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生きてる素晴らしさを説こうとしたらネットリテラシーの話になった

↑近所の飼い猫。かわいい
生きてるっていいな。と言ってみる。今日は。
「我思う、故に我あり」というのは崇高すぎて、自分が生きているからこそ世界のあらゆることを知覚できる。暖かいこととか、冷たいこととか
生きているからこそ思うことができる。嬉しいこととか辛いこととか。
そういえば皆さんに聞いてみたいんですけど、生きてる体感として、幸福な時間と不幸な時間の割合(不幸というか辛い時期)って「幸せ2:辛いこと8」くらいだと思うんですけど皆さんどうですか?多分印象による錯覚とかもあると思うので、実際はもっと幸福の割合多いと思うんですけど、それでも疲れてる時間の方が多いと思う。それでも生きるというのは、もはや辛いことすら尊い価値があるってことなんでしょうね。幸せの数=人生の幸福度という方程式で人生に挑むと、この世の中はハードすぎる。「不幸もひっくるめて俺の豊かな人生だ!」みたいな吹っ切れ方をしたい。少年漫画も同じようなこと書いてあると思う。
あと、辛いことって「過程」に含まれてると思う。SNSを見てるとキラキラした人間がいっぱい出てきて、「自分ってダメな人間なんだ」みたいな錯覚に陥るけど、キラキラしてる人たちはその人たちなりに多大な苦労と努力を積み重ねている過程があるはず。そんな努力の上でキラキラしてるんだからそりゃ人に立ってみてもらいたいでしょうよ。昔だったら半径2メートルくらいの人間事情しか知らずに済んだけど(それはそれで大変)、交通インフラの発展だとか、インターネットの普及だとかで、その半径がすごい勢いで拡大してる。そういう目まぐるしく変わる情勢の中で、自分の社会的欲求とどう向き合うか、それがネットリテラシーってやつだと思う。また、これらの恩恵を授かっているのは賢い人もそうだし、そうでない人にも平等に与えられてる。そういうところも踏まえると難しいよね

書籍、メディアに一定の信頼が置ける理由

大学でレポートを作るときに「wikipediaは極力使わないこと」みたいなことを最近の学生はよく言われるはず。それはなぜか、理由は上記に書いてあるように「いろんな人が書けるから」
一方、書籍などになっているものは、著者以外にも、編集者など、多くの人が加筆、修正している。何故そんなことをするのか、下手な書籍を発行すると出版業者に被害がいくからですね。だから著者側も、できるだけ信頼のおける情報をソースとして利用したりする。そうして書籍自体の価値が増していく。
ちなみに、僕は大学時代に自由テーマでレポート作成したときに、同性愛についてまとめたことがあります。そのときに読んだ本がとても面白かったのでぜひみんなにも読んでほしい

ギリシャ時代は同性愛が当たり前だったとかなんとか。

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この投稿、最初は「生きてるって素晴らしい!」というタイトルにしてたんですけど、途中からあまりにテーマがネットリテラシーに偏ったのでタイトル変更しました。でも「人生」「幸福度」って綿密に繋がってると思うし、現代の幸福度の中に「ネットリテラシー」もまた綿密に絡んでる気がする。僕はドライブも好きだし、ラジオも、本も、ネットサーフィンも大好きだ。
社会制度や基盤が追いつかないままインターネットの技術の進歩は続く、これはとても難しいことだ、社会制度は行政の役割、ネット技術の進歩は民間の役割だからだ。ある程度の不利益は方が守ってくれる、それでもネットの中で感情的な不利益を被ったとして、法が守りきれない部分もある。法が追いつかない部分は、自己防衛や予防をしなくてはならない。それでもネットは便利な部分を切り抜けば本当に便利なものなので、うまく使って幸せになりたいところ。

たとえおじちゃんみたいな年上の方でも、その業界に携わっていた人は僕より豊富にネットの知識を持っていたりする。何事も勉強だね。

ちなみにこの手の話は話し始めるとキリがないのが特徴で、バーとかでこっち方面に話を進めると朝までコースになる。なぜ完結しないのかというと、主題がそもそも大きく、概念的な物なので、要素が無限に枝分かれして、話があっちゃこっちゃいくから。ここに主観などを添えていき、自分なりの答えを出すのです。

バーといえば、最近福岡のバーで久しぶりにブランデー飲みました。果実特有の芳醇な匂いと深い味わい。最近ウイスキーばかりだったので、特に違いがわかったというか、久しぶりに飲むとめっちゃうまいですね。
最近ブランデーは価格下落気味なので狙い目らしい。イケおじマスターがそんなこと言ってた。

ネットとお酒と、有効利用して人生豊かにしていきたいものです。



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