見出し画像

あつし~、さみしいよぉ~

 これは、20年ほど前。
 まだケータイがなかった頃に体験した実話である。

 当時、僕の友人が、フィリピンパブのホステスに一目惚れした。
 しかし、彼と彼女との間には、非常に大きな壁があった。
 そう、言葉の壁である。

「え? フィリピンパブのホステスは日本語が話せるじゃないかって?」

 この質問をしたあなた・・・。通ってますね?(笑)

 確かに、フィリピンパブのホステスの言語習得能力には非常に驚かされる。
 3ヵ月も滞在していると、彼女たちはかなりの日本語を話す。
 日常会話に支障がないほどに。

 大リーグから来た外国人選手が、何年経っても挨拶程度の日本語しか話せないのとはえらい違いである。
 やはり、接客業である以上、日本語を習得するのは必須なのだろう。
 だから、死に物狂いで日本語を勉強するのだろう。
 そこが、日本語を覚えに来たわけではない、野球をプレーしに来た大リーガーとの大きな相違点なのかもしれない。

 しかし、友人が一目惚れしたホステスは違った。
 どれほど、フィリピン人の言語習得能力が優れているとはいえ、彼女は来日してほんの数日。
 なにせ、挨拶もままならないのだ。

 しかし、友人は本気である。

「大切なのはハートだろう?  違うか?  大村?」

 そう言って、無理やり僕をそのフィリピンパブに同行させた。
 では、彼はなぜ僕をフィリピンパブにそこまで同行させたかったのか。

 その理由は、「僕に英語で通訳させるため」。
 僕は英語がペラペラではなかったが、TOEICのスコアは800点で、実際にアルバイトで通訳をしたこともあった。
(当時は、食うためならどんな仕事でもやった)

「大切なのはハートじゃなかったのか!  T男!  お前、ちょっと矛盾してないか!」

 もっとも、人の良さでは誰にも負けない僕である。
 僕は、彼のために一生懸命通訳をしてあげた。

 その結果、随分といろいろなことがわかった。
 彼女には、国に病気の両親と貧しい兄弟がいること。
 お金さえあれば、もっと学問に打ち込みたいこと。

 日本語に翻訳された僕の話を聞いて、友人は半べそをかきながらその女性を抱きしめた。

「おい、 大村! いつでも俺を頼ってくれ!  って彼女に伝えてくれ!」

"OK! You'll be able to always count on him!"

 ただ、あるセリフだけ、僕は彼にはあえて説明をしなかった。
 それは、彼女の言った"I've got a boy freind."

 もちろん友人も、その程度の英語は聞き取れる。
 しかし、「boy friend」を「男友達」だと思ったらしく、彼女に

"I have many girl friends, too."

と間抜けな答えをしていたが、ご存知のとおり、英語圏で言うところの「boy friend」や「girl friend」は「友達」ではない。
「sweet heart」や「steady」。
 要するに、真剣にお付き合いをしている異性のことである。

 さすがに、こればかりは、彼に伝えることができなかった。

 さて、そんな様子を隣で見ていたホステスが、僕に興味を持った。
 ただ、こちらの女性も日本語が話せないのか、会話はもっぱら英語ばかり。

 この店、日本語がわからないホステスがこんなにいて大丈夫なのか?

 他人事ながら心配になってしまったが、その心配もどこへやら。
 酒も飲めないのにほろ酔い気分の中、大いに盛り上がったところで、「ビジネスカードが欲しい」とおねだりをされた。

 通常であれば、名刺などホステスに渡して、会社に電話でもかかってきたら困る、と思うところだが、当時の僕は、社員は僕一人、事務所は僕の部屋、という、超零細企業の社長であった。

 また、これまでの経験から、名刺を渡しても、連絡などしてくるはずがないと思い、できたての『有限会社プロジェクトA』という結構いけてるデザインの名刺を彼女に渡すことにした。

 事件は翌日起きた。
 PM5時50分。
 電話が鳴った。

 声の主は、昨日名刺を渡したあのホステス。
「ダイアナ」だった。

「Aren't you comming tonight? And・・・」

 要約すると、「今日は店には来ないのか? それに~、それに~」というものだ。

 そのときの会話で、お店に入って、ショータイムの踊りの練習を始めるのが5時。
 練習が終わり、着替えが整うが5時50分。
 つまり、この時間にしか電話はできないことをダイアナの会話から知った。

 そして、電話の最後は "Atsushi, I miss you."

 もう、友人と彼の一目ぼれの相手の恋のキューピッドの役目も済んだし、その店に僕が足を運ぶことは二度とないと思っていた。

 しかし、その翌日も、5時50分になると電話が鳴った。
 受話器の向こうは言う間でもない。
「ダイアナ」だ。

 恐らく、僕が渡した名刺の裏には会社名や肩書きが英語で書かれていたので、会社の「社長」、"President"の僕を金持ちと勘違いしてしまったらしい。

 そこで、6時に店が開くほんの数分しかない、そのわずかな時間で、会社とは言っても社員はいないこと。
 事務所すらないこと。
 僕は金持ちどころか、中古車も買えない貧乏であることを伝えたが、電話攻勢は一向にやまない。

 しかたがないので、僕はある方法を考えた。
 もっとも古典的ではあるが、もっとも効果的な方法。
 そう、「居留守」である。

「よし。今日から、5時50分ちょっと前になったら、電話を留守電モードに切り替えよう。それを繰り返していれば、そのうち、電話は来なくなるだろう」

 そして、5時40分になったら、呼び出し音が10回鳴ったら自動的に留守電に切り替わるようにした。

 そのとき、母親が、「あつしの部屋にガムテープない?  ちょっと、荷造りしたくて」と、プロジェクトAのオフィス、もとい、僕の部屋に上がってきた。

 なぜか、右手にははたきを持っていた。多分、1階でほこり掃除でもしていたのだろう。

「ガムテープ・・・。あったかな・・・?」

 僕がそう言ったとき、時計の針は5時50分を指した。
 そして、電話が鳴った。
「ダイアナからだ!」

 僕は、そう思ったが、いや、そう思ったからこそ、あえてその電話を無視しようとした。
 すると、なんと! 
  母親が、「電話、取らなきゃ駄目じゃない」と言って、受話器を持ち上げようとしているではないか!

  やばいぞ、これは!

  一瞬、どうせ、相手の言葉は英語だし、まあいいか、とも思ったが、やはり、母親に聞かせる会話ではない。
 なにせ、猫なで声で "Atsushi, I miss you." なのだ。

 いくら、アルファベットも読めない母親といえども、普通の電話でないことには気付くだろう。

「いいよ、いいよ。俺が今取るから」

 そう言って時間稼ぎをしたら、無事、留守電に切り替わってくれた。

「助かった・・・」

 九死に一生を得た僕が母親に気付かれないようにため息をついていると、電話のスピーカーから声がしてきた。

「ダイアナよ。あつし~、さみしいよぉ~。今日はお店に来てね~」

「・・・」
「・・・」

 2つの静寂が部屋を包んだ。
 時間にしてほんの数秒だろう。
 しかし、僕にも母親にも、その時間は無限に感じられた。

 僕は、注文した料理を、後から「値段はございません。時価でございます」と言われて白目をひんむいたかのような幽体離脱状態。

 母親は、「あれ、あそこにほこりが」と、持っていたはたきでパタパタママ(古い!)のように本棚の掃除を始めた。

 もちろん、そこにほこりなどない。
 ほこりが傷ついたのは僕のほうだ。
 母親も、はたきでもパタパタさせなければ、気まずさのあまりに白目をむいてしまうと思ったのだろう。

 しかし、なぜ、よりによって、今まで英語だったのに、その日に限って日本語なんだ!
  ダイアナ!
  お前、実は最初から日本語が話せたな!

 なんて言っても後の祭り。
 しかたがないので、その日そのお店に行って、ダイアナに、もう二度と電話をしないで欲しいとお願いをしてきた。

 そして、その日を境に電話は来なくなった。

 ダイアナ。
 君は今どこで何をしているの?
 幸せに暮らしているかい?

 もはや君の顔も思い出せない僕ではあるが、僕も母親も、君のセリフは一生忘れることはないだろう。

「あつし~、さみしいよぉ~」


【マルチナ、永遠のAI。】
https://note.mu/omura0313/n/na0a483687889

【夏休みのキセキ】
https://note.mu/omura0313/n/nd541be6c3641

【100万回生きた犬】
https://note.mu/omura0313/n/nd87cafa3f6e6

【無限ループ】
https://note.mu/omura0313/n/nfe1793c1d3c1

【ひとりぼっちのあいつ】
https://note.mu/omura0313/n/ne54012d9e374

記事はすべて無料でお読みいただけます。いただいたお志は、他のnoteユーザーのサポート、もしくは有料コンテンツの購入費に充てさせていただきます。