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渡辺温のお墓参り。

偏愛し倒して居る渡辺温のお墓参りには、これまで2回行って居る。

一度目は2006年の10月の終わり頃。
二度目は2022年の2月23日。


渡辺温のお墓は茨城県の日立市の駅近くの鏡徳寺というお寺にある。

一度目に行った経緯は、当時一緒にいた人に「渡辺温のお墓参りにいつか行きたいんだ」と話したら「じゃあ行こう」と言われてすぐに行くことになった。その人は茨城に長くいた人だったから、都内から茨城へ行くことの敷居が低かったらしい。

あの頃はまだガラケーの時代で僕の端末もvodafoneの703SHの黄緑色だった。それ故、あまり携帯で写真を撮ることをせず、またお墓参りに慣れてないこともあり僕はその時写真を撮らなかった。
他人のお墓で写真撮っていいのか否か、分からなかったのだ。
今ではそのことをすごく後悔している。

純粋に渡辺温のお墓参りに行った話だけをしたいのだが、この話をすると不思議な話もせざるを得なくて話のジャンルがぶれてしまう。申し訳ない。然し在りの儘率直に語ろうと思う。

2006年10月の終わり

日立駅から10分ほど歩くとそのお寺には着いた。
天気の良い日だったことを覚えて居る。
スマホでグーグルマップを見ながら行くということが出来なかった当時は、駅前の地図でも見ながら行ったのだろうか。それとも事前にネット(PC)で調べて目星をつけていたか。今となってはよく覚えていない。
叢書新青年の「渡辺温」の巻末年表で「鏡徳寺」ということは確認していたから、間違えて居ない筈だ。
お寺に入ることも、お墓参りすることにも慣れてない僕は割と念入りに入口でお寺の名前を確認したことを覚えて居る。

お寺でのお墓参りには慣れて居ない。けれど「作家のお墓参りをしていいんだ!」ということを知ったのは、そういうサイトからだった。だから大丈夫な筈……と思いつつ、温のお墓を探す。

お墓は白いコンクリートの階段のような、高い段々のところに並んでいた。
7段分くらいあっただろうか。とにかくお墓は多かった。

こんな感じのお墓がいっぱい並んでた。

たくさんお墓があるから、一つつづ見ていかなくてはいけない。僕は連れと手分けして探すことにした。
これは長くなるなあと思って居たけど、案外あっさり見つかった。
左端から2番目、上から2段目くらいの場所だった。上のイラストのような墓のもっと黒い感じのお墓、その側面の墓誌に「渡辺温」と書いてあった。
これだ! と思った瞬間、切なさとたまらなさが込み上げてきて、泣きそうになった。一人で浸りたいと思ったから、連れには「ちょっとこのお墓と二人きりにして」とお願いして、遠くへ行ってもらった。僕はこういうことを頼むのにすごく遠慮する方だから、自分にしては珍しいお願いだったけど、今となってはちゃんと言えてよかったと思う。とにかく自分一人で向き合いたかった。

お墓を見た瞬間「やっと会えたね、会いたかった」という言葉がとめどなく脳みその上を流れ落ちていった。滝のような言葉と感情だった。
どういう意味で、どういう立ち位置なのか自分でも理解らないけど、その言葉で頭がいっぱいで号泣して居た。
自分でもおかしいなあと思いながら、渡辺温の墓の前で手を合わせた。
此処に本物の温が眠っているのだと思うと堪らない気持ちになった。

帰る時、入口に観音様の像があることに気が付いた。像があったか……気付かなかった……と思った覚えがある。

2022年2月23日

渡辺温の命日にお墓参りに行きたいなあ……と家人に相談したところ、命日の2月10日ではないけれど23日なら車でドライブとして助川まで行っていいと言うことだったから、お言葉に甘えて家人の運転で日立市助川まで行ってきた。
高速使ったけど5、6時間かかったと思う。家人は本当にお疲れ様だった。

旧高鈴尋常小学校/現・助川小学校

昼に着いて、温の通った旧高鈴小学校を外側から見て、通学路に想いを馳せたりした後に、日立のファミレスでご飯を食べてそれから鏡徳寺へ行った。

昼ごはん。

前回は駅から歩いていったけど、今回はファミレス行ってから車で向かったので逆方面から行くことになった。

お墓がある筈の外壁のあたりを通りかかった時、前回と景色が全然違うことに気がついた。あの白いコンクリートの段々がないのだ。
おかしいな、何か見間違いかな。それとも僕が場所を間違えているのか。
そう思いながら寺の駐車場に車を停めるけど、矢張りそこは鏡徳寺で間違いない。寺の前の道路も以前と同じ感じだと思った。
だからこのお寺だと思うけれど、それにしても様子が違う。

家人らは車で待ってるというので、僕は一人でお墓の方へ行くことにした。どのみち一人で手を合わせたかったので都合が良かった。

入って正面、まずは観音菩薩像のあるお堂のようなものがある。そこに行く手間から墓地の様子は見えるけど、やっぱり以前と全然様子が違う。
「うっそだろ……」
僕は唖然とする。

お墓はみんな古めかしい感じで、真っ白なコンクリートの段々なんて跡形もない。地面は整備されて居ないような、昔からある雰囲気の墓地だった。
昔からそこにある、という感じの歴史を感じるような石のお墓ばかりで僕は頭が混乱する。
あれから墓地の改装があったとしても、古いものが新しくなるのなら意味がわかる。けれど僕が見ているのは、新しいものが途轍もなく古く変わっている様子なのだ。例えるなら築10年の建物が配置もデザインも何もかも変わって、全体に築100年以上の風格を持って居る。そんな感じ。
全く意味がわからない。
全然理解できない。
けれど此処が「鏡徳寺」なら仕方がない。

僕はもうそれ以上深く考えることをやめた。目の前の墓地がその状態であるのなら、それを受け入れるより他にない。
僕は入口で「渡辺温のお墓参りに来ました。どうか僕をお墓の前まで導いてください」と観音様にお願いをした。
この沢山のお墓の中から探すのは、僕の力ではとても無理そうな気がしたから仏様の力を借りようと思った。

地獄に仏……ではなく、墓地に仏、なのだが。しかし本当にそんな心境で、お墓は本当にあっさりすぐに見つかった。
比較的入口の近くにあるのが渡邊家のお墓だった。

渡邊家のお墓

「あ、あった」
と僕は声を上げ、心の中で観音様に手をあわせる。

渡邊家の墓誌/温は3人目に記載。

今回僕は、2021年の神奈川近代文学館であった新青年展の冊子を持っていった。あなたの仕事がこんな風に形になりましたよ、と墓前で見せた。
今回も何故だか堪らないものが込み上げて、涙が止まらなくて仕様がなかった。
作家のお墓には今まで何人も行ったことがあるけどこんなに泣いてしまうのは渡辺温だけだ。

この頃僕はもう占い師をしていて薄い霊感も育って居たから、温が居るか確かめようと気配を探ってみた。けれどやっぱり、前回も感じたことだけどお墓には全然居ないように感じた。

先日(2024年1月14日)に啓助さんのお墓参りをした後に「そういえば温の方には何かお供えを持って行く発想がなかったな。もし今、尋ねてみたら何か答えが返ってくるのだろうか?」と、思おうとしたら頭が痛くなって目眩がくらくらして吐き気がしたからやめた。
今もこの記事を書く時に、お墓に気配はあるかなあ?と 探ってみるとやっぱり目眩がしてとても気持ち悪くなってしまう。眉間のあたりがくらくらして気持ち悪くなる。何度やってもそうだ……本当に。僕はもう考えるのをやめた方が良い。
けれどこんなのは初めてだ。これも他では全然ない感覚だった。

不思議なことだらけでお墓を出た後は、温がよく眺めて過ごしたであろう助川の海沿いを車で走ってもらうことにした。

この海を見て育ったのかな。

温の実家の住所が「助川、東海岸」としか判らず、今だと地名も変わって居てさっぱりだったから、まあこの辺りだろう……と思って通り過ぎてもらった。

後に手に入れた資料に拠ると、温が過ごした場所はやっぱりその辺りで間違いなかったらしい。そして住所もなんとなく特定できたと思うので次はちゃんと巡ってみたい。

その辺りで時間が16時頃になったので帰路に着いた。

帰りの車の中で僕は、お寺の様子が全く違って居たから以前行ったのは別のお寺だったんぢゃないかしら? と思い、地図を検索した。
けれど日立駅からそのくらいの距離にはお寺はなく、他のお寺の写真を見たけど、僕の記憶に当てはまる場所はない。
それに寺へ行く道中は同じ景色だったように思うし、一度目の時にちゃんと墓誌の「渡辺温」という名前も確認して居る。

この記事を書くにあたってもう一度、日立駅周りのお寺を確認したけど他にそれらしい寺はやっぱりない。
それじゃ僕の記憶違いかな? と何度も自分の記憶を疑うけれど、それでもあの人と墓を探したのは、真っ白でとても広い感じのコンクリートの階段状の墓地だった記憶しか出てこない。

それに2023年のお墓は、1930年に温の墓前で長男さんと啓助さんとマリさんの3人で撮った写真、あの感じにそっくりだった。だから本当、このお寺はほとんど昭和5年の儘なんだろうなあと思う。

それにしても一体どうなって居るんだろう。訳が理解らない。けれど僕の身の上には時々そういうことが起きるから、また起きちゃったんだなって受け入れるより他にない。

今回は写真に撮ったし、資料も手にして居るわけだから、もうこのお墓から変わらないと思う。

こういうおかしなことが起きるのって、何も記録を残して居ない時なのだ。

渡辺温のお墓参りに行った話がしたいだけだのに、オカルト話が濃厚になってしまう。ただお墓参りに行って切なくなった話がしたいだけの温オタクとしては非常に残念である。然しこの点を伏せて話すと、話が凸凹になって不自然になるから仕方がない。
これもまあ、新青年オラクルの番外編だと思って一つご容赦いただきたい。

後に家人に「白いコンクリートの墓地は君が女だった時の墓で、現在の形に戻った時のお墓がそれだったと言うことかい?」と云われ、成程!と妙に納得した。
僕が変わり世界線が変わったのだろう。そう言うことにしておこう。

さて。これで渡辺温のお墓参りに行った話は終わりです。
何れまた、お墓には行こうと思ってるのでその時はレポートでも書きます。


おしまい.

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