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政治思想はヒトそのものの尺度にはなりえないと思われる

 仕事がら職場内のいろいろなヒトと組んで、その日の作業をするわけであるが、半年もやっているとよく話をするヒトと、ある程度の距離を保ってやるヒトとに分かれてくる。

 私自身は積極的に話しかける方ではなく、それでいてこのヒトとは組みたくないというのもない。

 おそらく職場のどのヒトも、私とは積極的に組みたいと思うヒトはいないであろうが、ぜったいに組みたくないとも思われていないはずだ。

 仕事そのものも特にできるというわけではないが、どの仕事でもマンベンなくこなす。ようは無難なタイプなのである。変わっているところといえば、40も半ばだというのに、大学で哲学を学んでいるところぐらいか。

 そういう私にたいしてでも、何人かは話しかけてくるヒトはいる。どのヒトにたいしても、聞く耳を傾けるからである。最初から拒絶する態度はとらない。

 ただ中には政治思想系の話題をしてくるヒトがいる。私が思われるに、政治思想系の話題というのは、気をつけなければならない話題のトップクラスである。それは右も左も変わりない。

 今回の昭和33年生まれのおじさんは、ネトウヨタイプであった。もし私が在日朝鮮人だとしたらどうするのだろう。それほど強烈なヘイトスピーチをぶちかましてきた。

 こういうときは、とりあえず聞いておく。おかしいと思っても、異論は唱えない。

 ちなみにこのヒト、それ以外でおもしろいことを言っていた。ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神アルテミスと、天照大神は同一人物であるというのだ。コトバの響きはたしかに似ているけれども。

 政治思想はヒトそのものの尺度にはなりえない、つまりそのヒトの人格を決定するものではないとは思われるが、やはり表に出すべきものではない。ときに大ゲンカに発展する可能性があるからだ。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。

この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

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