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靖国神社と魂について思われる(その1)

 00年代中ごろに、政治家の稲田朋美が
”靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです”
という発言をしたことがあった。

 靖国神社は明治2年に創建され、戊辰戦争から太平洋戦争まで護国のために戦死された”英霊”が祀られている。ちなみに西南戦争は政府軍の兵士のみで、西郷隆盛や薩摩側の兵士は祀られていない。

 そういう意味では、稲田の言う”不戦の誓い”をするところではないというのは正しいのであろう。おなじ戦争でお亡くなりになった日本人兵士の命に格差をつけているわけだから。

 不戦の誓いをするところならば、内戦そのものの悲劇に鑑みて双方の日本人兵士を祀らねばならない。だから8月15日に靖国神社に参拝するようなニンゲンは、不戦なんてことはこれっぽっちも考えていない。

 むしろ不戦を訴えるヒトに対して、祀られる英霊の名を騙って”英霊を愚弄するのか!”と脅迫しようとするニンゲンばかりなのだ。靖国神社というのは、そういうニンゲンたちの便利なツールにすぎない。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。
この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

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