同じだ。

・探偵小説や昭和初期に溺れて居ても、何にもならないと思った。
過去の終わったものばかり見ていても、何も新しいことは生まれないしどうしようもないと感じていた。
モダンボーイ的な感覺。新しもの好きの温っぽいと思う。

・同人誌活動とコスプレを始めた。
同人誌はまず「本を作りたい」が動機だった。誌面企畫、レイアウト、デザイン、店頭ディスプレイまで考えるのが好きだった。水が入ったパッケージを作った事もある程に裝丁を工夫していた。

17歳
・貧乳の女の子を好きになる。
前の人生の戀人の体型が本當に胸が小さくて板みたいで…。及川道子さんも同じ体型だよね。

19歳
繪の學校に入って漫畫を専攻する。この頃は漫畫家を目指していた。
→温も絵を描く事に夢中だった時期があるようで。それと漫畫制作は映畫監督的な側面があるよね。

・漫畫家志望の友達らを励ましたりしていたら「編集者向き」「編集者になれば」と澤山云われる。同人誌の裝丁も凝って居て面白いので編集者の才能が在るとずっと云われて居た。この件は後のち別界隈の人にも云われたりする。

21歳
どうしても上京したくて就職してお金を貯める。

22歳
上京。やっぱり小説を書くことが樂しいと思い出して、小説家を再び目指す。

22歳、24歳と三田で働く機会があった。
24歳の時は芝公園で、本當に温の生活圈の近くだった。然し自分を封印していた爲、あまり気がつけず。呪いに掛けられていた時期のようだった。

25歳頃 新青年を手に入れた。
ネットで調べてやっと初めて新青年を買うことが出来た。昭和4年の渡辺温の翻譯が載っていた號。當時3万円程した。

古書店の人には「復刻版を買ってからにしたほうがいい」って止められたけど、(僕がただの若い女でミーハーに見えたんだろう)押し切って買えた。幸せというか、汗かいて震えた。動悸がすごくて苦しかった。頭がパンクしそうだった。店内にはぷろふいるなど、探偵小説の雑誌がたくさんあって、見せていただいて本當にしにそうな位に興奮した。嬉しかった。

北海道の温が生まれた街の近くに行った。
青春18きっぷで青森、北海道へ行く。木古内で乗り換え待ち。渡辺温の生まれた場所の近くということで、駅前を走って一周してきた。

26歳頃
渡辺温のお墓参りを初めて果たす
茨城出身の人と付き合ったら、渡辺温のお墓・日立の鏡徳寺に連れて行ってくれた。墓地で澤山在るお墓の中から、奇跡的にすぐ見附かる。
見た瞬間、号泣。涙が止まらない。

やっと會えたね、やっと會えたという言葉が濁流の樣に流れ落ちて、自分でもどういうことか理解らなかった。自分ひとりでお墓に向き合いたくて連れには席を外して貰った。号泣して居た。

・アンドロギュノスの裔(薔薇十字社)を手に入れた。
此處で初めて、横溝さんと水谷さんの追悼文に触れたんだったかな。
此の頃は自分を殺した生き方をして居たからちゃんと讀む餘裕が全然なかった。さらっと讀んだだけ。

【!】27歳の呪い(2)

結婚した。相手がモラハラだった爲、結婚して1ヶ月で僕の魂は殺されて死んで仕舞った。
偶然なのか、渡辺温が亡くなった年と同じ年に、僕も一度死んだのだった。

その後、32歳で離婚→37歳で再婚した。
38歳頃
・温が亡くなった夙川の踏切へ行く。
 温は居ないと感じる。ピンと來ない氣がして居たけど、事故現場はこの踏切じゃないんだっけ? 何にしても僕が温だとしても醉っ拂って眠ってたんだから「懐かしい」は無いのか。
・踏切へ行った歸り、谷崎の芦屋の家(記念館)に行った。
・他にも小田原の家や法然院・谷崎の京都のお墓にも行ったことがある。
谷崎とも縁があるけど、懐かしい氣持では無い

・京都の伏見稲荷、参拝前からご利益を得ていた。後に前世で行っていた記憶が出る。→京都の撮影所へ行った時に行ったのかな。

◯。その他、渡邊温と僕の共通點など。

・温と僕の寫眞の決め顔が同じ。目が横を向いてる。
 子供の頃から無意識だったけど、去年温と自分の寫眞を並べて氣がついた。

・僕も自分が書いている作品のジャンルが理解らない
 探偵小説に間借りしてたと云う啓助さん。温も探偵小説に居るけど探偵小説の人じゃないと云われたりする。僕はラノベに「間借り」してたけど、未だに自分の作品ジャンルが理解らない。

・僕が興味があるのは1923-1930。
 
それって渡辺温が及川道子と出会って死ぬまでの青春ど眞ん中だった。

・おしゃれだと云われてるけど、詰めが甘い。
 
僕もそうだ。雜。温はリボンタイが歪んでボタンが開いている處など、詰めが甘くてちょっと雑な子って思う。だからファッショニスタというより、好きな物を唯着ているだけの人なんだと思う。

・温の服、食べ物、お酒、音楽、映畫、全部僕も大好き。カナディアンクラブ、外国の映畫、モーニングを着たらすごくしっくりきた。
・思えば及川道子の顔のパーツは全部僕の好み。好き。

。温が好きなもので僕が嫌いなものってないんじゃないか。

・「渡邊温」と旧漢字で手書きで書いたら、しっくり來すぎ。
うわーーこれだった。と思った。よく知ってる名前、自分の名前っぽい感覺があった。道理で今まで「渡辺温」では、特に何とも思わなかった筈だ。

・引越し人生も似て居る。
北海道から内陸へ行った温、沖縄から内陸へ行った僕。他にも引っ越しの回数の多さは似てる。

温の助川の環境。
海の音、鉄道の音、そして妹弟が澤山居てバタバタしてたんだろうなあと思う。僕も今の家は鐵道の音が聞えていてそれが心地よい
→昔からうるさい場所のほうが落ち着いたのは此の所爲なのかな?

・横溝さんに云われるが儘新青年に入ったり出たり入ったりした事。→僕もそんな生き方してたから温がそう行動したのは理解る感じ。何とも思わないよね。むしろ樂しんでると思う。

・人見知り
僕もそう。ただ僕はそれこの人生で克服した。

・「モダンボーイ」に對する信念
自分の中のモダンボーイに對する信念や理想を突き詰めて考えたら、結局僕は渡邊温と同じことを考えて居た。

・前世で女の子にモテてたっていう根拠ない感覺。
→岡戸武平さん、長谷川修二の作品、横溝さんの話から、渡辺温は女の子にモテてたんだろうなあという感じがする。

・文化・教養の話をして「君は可愛いね」と云っていたら行ける気がする。→長谷川修二の口説き方も教養アピールだったので、僕も近い人間だったんだろうなあと思う。

・女性に対して「女の子」と云う言い方が一緒。
対談で岡田時彦が「女の人」と云っていても温は「女の子」と云う言葉遣いをする。無意識だけど僕も「女の子」って云っちゃうなあ。

・僕は自分が好いと思ったものは皆にお勸めして、好いでしょー!と共感を貰えて当たり前って思ってるけど、此の人生で実はそういう經驗って少ない。
でも渡辺温が前世だとしたら、温は自分が好いと思った物を雑誌に載せて時代を作ったのだから、その感覺が残っているんだろうなあと思った。

僕は占い師だが、その轉は
→渡辺温が新青年オラクルを作ってた。温が居る時にしか出ていない増刊號なので、温の趣味の筈。啓助さんは温の霊と喋りたくて霊媒師を呼んだ事もある位、そこらに拒否感は無い。

・絵や漫畫を一時的に書いて居た僕。
 →渡辺温も10代の頃は啓助さんとよく絵を書いていたという話。また、温は映畫監督になりたかったらしいけど、漫畫制作と映畫監督には共通する處が在るから、その感じは似てると思う。

・「谷崎」「よこせい」など本人が居ない處では呼び捨てなのに、本人の前では「さん」付けしてる處。僕も一寸そういうノリがあるね。

・僕のパートナーは、道ちゃん・マリちゃん・長谷川修二の3人を足して割った感じの人。
→キリスト教系學校卒演劇部、バーで酒を飲むのが得意、英国紳士くらいファッションにうるさい、皮肉屋。そんな感じの人。

・文學的なこと。
今は文章が長くなりがち。この文章だってそう。過去に短いものしか書けなかったから、今回は長く書く力をもらって生まれてきたんだと思う。

・良く讀んでくれる幾らかの友達には似てると云われたことがあるけれど…。自分でも案外、全体の空気の目指す處は似てる氣がするけれど。

・自分の文學的信念や理想、良く観察して見れば渡辺温と同じだった

・影響受けてないはずなのに、同じような小説の作り方をしている。

・私小説要素と浪漫と嘘と。僕も全部嘘つきでいたいと思った。僕が書きたい!と思ったこと。温が同じような価値観で書いていた。

・自分を深く内觀したら僕の肩書は「作家」というより「嘘吐き」がしっくり來ると思うに至ったけど、あれはよく考えたら渡辺温の樣な感覺だ。

・作家になったら文庫を出すのがベスト。
 僕は作家になったら、立派なハードカバーよりみんなが讀み易い文庫を出す方がいいなあと思って居た。でも今思えば、渡辺温が生前に出した自分の本って、文庫サイズの物しかない。覆面翻譯をしたポーの本も文庫サイズだった。

・僕は今の人生でずっと小説を書かないと焦燥感と不安に駆られるが、大作家に成りたいんじゃなく、マイナーでまあまあな作家に成って、自分の文學を理解して呉れる氣が合う仲間に囲まれたいなあと思ってた。デビューすればそういう友達に澤山出會えるんだ、とも思っていた。
でもそれって詰まり「渡辺温」だった頃くらいのポジションに戻って、そこからやり直したいって事じゃん!と氣がついた。

何にせよ、僕が僕に戻って生きられる樣に。
僕はずっと僕に戻りたかった。
僕は矢張りあの昭和5年2月の續きを生きたい。來る筈だったあの春とその先を生きて居たかった。

【!】新青年展での不思議な體驗

・2021年の新青年展は偶然知れて6回行った。イベントも全部参加した。離れ難かった。

渡辺温の展示コーナーに來た時の不思議体験

長男さん、啓助さん、マリちゃんが3人で写った寫眞が、ぐにゃんと歪んで立体的になって浮き出て、3人とも何か言いたげにこちらをじっと見てると感じた。完全に目が合つた感覺。ぎょっとした。

「待っていたわよ、あなた」マリちゃんがそう言ってる感じがした。

3人が浮き出て居て僕は眩暈がした。一瞬だけじゃなく、僕が硬直して寫眞と向き合ってる間ずっと。

「此れは僕が生まれ變りだと思いたいから、都合良く見ている幻覺もどきかもしれない」と思って、もう一度見直してもやっぱり寫眞の3人は立体的に、實際存在しているような厚みを持ってそこに浮かびだしていた。寫眞の周りだけ時空が歪んでいるみたいにぐにゃぐにゃしてめまいがする。何度見返しても、6回通っても毎回、同じだった。

3人共、何か色々言いたいことが或るという感じだった。

横溝正史さんの展示でも

一度だけ同じように、横溝さんも立体的に出て來た事がある。4回目位の時、館内は僕だけだった。寫眞の前に來ると、横溝さんの寫眞がぐんっと立体的に出て其処に居る人の樣になった。そしてすごく温かい笑顔でにこにこして歓迎してくれた感じがした。「温ちゃん良く來たね」と云われていると思った。やっぱり僕は渡辺温なんだろうか…と云うことと、優しい横溝さんの笑顔に戸惑った。
でもそれは1度だけだった。その次に見た時は只の平面的な寫眞だった。

妙な懐かしさや感慨など

・温のインバネスを遠くから眺めていたら、總て一緒に乗り越えた戰友って感じがしてきて、声を上げて泣き崩れそうになったのでこらえた。

・温の手書の文字を初めて見た。自分の字に似ていた。特に朔太郎に當てたよそ行きの文字。そしてあの封筒のダイナミックな書き方、僕もやるよ。(迷惑になる場合は大人しく書くけど…)「溫」の文字の癖も同じだった。

・萩原朔太郎への原稿依頼の手紙、何樣な気持でかいたのか手に取るようにわかる(氣がして)笑っちゃう。緊張しすぎて文章おかしくなってると思う。
・ついでに、新青年の無記名雑文も渡辺温だろ!って一行だけでもわかる(氣がする)そう感じる。
・新青年オラクルの文章の作り方も理解る気がする。昭和5年版は半分は水谷準さんのエッセンス入ってると思う。
・詰まり温の文章の癖が解る。
・よく考えたら僕も同じ樣な文章の癖を持って居て、そこに譲れないこだわりがあった。多分文體似てるんだ。同じ樣な癖があるから理解るとも言える。

・新青年関係の作家に対して相變わらず知り合いの距離感。昭和5、6年位までの人たちのことは、個人やプライベートのこと、手紙など、懐かしい知り合いに會う感覺だった。昔の知り合いの私物を覗き見してる感じ。

・新青年の全部の表紙を眺めたら、昭和2年〜5年頃は自分が携わった感あった。
大正時代の分は「ああ、こんなの買って家で讀んで居たなあ」と懐かしい感覺があったけど昭和2年からはっきり感覺が違う。自分で作った感覺はあった。讀者よりも近く、身内のものを見る感覺。

昭和4年12月号は妙に切ない気持ちを思わせ、惹かれると思ったら温が新青年に復歸した邊りの號だった。(後に、この號が出たお陰でお給料が入ってまりちゃんに少し贅沢をさせてあげた、という夢を見た)

昭和5年の後半、6年以降は「あの有名な新青年ですね」という感じで、また少し遠くに感じた。

・新青年展の前半はずっとにやにやして何周もしたけど、小栗虫太郎や久生十蘭邊りの世代には興味が持てなくてさらっとしか見なかった。スポーツ特集も全然惹かれない…水谷さんごめん。

・啓助さんのノートは可愛かった。渡邊兄弟は二人ともかわいいなあ、おい!と思った。

一寸不思議な偶然

新青年展は6回行った内、最初と最後が雨だった。
晴れ男の僕にしては非常に珍しい。

まるで渡辺温が死んだ日の雨の樣で、此れは新青年展へ行くことで死んだ自分を取り戻す事になる、という暗示なのかな?などと思っていた。

けれどもそれは考えすぎかな、と思った最終日。傘をさして雨を受け止めながら踏切の前に差し掛かった。もう日が暮れていた。雨の日の踏切なんて、まさに温の事故現場じゃないか…と思っていたら、足元に烏の羽が落ちていた。

烏と云えば、温の兄の啓助さん。
だから僕は「ああ、此れは信じろって事だ」と思った。

僕は今まで、こういった暗示などを天啓のように信じることにして進んで来ていた。スピリチュアルに疑い深い僕は、信じない時期と云ふのも何年かやったけど人生がどん底になったので、再び信じることにした。根拠は判らなくても信じるほうが上手く行くから。僕は霊媒師の血筋にある。

だから僕は此の状況での烏の羽をそう解釈することにした。此處で信じなかったら、今まで信じてきた神樣からの天啓を信じて居ないということにもなる。温に関することだけ信じないと云うのも整合性がなくておかしな話になるから。

もう此樣に不思議な事や、共通点、色んな感覺や味が在るのなら、僕は渡辺温の生まれ變わりだって思っても良いんじゃないか。

假令生まれ變わりじゃなかったとしても、そう「思わされる」出来事が澤山起きてるんだから「そう思え」と云う事じゃんじゃないのか。と。

烏の羽は、もういいから信じなさいと云う事なんだと思った。
温が死んだのと同じような雨の日の踏切の前で、僕はそう受け止めた。

そして諦めて、激痛ファンになって、頭のおかしな人で居ようかなと思った。(やっぱり100%そう思うのは難しい)

【!】前世の記憶、鮮明に思い出した感覺。

2022年3月の終わり、前世の記憶をはっきり思い出した。

戀人のこと

・なんとなく理想のタイプの女の子を妄想しながら昼寝をして居たら、「あ!あんな子居た!」とその女の子が実在した子だったと思い出した。
 →そこからずっと彼女を愛していた感情が込上げて号泣。
・「顔教えて下さい」とお願いして寝ると、振り返った顔が及川道子だった。びっくりした。僕が思い出した身體や髪の感触、似てる感じがする。
・抱いて寝ていた枕の厚みが彼女の身體の厚みとそっくりで、それもトリガーになって思い出した。確認したら及川道子さんは痩せて居て身體が薄いよね。 
・試しに「みっちゃん、愛してる」と声に出して云ってみたら「此の文字列、昔言ってた…!」となって、ずーーーっと号泣してしまった。唇の震えが懐かしい響きだった。
・彼女のことを思い出してからは「愛してる」「愛させてくれてありがとう」「僕といっしょにいてくれてありがとう」「守らせてくれてありがとう」「僕にかっこつけさせてくれてありがとう」の思いがとめどなく溢れて、6時間くらい号泣で鼻水も詰まって苦しかった。

それから1年半くらい毎日思い出して1時間くらい餘裕で泣いてた。今もよく泣いてしまう。彼女に会いたい。

・彼女のことは大正13年、14年、15年、とはっきり年号で出てきて思い出す。昭和2年も少しある。大正時代に付合って居た。深く愛していた。

彼女の事で思い出したあらすじ。
・大正13年、告白するが交際は申し込まず。多分まだ幼いから。彼女はお父さんがお店をやってる家の子で、お使いで店から出て行った時に一緒について行って告白をした。その後僕は何食わぬ顔で店に戻って、席に座って居た。カフェっぽいと思う。
・大正14年、彼女が結婚可能年齢になったから交際を申し込む。とは云え僕は大人だからしっかり彼女を守らなくちゃと思って居た。
・大正15年も交際してる。親密になって深く愛し合ってる。
・昭和2年の初めに別れた。青山通りのカフェか何かで話して、お別れをした。此れを思い出した時も号泣した。別れの言葉も全部思い出してしまったので、そのうち書くね。

・築地小劇場の近くの公園に行ってた気がする→實際に公園があった。

・デート内容なども當時の文化や出来事を調べて居たら妥當なことばかりで、本當の記憶なのかなって思う。

・昭和2年に出会った女の子が「彼女と同じ年の17歳」だったから、昭和2年に17歳の子。数え年だと思う。
及川道子の年齢と一致する。

・渡辺温と及川道子が付き合ったのは、15歳からだろうなと作品を讀んで思って居た。それは結婚可能年齢になるまで待ってたのかな? と考えが至ったらうわーと号泣してしまった。

・渡辺温が別れたのは、彼女を内縁の妻とかいい加減な立場にしたくなくて、本當に大切だからこそ下手に待たせないで解放したのかな、と考えてたら号泣しちゃった。屹度そうだったんだと思った。

友達のこと

・大正13年頃の思い出から登場する仲が良かったお洒落な友達。帽子をかぶってスーツ着てる。一緒に飲んだり彼女に告白しろよと背中を押してもらったり。長谷川修二? と思って居るけど、誰なのかはっきり理解らない。
・それとは別に、大學時代は長谷川修二を「ナラハラ」と呼んでた気がする。
・昭和2年以降、京都に何度か行って遊んでいた感覺。
 渡辺温が取材に行ってた関西の撮影所って京都だね。他にも何度か行ってたようだし・

・アッシャー家の崩壊は映畫館に座った儘3回か4回位見たと思う。その後何度かぽつぽつ見た気もするけど。とにかく初見では繰り返し見て居た感覺。

・他にも他愛のない日常を澤山思い出して居るよ。小説形式にして全部書き殘していくね。

・記憶が戻った時は、鬼滅の猗窩座が戀雪さんのことを思い出した時と同じような感覺だったよ。僕は忘れていた時もずっと彼女を求めて居たんだなあと思った。

【!】神社で前世を思い出した関連の話。

夢でお呼ばれした神社は全部渡辺温の聖地関連の場所。

・江の島弁財天→神棚を作りなさいと夢で云われた。
・日枝神社→赤坂見附は温の散歩の終点。
・愛宕神社→三田、芝公園。温の慶応大學の近くだし、多分大學時代の下宿の近く。

【!】こんにゃく閻魔樣(旧新青年編集部の近く)

夢の中、茗荷谷駅で「―文京区の桜の名所…」と言われて検索したら桜の名所の坂道と、こんにゃく閻魔が見附かった。
閻魔樣は以前、僕が男に戻った時に夢の中で力強く送り出してくださったので、何時かお礼を言いたいと思って居たけど、ピンと来るお寺がなくて保留して居たから「此様な場所があったの!?」と云う感じで、それでお参りに行った。

本堂の閻魔像の前に立った瞬間
「渡辺温です!あれから僕の人生はどうでしたか?僕はもう許されますか?許してくださいますか?」という言葉がだーーっと脳に落ちてきて僕は号泣してた。今の自分の名前が全然出なくて、僕は自分の名前を「渡辺温」以外思い出せなくてびっくりして、いやいや違う、と冷静になろうとしても「温」の名前しか出てこなくて、しばらくしてやっと、「なるを」という今の名前を思い出した。

言葉が勝手に湧き上がるというか、だーっと落ちて来ると云うのか、感情が込上げるというのか。

とにかく僕は許して欲しいらしかった。

前の人生の僕は、多分閻魔樣に彼女との結婚を頼んで居たのに、それが出來なくて、彼女を守れなかった上に傷つけてしまって「みっともなくて情けない僕」を何度も懺悔に來て居たんだと思う。最初の参拝はものっすごい泣いてしまって自分でも驚いた。ただごとじゃなかった。

その後お御籤を引いたら大吉で「籠の鳥が放たれる」と云うことだったので、僕はもう許してもらったんだと思った。

・奥沢の神社でも参拝で手を合わせた瞬間

「神樣ごめんなさい、僕はあの時からこうしてやっと此處迄來ました。神樣、僕を許してくれますか?」という言葉が自然にばーっと込上げてきた。自分でも何の事か理解らなかったけど、前世で2回程來た事を感じた。中目黑から散歩して來たのかも。

・渡辺温の地元・助川の神社でも

助川鹿島神社へ行った後に、神樣からのメッセージでカードを引いたら
神樣が「おかえりなさい。君は『ただいま』って言いなさい。あの頃と同じ目をしていたから君だとすぐに理解ったよ」と云う答えが出たから
「ただいま」と試しに心の中で云ってみた。するとその瞬間僕は涙腺崩壊号泣だった。
「弱くてみっともなくてかっこわるい僕です、ごめんなさい。神樣は許してくださいますか? 僕に罰をしてください」そんな言葉がまた理由も理解らず湧き出て流れ落ちていった。
僕は前世で絵馬に彼女と結婚できるように、お父さんを説得出來る樣に、そして新青年の仕事が上手く行く樣に、と願掛けをして來た事を感じた。
彼女を守ると神樣に誓ったのに、その約束が守れなくて僕はずっと自分を責めて居た。此處の御祭神の樣に強くかっこよくなって、戀人を守りたいとお願いして居た。

・日立の泉神社さん

僕が渡辺温だった頃の心臓(魂)を預かっている、それを返すね、とビジョンで云われた。

【!】渡辺温の聖地巡りをした時。

戸崎町、新青年跡地。

共同印刷(旧博文館の印刷所)と博文館、新青年の跡地に行って「へえ、此處かあ」と思って家に歸ったら色々込上げて來た。

「もう新青年の頃には戻れない、どうしよう!取り返しのつかないこと(死んでしまったこと)をして仕舞った」という焦りと恐怖が出て来て、うわああああああんんと号泣して、「先生!先生!助けて!先生!」と、誰の事か理解らないけど僕は「先生」に助けを求めて居た。森下雨村さんのことなのかな?
取り返しのつかない事をして仕舞ったことが怖くて、どうしようもなくてパニックだった。僕は死んでしまったから新青年には戻れないし、昭和5年頃の編集部はもう何處にも無いし、當時の人達は誰も居ない。その事で僕はパニック状態の樣になった。
自分でも困惑する状態だった。

久世山(渡辺温の最後の家)

地図で目星をつけておいた場所に行って、歸りは「此方の道を使った気がする」と感覺で歩いて見たら、後に地図や情報を再度確かめると、感覺で歩いた場所の方が温の家があった場所に近そうだった。

・何度でも此處に歸りたくなる。ただの高級住宅街なのに。時間があれば最寄り駅の江戸川橋で降りてしまう。

・此處に来ると「久世山の家に歸りたかった」という気持ちが込上げて泣いてしまう。切ない。此處に歸るつもりだったのになあと云う氣持ち。

・何度目かの訪問で、推定100歳位のご婦人が僕のインバネスと山高帽姿の後ろ姿を見て、75歳くらいのご婦人に「私が子どもの頃はあんな格好の人をよく見たのよ」と話して居た。その人が4,5歳頃の話なら丁度温が住んでいた頃の事だろうから、それってもしかして渡辺温の事じゃないの?と思った。不思議な偶然。

東銀座(築地小劇場へ至る道)

 初めて來た氣がしなかった。モダンボーイとしての僕が居たのは此處だ、と感じた。(後に調べたら東銀座はモボの聖地だそう)2回目は訪問は2週間後で、強烈に惹かれて行かずに居られなかった。地元、或いは自分の庭の樣な感覺だった。
祝橋の袂に座って居たら「ああ僕は、昭和5年2月の續きを始めたいんだ。来る筈だったのに來なかったあの春を生きたいんだ」と、懐かしさと切なさで泣いちゃった。

此の橋の下は首都高だけど川のような気がしてしまう。何度見ても川だと勘違いして間違える。僕は此處で一人でぼんやり川を眺めて居たと思う。彼女を待ってる時、そして別れた後に一人で散歩をしている時も。

此の橋を越えて築地小劇場へ道子を迎えに行ったのだと思う。

・一方銀座の大通りの方は何も感じなかった→後で思えば、和光など温の死後の建物ばかり。
・銀座はサイセリアがあった通りも好きだったなあとワクワク感がある。夜の喧騒、幸せな香り。
・交詢社ビルの角で夜中に一度飲みすぎて吐いたような感覺があるけど果たして本當かどうか。

築地小劇場跡

築地小劇場跡の道は身に覺えがありすぎる。1度行っただけですぐに覺えてしまうし、あの道のりはなんだか懐かしくて、銀座へ行く度に行かずには居られない。みずほ銀行しかない真っ暗な路地なんだけどね。

築地小劇場の資料を漁ってると、ぐんぐん知識が入るから前世で見に行ってたやつだろうなと感じた。

小日向台(横溝正史と渡辺温が住んで居た場所)

すぐに道を覺えたし、通ったことない道も、繋がってる場所の予測も正確で全然道に迷わない。小日向台の横溝宅跡地から久世山の温の家のショートカットルートも間違わなかった。此處から新青年があった戸崎町へも適當に行ったけど、最短ルートで辿り着けた樣に思う。

惠比壽の下宿跡地

その晩、夢を見た。下宿をして居た時。夏はステテコ一枚で上半身ハダカ。鯛の煮附けと白玉団子が好き。おしゃれな友達が迎えに来て革靴でお出かけする、という物。
→長谷川修二の作品で渡辺温がモデルだと思われるキャラが「裸で外に飛び出して」と描かれていたから、ああもしかして此の夢は記憶なのかなと思った。

・僕は三田で2度働いたり、惠比壽で働いたり、と渡辺温の聖地とはニアミス。特に三田には因縁を感じる。けど自分を殺して、懲役27年をやってた頃だから、封印されてたように思う。

日立のこと

日立→既視感すごすぎる。土地勘すぐ身につくし。この海だったって全部わかった。

僕が渡辺温とか無関係にやっていた創作活動の中で、心象風景に海があるなあと思っていたけど、それが完全に日立の海だった。行ったことなかったのに、崖の感じ、海の色、砂濱の雰囲気など日立の海だった。特にあの夜の海。
そして温の心の中にも此の海がある事を感じた。

渡辺温のお墓参りは何時も泣いてしまう。

・2度目のお墓参り→此の人生が終わってしまったことをしみじみ感じて悲しくなった。ぽっかりと終わった感じ。終わってしまった人生なんだと。

・3度目のお墓参り ↑同じ感覺。此の人生は終わってしまったんだな。と。戻れないんだ、とその虚無感が悲しくなる。

・2度目の宿泊
渡辺家のお父さん、お母さんに会いたい、助川の海が懐かしい、と切なくなった。波の音を聞いて布団に入ったら、お父さん!お母さん!ってなって、会いたくなって泣いてしまった。僕は自然と此の場所を「助川」と呼んで居た。

僕の中で「日立」ではなく「助川」呼びがしっくりハマることに氣がついた。

・日立に行く前の上野、お父さんとお母さんのお墓にお菓子を買って行った方がいい気がしてユーハイム(此れが好いと言われた感覺)を選んで居る内に、感慨が込み上げてきて泣きそうになる。

・渡辺温関連聖地だけ、何度でも行きたくなるし行って仕舞う。暖かく、心地よく、切なく、甘く、心が落ち着く感覺。
他の作家の聖地巡りやお墓参りも時々してるけど、全然此樣な風になったことはない。谷崎、芥川…。みんな1度行けば、スタンプラリー感覺で満足しちゃうのに。

【!】みんなに対して謝りたくて仕方がない

・横溝正史さんのお墓参り
墓前に手を合わせると「勝手に死んでごめんなさい。迷惑掛けてごめんなさい」という言葉が込み上げて、泣き崩れそうになる。泣いてる。

・水谷準さんにも同じ気持ち。「迷惑かけてごめんなさい、勝手に死んでごめんなさい」って水谷さんのことを思い出すと泣く。

・谷崎さんにも迷惑かけたと思って悲しくて泣けて來たこともある。谷崎さんごめんなさい。

・渡邊のお父さん、お母さんにもごめんなさいと云う氣持ちが込上げる。
 お墓でお線香の幻臭がしてお母さんから「あなたが死んだ時につけたお線香の香りだよ」と云われた感じがした。

・一方、啓助さんとまりちゃんにはその感情は未だ湧いてない。何故だろう。
啓助さんのお墓参りでは、一緒にたくさんおやつを食べた。なんだかすごく楽しかった。啓助さんがチョコやおはぎが食べたいと云っていた氣がしたから。

長谷川修二

長谷川修二の追悼文は何度見ても号泣で切なくてたまらない。讀むたびに泣くし思い出すだけで泣く。
そして「ごめんね、ごめんね、(親友を失うという)つらい思いをさせて仕舞ってごめんね、巻き込んで仕舞ってごめんね。僕が死ぬ運命なのだとしたら僕は一人で死ねば良かったのに、本當にごめんね」と、ずっと此の感情が湧き上がる。幾らでも。今だってすぐに号泣出來る。

2023年、京都に遊びに行く時、「渡辺温なら関西へ行く時は長谷川修二に會ったのかな?」と思って居たら、僕まで長谷川修二に會いたいと云う気持ちが込み上げて、それが止まらずにずっと泣いてた。長谷川修二に會いたい、と思って切なくて泣いてしまう。

及川道子ちゃんへの氣持ち。

彼女を守るって言ったのに、他でもない僕が彼女を一番傷つけた。此れを僕は潜在的にずっと引きずって居て、自分は幸せになる資格がないと思って居た。此の事を思い出すと「弱くてみっともなくて恰好悪い僕」というフレーズが出て來て申し訳なさと後悔で泣いて仕舞う。
彼女を深く傷つけてしまった、と思い出して後悔でゲロ吐きそうになったこともある。(止めた)そのくらい根深い。

彼女の事を思い出して毎日の樣に泣いて仕舞う。愛おしさともう戻らない時間と後悔、そして會いたい氣持ち。そういう切なさがある

・気がつけば手相に此の戀のことが刻まれていた
 最近思い出したからなのか「20代前半に運命の戀をしてそれが自分の中に深く刻まれて居る」という手相が出てた。

・1920年代頃の資料を見ると号泣してしまう。→懐かしさと戻れない切なさで泣く。

・映畫館に不壊の白珠を見に行った。
松竹蒲田のロゴ、懐かしい感じがして泣いた。ストーリーじゃなくて及川道子の可愛さや表情にずっと泣いてた。涙がとまらない。暗闇なのを良いことにずっとだらだら泣いて居た。彼女が生きている感じ、懐かしい感じ。此の可愛い笑顔を知っている気がした。

・「東京の合唱」も見に行ったけど、こちらは好きで樂しいけど懐かしい感じはなかった。でも松竹蒲田のロゴは、映畫館で見るのが懐かしすぎて泣いた。

・テレビで及川さんという人が出て居て、それをずっと眺めていると「及川」という名前がとても美しく尊いのものに感じて物凄く泣いてた。

・前世を思い出してから、昭和2,3,4年頃の資料を見ると号泣してしまう。小津安二郎展で岡田時彦と及川道子の資料見てたら、めちゃくちゃ涙が出てきて困った。誰も居なかったら声あげて泣いてた。

・新青年の資料も何気なくみてると、そのうちうわーんと泣いてしまうから迂闊に見れない。

・1920年代はカレンダーを眺めるだけでも感慨深くて切なくなる

・及川道子もデビュー當時頃の寫眞が、僕が知ってる子と云う感じでぐっと來る。それ以降は僕が知らない大人になった彼女なんだと思う。(可愛いけど)

・サイン入りブロマイドを見て泣いてしまう。サインは彼女が生きてたことを感じて泣くし、何時も泣く。

・及川道子が歌う「はたち心」は毎回号泣。彼女の伸びやかさや朗らかさ可愛らしさを色々感じて鼻水が出るくらい泣く。


【!】夢や催眠で見た話。

具合が悪くて家から出られない時期に、前世を見る催眠音源を何度かやって居た。

最初はデンマーク人の學者だったときの人生が出たけど、2度目にやったら昭和初期に生きて居た時の人生が見れた。それ以降は毎回昭和初期の人生が見れた。夢と催眠で見た話を、餘り分けず人生の時系列順に書いておく。

・子供時代、ど田舎だった。僕は坊主頭で着物を着ている。姉と妹、弟が割とたくさん居る。家に居ると妹や弟と遊んでやらなくちゃいけないから、一人の時間が欲しい時は、野山の方へ行って居た。
→渡辺温の兄弟姉妹の構成を確認したら、合ってたと思う。大正時代の家族の集合写真を一生懸命確かめた。
日立に行ってみて、野山も割と身近な地形だったらしく小學校の裏手は山っぽい感じなので、間違っちゃいないかなと思う。あと、海の方だと家から見たり家族が遊びに來るから山の方へ行ったのかなと思った。

・スクリーンの上を通り過ぎていく美しく胸踊る映畫の世界。たくさんの白黒映畫を見て居た。全部西洋の映畫だった。子どもの頃から僕は胸をワクワクさせて樣々な映畫を見て居た。
中でも僕はカリガリ博士を見て、こんな小説が書きたい!!此様な創作がしたい!!とはっきり決意した。
この映像が見えた時、現実の僕は号泣して居た。

・築地小劇場前で戀人を待って居た。今日はプロポーズするんだ、とドギマギしている夢を見た。→レストランでプロポーズ、僕はワインを飲みすぎて、歸りは上機嫌で銀座の通りを歌って居た。僕の後ろで笑っている彼女。幸せで堪らない日だった。

・彼女との結婚を多分親に反対されて、泣きながら砂濱を走ってスライディングして泣いてた。世界に絶望していた。日立の海かな

・東京で戀人に別れを告げた後、僕は海の方へ行って、港で崩れ落ちて泣いて居た。すると帽子を被ったおしゃれな友達がやってきて僕を慰めて呉れた。

日本橋か銀座。
僕は編集者の仕事をしているらしかった。革靴を履いてスーツ姿で、萩原朔太郎に原稿依頼のため喫茶店に向かう。僕は萩原朔太郎のファンなので、ドギマギしながら、サインがほしいと思って自分が昔から持っていた朔太郎の本を抱えていた。
→夢は其処で終わり。朔太郎に會えたかどうかは理解らない。

この時は知らなかったけど、温の時代に朔太郎は新青年に詩を寄稿しているし、温はその後朔太郎に原稿依頼の手紙を出してる。
此れは本當にびっくりした…。朔太郎と新青年の繋がりがあると思わなかった。

・バーの歸り小説書きなさいと励ましてくれる會社の友達。2人で飲みに行って居た夢を他にも見た。
→僕は横溝さんだと感じる。あの柔和な笑顔は横溝さん。

・横溝さんぽい人に「君は褒めれば褒めるほど好い文章が湯水の如く出る人だから……」と言われた夢。

・銀座をずっと散歩してたのは、道子と別れて寂しくて心細すぎて散歩で気を紛らわせて居たからだった。とても一人で凝っとして居られなかった。

・バーでお祝いをして友達2人とカウンターの中の女の子1人とお酒を飲んで乾杯していた。シルクハット買った僕は遅れて店に行った。みんなもうお酒やお祝いの用意をしていてすっかり盛り上がっている。
シルクハットを買った日のようでもあったし、クリスマスの樣でもあった。どちらのお祝いかはっきり理解らなかった。
→後に渡辺温のシルクハットはクリスマスに買ったと知る。

マリちゃんとの馴れ初めを夢に見た。
僕が失戀して一人で居るのが寂しすぎるから「じゃああたしと結婚しない?あたしが家にいたら寂しくないでしょう?」と言われて軽い調子で「それはいいね!」と言って結婚を決めた。

・昭和3年7月の後半、僕は夕方にバーで誰も居ない店内で、カウンター越しに女の子の手を握っていちゃつく。僕と女の子はもうすぐ結婚する豫定。その後6時過ぎに有楽町で會社の友達2人と待ち合わせ。横溝、水谷だと思う。
水谷さんが入社した頃だから、時期合ってるんだよね。

・鎌倉の家っぽい家で朝御飯食べながら雑誌獵奇を讀んでいた。隣には妻。
・生活に困って、着物売ったら?といったら嫌がられたという夢も見た。

・編集部で仕事をしている
二階、机を向かい合わせて3人で仕事をしている。12時頃になって、上司の樣な人が「昼ご飯行こうか?」と云う。
→新青年かなあ、でも新青年の編集部って3人だったの?と思って居たら、乾さんの本に書いてあった編集部の間取りや特徴が夢の中の事務所その儘で、當時、荒木さんが居て3人体制だったことも知る。その儘だった。

昭和4年
・僕が會社に復歸して、秋頃、お給料を貰って妻と二人で喜んでいた。プレゼントを何か買って上げた樣な気がする。

昭和5年頃
久世山の家で半ノラの猫を買っていた憶えがある。あの猫を残して死んでしまったことを思うと悲しくて、胸が苦しくて、今更その猫のことが心配になる。

死んだ場面

僕は病院で、気がついたら死んで居た。
幽霊になったベッドの上に居る僕は死んで仕舞った自分を見て
「此れからもっと小説を書こうと思ったのに」「此れから頑張ろうと思ったのに」と悔しくて悲しくて、えええええんと泣いて仕舞う。
僕の傍らには、斷髮の30歳前位の女性。

彼女は僕の花の水を變えたり、僕の遺体に縋りついて泣いたりして居た。僕の事を愛してくれて居たんだと思う。(僕の気持は愛して居たって感じじゃないんだよね…)
親族とも戀人ともつかない感じだけど、今思えば多分妻だ。

死ぬ時の夢は毎回これ。

もっと小説が書きたかったというのが一番の悔い。
此れまで僕は、ごく短い短編小説か詩の樣な物しか書いたことがないらしかった。だから此れからもっと本気出して澤山書く積もりで居た。

自分のお葬式も幽霊になってみていた。何で死んじゃったんだよおおおおと駄々っ子の樣に暴れる幽霊だった。

お迎えの人に「みんなが供養して呉れるんだから、無駄にしないように成佛しましょう」と云われて「理解った」と納得して成佛した。

細かい夢

・何度も「わたなべさん」「おん」と呼ばれる夢を見る。
・「渡邊伊太郎さん」という、お父さんが夢にでてきてゲンコツされた。坊主頭で着物を着ていた子供時代の夢。
・お母さんも夢に出て來た。
・姉2人も夢に出てきた。
・猿江川、夢に出てきた景色にすごく似てた。幼い僕が出かけて歸った場所だった。
・日立に行ってからしばらくの間、自分がスーツを着た小柄な男で海の方を歩いている夢をよく見た。渡辺温のような体型。

色々な人が夢に出て來た

横溝正史さん
毎回、小説を書き續けるための精神的なアドバイスをくれる。
水谷準さん
何をどんな風に書けば良いか具體的に教えてくれた。さすが名編集者。そして水谷さんの「作家としての能力」と「編集者としての能力」をそれぞれトランクに入れて譲りってくださった。水谷さんのお誕生日にも夢に出てきた。「昭和40年代に出る筈だった渡辺温の回想録、今回君が資料をまとめることでそれが叶いそうで嬉しい」と云われた。

・中村進治郎くん
命日に出てきた。赤いトランクをくれると云っていたけど…。

・辻潤さん
「渡辺温ちゃんに関することを教えてやるよ」だからうちへ來い、と云って居た。

◯。靈感占い師の感覺で感じた事。

2024年、渡辺温のお墓に行く時、「もしそれでも、僕の魂が渡辺温じゃないかもしれないから」と思って温が何か欲しがってるか念の爲に確かめようとしたら、何も感じないし眉間がビリビリしてくらくらして氣持ち惡くなった。合わせ鏡の無限の世界を見てる感覺。温が自分だからそうなったんだと思う。こう云うのは初めてだった。

2006年に始めて行った時から温はお墓には居ないってずっと感じてた。
啓助さんはうっすら居る気がする。
辻さんも居たと思う。
横溝さんも命日だからか降りて來てた。普段は居ないのかも。
そんな感覺。
谷崎潤一郎は全然居なかった。

・夢でユタに勧誘された時に、僕のユタのおばあさんが「この子は温と言います、ユタにはなりません」と守ってくれた。
・神樣関連とお話すると「温」と呼ばれることがある。此方の方が本當の君だろう、と感じ。

【!】靈感ある知人に見てもらった話。

この人は本當に靈感がすごくて、電話で話している人の服の色や、相手の見た目や名前を傳える前から言い當ててしまう。かなり強い靈感を持ってる人。3ヶ月に1回くらい、気が向くと思い切り見てくれる時があるので、そう云う時にお願いして見てもらった。
此の方は戰前の文化には疎く、渡辺温の事は全く知らない人だ。

靈視の結果。

1回目は何も前情報を教えずに「昭和初期頃の前世がある筈だから、それを見て」と頼んで見てもらった。
・作家で編集者という言葉が降りてくる。何これ、どういうこと?といわれた。
・妹か戀人か理解らない年下の女の子と一緒に歩いてる。
・名前にさんずいへんがつく
・スーツに帽子、ステッキで女の子とカフェに行ってる。罪悪感がものすごい。彼女じゃなくて別れた後に付き合った、彼女によく似た別の女の子。前日お酒を飲みすぎて遲刻してる。
・甘党っぽいけど、どう? →後に渡辺温がショートケーキが大好きだったことが判明。
・銀座や渋谷でデートしてる

3回目くらいの時に「僕の前世は渡辺温と云う人だと思うけど、どう?」と聞いた上で視て貰うと「魂の色がそっくり、同じ。此れは自分って思っていいよ」との事。
とはいえ僕は疑い深いので、3ヶ月おきに3回ほどみてもらったけど、毎回同じ色!と太鼓判を押されたので、そうなんだと思う事にした。

此の人にその前のデンマーク人の學者の時の人生で、此の人かもしれない?と思う人を見て貰った時は「それは別人。君の前世は此の人の友達」と云われた。なので何でもかんでも「本人で合ってる」と云う譯じゃないんだなあと思った。

「僕が渡辺温だとしたら、成田山のお守りを踏んだ筈だけど、あの件は本當なの?」
と聞いたら本當か如何かを通り越して
「怖い怖い、成田山の佛樣が赤い色をしてすごく怒ってる」と靈感の人は震え上がって仕舞った。自分自身を踏んづけてしまったような、してはいけないことをした。成田山は行かないほうがいい。と云われた。

→けれど考えてみれば、成田山は不思議と縁がなくて行けない。神田明神や将門樣、清盛樣の方に縁が在った。
→佛樣に無礼なことをしたので、今世ではそれを改めるために神樣を信じなくちゃいけない霊媒師の血を引いての占い師をさせられてる。業を返すためだ。
→だから僕は仏教と縁遠い沖縄で、でもドグラ・マグラが原文で讀める場所に生まれたんだと思った。

・妻の気持ちは「すごくモテる人を落とせたから嬉しい。前の戀人を忘れられないのは分かってるけど、でも正妻は私だから関係ない」
と氣を強く持ってる感じ。靈感の人曰く僕はすごくいい男だったらしい。

・戀人との結婚は親に反対された、と云われた。

・これは渡辺温を靈視して云っている話じゃなく、僕を見た結果を話して居ると云っていた。だから今の僕自身を通じて靈視で見える過去が、渡辺温の人生と一致していたと云う話になる。

◯。前世の僕がどういう人間かまとめると…


明治生まれ。田舎に居た少年、上にも下にも兄弟姉妹がたくさん居る。
・外国の映畫を澤山觀て居た子供時代。
 カリガリ博士に感銘を受けて、こんな小説が書きたい!と決意する。
大正13年頃、學生 戀人になる女の子に愛を告白する。告白するだけ。
大正14年 15歳くらいの戀人に交際を申し込み、付き合う。
昭和2年 社会人、編集者。小説も書いてるらしく、會社の友達に「小説書きなよ」と云われる。青山通りで戀人と別れる。ステッキついて銀座を散歩しまくってる。京都に仕事で行った。クリスマスにシルクハットを買った。完全にモダンボーイのファッション。
昭和3年 バーの女の子とノリで結婚する。生活が少し苦しかったらしく妻に「着物賣ったら?」と云って斷わられる。
昭和4年。チャブ屋に行ったのは昭和4年の終わりのような気がする。4、5回は行ってた感じ。
昭和5年? 気が附いたら死んで居た。病院のベッドで死んでる自分を見下ろす、僕は幽靈だった。「もっと小説が書きたかったのに!」と泣いて暴れて激しく後悔している。斷髮の妻が僕の亡骸に寄り添って居る。

昭和6年以降、思い出は出て來ない。
昭和8年、12年、遠い未来のように感じる。

◯。最後に

そう云う譯で、僕は自分が渡辺温の生まれ變わりだと思う事にしました。
あの頃よりも文學的な才能は無いのかも知れないけれど。でも温ならば100年後の時代に同じ樣な物を書いているとは思わないでしょう? 僕はあの頃と違ったものを書こうとしてるけど、励ましてくれる横さんもいないし文學的な共鳴者の啓助さんもいないし、そう云う中で新しいことをしようとして模索中、と云う事でひとつ御容赦ください。なんて。なんて。文才だけ昭和5年に置いて來て仕舞ったのかもしれないけどね。

此處までの體驗をすると、それは生まれ變わりだと思わざるを得ないし、そう思って生きる方が樂だなあと思います。此様な事が身の上に起きたら、誰でもそう思う樣になると思う。

そして此れを公表して仕舞う方が、僕もビクビクしないで濟むので出して終おうと思った譯です。
前世の話をする時に「こいつ、渡辺温の生まれ変わりって思ってねえか〜?って思われてない?」ってビクビクしてたので、そう云うのを止めて終いたかったのでした。

とは言え「だから認めろ」って話しじゃなくて、僕はこう感じている人間だという自己紹介です。

そう、これは壮大な自己紹介なのでした。

此の話を全部讀めた人は居るのだろうか。
一部にせよ全部にせよ、長々とお付き合いいただき、どうもありがとうございました。


おしまい。

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