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日本人はなぜ無宗教なのか/阿満利麿

日本人が疑わない「無宗教」だが、宗教は「創唱宗教」「自然宗教」に区別される(本には出てこないがこれに加えて「カルト宗教」もあると思う)

「創唱宗教」は人生の様々な矛盾や不条理を根本的に解決しようという心から生まれる。
日本人は平凡を愛し、(出る杭は打たれる的な信仰が強かった)憂世ではなく浮世を好んだ国民性がある。加えて明治時代に天皇信仰が蔓延り、創唱宗教は衰退した。
けれど地方では、熱心な創唱宗教信者もいて、その人たちの心は美しい。東京だけを日本と考える人たちに、阿満さんは警鐘を鳴らしている。

自然宗教は今でも私たちの心に根付いている。けれど注目されてきたことは少なかった。そういった民間の信仰に注目した貴重なひとりとして、柳田国男がいる。柳田国男の、活躍した人の歴史を学ぶだけでなく、大多数の人間がどのように暮らしてきたかを学ぶことのほうが価値があるのではないかという問題提起には、とても考えさせられる。

内容は以上のような感じ。なぜ日本人が無宗教なのかは、すごく興味があったので、歴史と共に知れて良かった。国単位の宗教の広まりは、結局は政治の支配に左右されていて、それは日本もどこでも同じなんだろうと思う。けれど、宗教が人間にとってどのようなものなのか、という問いについても答えをくれたし、宗教が魅力的だと感じた。

日本人の問題は、宗教を「カルト宗教」とその他の宗教を区別できずに、宗教というだけで忌避する人がいることだ。そのような事態になるのなら、たとえ支配であっても国単位の宗教があった方が、カルト宗教に心を漬け込まれるリスクも減るし、ある程度の道徳も備わるし、よっぽど良かったのではないかと考える。

「創唱宗教」の課題である、理不尽や不条理への問い。人間はそういった永遠の問いについて、考え続ける方が幸福なのか、手に届く範囲の生活のみを大切にする方が幸福なのか。それは人それぞれだろう。しかし現代の日本人に後者が圧倒的に多いのは、少し悲しいし、生きにくいと感じる。

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