生きるとか、死ぬとか
今日、24歳の春、私。
4年前、大好きなことを仕事にした。
4年後の3月31日、コロナの影響による人員整理の対象になり、
志半ばで大好きな場所を去った。
幸い、転職活動は本気を懸けた一社で内定した。
そして二日後には、その会社の研修で東京に行く。
『一生この仕事を続けてる?』って聞かれて「うん」と即答はしなかったけど
学生のころからの夢だった業界を去る覚悟も、別になかった。
でも今は、時代に流されて違う世界の入り口に立ってます。
これは今日までの頭の中を残しておきたい記録のようなものです。
私以外には意味わからないと思うけど。残したい。
いろいろ考えたんですよね。解雇を言い渡された12月から今まで。
それを全部語源化できないから、タイトルの大まかな話を。
好きなことを仕事にして、それを楽しいと思いながら生きてこれた人生だったから
この世界を手放すって、全然想像がつかなくて。
これ以外に好きなことなんて他にない私にとって
この仕事やめたらどうするん?って。
微々たるガタはあるものの、まだ命終わる予定立ってないから
労働の対価でお金をもらって生計を立てなきゃいけないんだけど
え、なにで生きる?の?
って。
とりあえず自分の好きな趣味とか、得意なことを掘り起こして
向き合ってみたけど、仕事にしたいかって言われたら違うし。
転職サイト見ても心惹かれるような条件や理念も見当たらないし。
え、この先、マジで生きてて楽しい?っていう漠然な不安が生まれたの。
この不安は「労働」に対しての楽しさの話。
好きなことで、生きていくってよく聞くあのフレーズ
好きなことじゃなくても、その場所で一生懸命に
働けていればそれだけで素晴らしいと思う。
でも私個人は、好きだと思える瞬間がある仕事をしていたい派の人。
業務内容とかじゃなく、もっと中身の話のこと。
生きるために、お金を生産しなくちゃいけない。
でも、そのために生活の8割を占める労働時間を嫌な気持で覆いたくない。
死にたくないけど、生きる方法にベストが見つからない。
そんな本音を抱えながら、生活しててなかなか前向きになれなかったんですよ。
でも考えすぎの何周目かで、
生きるベースで物事考えるから、死にたくないのかって思ったら
死んでしまうから、生きていこうって思って。
実際、死んでしまう理由って生きる理由よりも容易に思いつける。
それに、たぶん死ぬことより生きることのほうが難しい、気がする。
自分で終わらせる手段以外にも思いつくことがありすぎる。
もしかしたら明日、買い物途中に通り魔に出くわすかもだし
乗ってた交通機関が大事故を起こしてしまうかもだし
なんなら今日寝てるときに大火事に逃げ遅れるかもなわけで。
生きながら、死にたくなるような日々を送るより
死んでしまうから、生きてくって精神なら
今まで見てた世界が変わるんじゃん?って気づいたら
びっくりするほど楽になった。
辞める間際に言われた心無い言葉も
内定が決まるまで不安だった心も
なんかいとおしく思えてきた。
あきらめた顔で見てしまってた転職サイトも
知らない世界がたくさん待っているのだと思うと、少しワクワクした。
今までは できる、できないで振り分けてたことが
やってみようと思えてきた。
だから、ありがとう前職。
新しい感情と新しい世界を知れたよ。
もしなんとなく最後まで読んでくださった人がいるなら
そんなあなたにも、ありがとうございます。
私はの大好きなバンドのひとつの歌に、こんな歌詞があってね
《僕が死んだって何も残らないから 生きているそのうちは死んでたまるか》
by Run away/[Alexandros]
希望とか夢とか大々的な目標とかはまた後でいいから、
今日も健やかに生きましょう、それぞれ違う場所で一緒に。