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◆仕事が大好きだった私が、大切にしている仕事のスキル

わたしが新卒で入社した会社は、
人材採用支援を生業にしていたこともあり、自社従業員の教育にも力を入れていた。

わたしの仕事のスキルの8割はその会社で培われたといっても過言ではない。

そのためか、「これ一般的なビジネス用語ですよね?」のテンションで使っていたワードが実はその会社の社内用語だったりして、相手をキョトンとさせることがある。

そのワードの一つが、
「気持ち伝達力」

伝達することの意味

気持ちを伝達する。

生きてて当たり前のことでは?
そう感じるかもしれないが、一日の終わりに振り返ってみると意外とできていない。

「今のすごく助かる!ありがとう!」
「わたし今すごく悔しい!」

同僚、主人、友人などなど彼らに対して、
遠慮やプライド、時に諦め、
それらのさまざまな障壁により「気持ちが伝達できない」。

わたしの場合、私生活よりも特別仕事の上でこの「気持ち伝達」は大切だと感じている。

むかーしむかし、社会人になりたての頃、「同僚は同僚であって仲良しクラブではない」わたしはそう思っていた。
そんな私に、当時慕っていた上司は言った。

「今きみが嬉しいか悲しいかぼくはわからないので、どう接すればいいかわからないし、手助けができない。」

とてもショックで目の前が暗くなった。
しかし彼はこう続けた。
「一度コンビニで友だちと話しているきみを見かけたことがあるが、あぁいうハツラツと笑うきみの姿を同僚がみれば、もっときみを助けたりしやすくなるのではないかな

少しだけ考え方を変えてみた。
もちろん職場はお友だちクラブではないが、「共通の目的を達成する仲間」ではあるではないか、と。

わたしは上司の話の後に、大学のときに入っていた「学園祭実行委員」を思い出していた。

「マジでちゃんとやってほしいんだけど」
「もう悔しすぎて夜も眠れないわー」
「え、すごいじゃん!!最高!!」
そうやって汗水一緒に垂らして、学園祭最終日、全てが終わった暗闇の中で組んだ円陣からは、笑い声と啜り泣きが混じって、いろんな感情の中達成感でいっぱいだったあの瞬間がまだ胸の奥に残っている。
というのは大袈裟だけど、でも同じかな、とその時のわたしは思った。

ぶつける、まででなくても、ちょっと見せたっていいのかもしれない。自分の胸の高まりや失意を。それでも相手はひいたり、めんどくさがったりしないのかもしれない。
そこからちょっとずつ変わっていけたと思う。

「習得」ではなく「発揮」

「おいしいね、かか」
「たのしいね、かか」
そうやって微笑んでいたお子が、
2歳になってから
「かなちい」
「はずかちい」
と、ネガティブな気持ちも表現するようになった。もちろん、その顔から微笑みは消え、口をへの字にしたり眉を顰めたりする。

この感情表現は人間の特権でもあるし、
感情を伝えるその様はどの角度から切り取っても「愛おしさ」に溢れている。

「あぁ、いまそんなに嬉しいのね」「一緒にいて楽しんでくれてるんだ」「あらあら何でそんなに悲しいの、何かしてあげられることはないかしら」
ぶつけてくれた感情を無視することはなかなかできないし、そうしようとする人も滅多にみない。やはりその感情を受け取り、何らかの形で応えようとするものまた、人間の性なのではと思う。

しかし我々は生まれ落ちた瞬間から沸き起こる気持ちを100%相手に伝えてきた我々も、いつしか少しずつその気持ちを飲み込むようになる。

「お姉ちゃんなんだから」そう言われ続けると「あーしたい、こーしたい」の気持ちをグッと飲み込むようになるだろう。

「お母さんいま忙しいの」そう言われ続ければ、「いま抱っこしてほしい」という気持ちを何かで紛らわせるようになるだろう。

人は人との関係の中で「我慢すること」を覚えていく。

だからみんな「気持ち伝達力」は「持っていない」ではなく「発揮できていない」という表現が適切だろう。

発揮すればきっと相手の行動も、そうする前と変わるはずだ。
相手を動かすのではない。自分が変わる。それによって相手も変わり、物事は熱を持って動き出す。
そういう能力が「気持ち伝達力」なのだとわたしは解釈している。

わたしの場合

これから新しい場所に飛び込むことがあれば、きっとわたしはまたこの力を封印してしまうはず。
遠慮、後ろめたさ、諦め、、、これらが足に絡みつき、お尻からお腹、肩から首、そして全身を包み込む。
でもそれは一時のことで、これまでの経験を糧に少しずつ関係構築し、そしてともに同じ目標に向かうその時に発揮する。
そうやって進んでいこうと思う。

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