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それはそう思われる

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このnoteのメインコンテンツ。私、川﨑常喜の思い懐いたことについてつらつらと。
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記事一覧

女優さんの”旬”について思われる

 僕は女優の吉田羊さんのファンで、彼女の出演するドラマは毎回チェックしている。今秋は「まだ結婚できない男」というドラマに出演しているので、これも毎週みている。  そしてドラマが僕のツボにハマってしまった。阿部寛さんが演じる主人公のキャラが面白くて。僕も独身なのであるが、身に覚えのあるクセがある。この手のウンチクやイヤミをヒトに自分も言うよなと。  今回このドラマ実はシーズン2であり、シーズン1は13年前に放送されていた。そういえばたしかに、そういうドラマがあったと記憶はし

”少年革命家”ゆたぼんについて思われる

  ゆたぼんは、「不登校の自由」を主張し「小学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫く小学生である。通っていた小学校で、宿題をしていなかった事をきっかけに担任教師とトラブルになる。  そして周りの子たちがロボットに見えたから不登校になったそうで、周りの子の人格を否定して、親の書いた原稿を読んで、親が撮影するYouTubeに出て、行きたい時に行くといって給食だけを食べにいくような生活をしている。  このようなことを記録して、悪意が少しあるようにみえるかもしれないが、ゆたぼ

”俺様”海老名市市長選に立候補

 NHKから国民を守る党と立花孝志代表について、僕がなぜ触れようと思ったのか記録していくつもりであったが、現状興味深い選挙戦があるので、そっちの話題にしよう。  神奈川県海老名市というところで、市長選挙と市議会議員選挙がおこなわれている。投票日は明日の10日である。ダブル選挙というのがミソで、市長選の方に立花代表が出馬している。  いっぽう市議会議員選挙の方は、三宅紀昭さんという57歳の男性が立候補している。このヒトは7月の参議院議員選挙の宮城県選挙区から立候補して落選し

伊丹十三さんは殺されたのだと思われる

 とはいってもその根拠はない。「ヨーロッパ退屈日記」という伊丹さんの本を読み終えて、ふとそう思わされただけのことだ。公には事務所のマンションから飛び降りたことになってはいるが。  誰に殺されたのかは問題ではない。伊丹十三という稀有な才覚を持ち、生きることの楽しさをこれだけ一冊の本で伝えられるようなヒトを、自殺したのヒトコトで片づけてしまうのは失礼じゃないか。  週刊誌が不倫疑惑やSMクラブ通いを報じたぐらいで。”それぐらい”のことの潔白を証明するがために、自殺するようなヒ

キムタクドラマについて思われる

 現在、毎週日曜日21時にTBS系列で放映されているドラマ「グランメゾン東京」を観ている。主役が木村拓哉なのだが、あいかわらずこのヒトのドラマは鼻につくのだな。  いちおうライバル役として、それ相応の俳優は出てくるのだけれども、キムタクをよく見せるための踏み台感がぬぐえない。ちょこちょこ弱点を演出されては、かっこいいところをキムタクに持ってかれているのだ。  持ってかれてもしょうがないよねという予防線を、いちいち張ってあるのが嫌らしいといったところか。女性はどうかわからな

政治思想はヒトそのものの尺度にはなりえないと思われる

 仕事がら職場内のいろいろなヒトと組んで、その日の作業をするわけであるが、半年もやっているとよく話をするヒトと、ある程度の距離を保ってやるヒトとに分かれてくる。  私自身は積極的に話しかける方ではなく、それでいてこのヒトとは組みたくないというのもない。  おそらく職場のどのヒトも、私とは積極的に組みたいと思うヒトはいないであろうが、ぜったいに組みたくないとも思われていないはずだ。  仕事そのものも特にできるというわけではないが、どの仕事でもマンベンなくこなす。ようは無難

死後の世界について思われる

 いぜん神様というのは、天地そのものであり、ニンゲンのような姿はしていないのではないかということを記録した。天すなわち宇宙にはカタチがない。  それどころか無限に広がりつづけているかのようにみえる。ニンゲンの魂があるとしたら、どこにいくのであろうか。  私は宇宙が広がり続けているように、たくさんのヒトの魂は宇宙とともに広がっているのではないかと空想する。もちろん根拠はない。あくまで空想である。  いうなればイメージとしては、こんな感じだ。肉体から離れたらニンゲンとしての

靖国神社と魂について思われる(その1)

 00年代中ごろに、政治家の稲田朋美が ”靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです” という発言をしたことがあった。  靖国神社は明治2年に創建され、戊辰戦争から太平洋戦争まで護国のために戦死された”英霊”が祀られている。ちなみに西南戦争は政府軍の兵士のみで、西郷隆盛や薩摩側の兵士は祀られていない。  そういう意味では、稲田の言う”不戦の誓い”をするところではないというのは正しいのであろう。おな

やがてくる死のためにどう生きるかについて思われる

 魂というものの存在を信じている。無論その実体をみたことがないので、確信ではないけれども。信じることと確信することは、また違うと思われる。  信じるというのは確信と違って、そうではない可能性はあるけれども、そうなる可能性はあると考えることと僕のなかでは理解している。死後の世界を信じることは、この現世をどう生きるかということにも関係してくる。  死後の世界があるから、きっとあのヒトはあの世から見守っていてくれる。そして自分が死んで再会できたときに恥ずかしくないように、いまを

孤独と老いというものについて思われる

 ニンゲンは老いてゆき、そして二度と若いころに戻ることはない。肉体も脳が司る精神というものも。脳そのものが老い衰えるのだ。その結果が死というものである。  去年、40半ばにして独り身となってしまった。相手がまだ存命で子どもがいたなら、一縷の望みというのもあるのだが、どちらもないので、この現世においては困ったことになっている。  こうなると、ではどう孤独とともに生きていくかということになってくる。他のヒトを見つけてという選択肢もあるのだが、過度な期待みたいなものはしないよう