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「なんとなく」で金は動かない

営業たるもの


「頑張ってるね、その頑張りに賭けてみようかな」
社会人1年目はじめて営業にでて数日のわたしにうどん屋の亭主はそういって契約書にハンコを押してくれた。

たった5、6年だけど「営業」という仕事を通じてたくさんの「決裁」をする立場の人に出会い、「金を払う」判断を目の当たりにしてきた。
幸いなのか、扱う商品は業界No. 1ではなかった。商談相手のなかには商品名を知らない人もいた。
だから金を払う理由に「有名な商品だから」「みんな選んでるから」はなく、それ以外の理由を作り出す必要があった。
それが時に面白くもあり、時に苦しくもあった。

「先に生まれただけの僕」

「先に生まれただけの僕」というドラマを、放送時をいれて3回は観ている。櫻井翔演じる商社マンが系列の学校法人に左遷され、校長に就任するというビジネス奮闘記。

わたしはこの手のものが好きである。
神木隆之介の「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる」や佐藤二郎の「ひきこもり先生」、古田新太の「俺のスカート、どこいった」。そして大学が舞台であるが松坂桃李の「今ここにある危機とぼくの好感度について」(これは別格な気がする)。学校というある意味閉鎖空間へ異分子がとびこみ、常識を覆していく。

ドラマとしては問題提起がしやすく、かつどんな異分子を送り込むかにより展開は無限大であり作りやすいのだろう。

その中でも前述した「先に生まれた〜」はわたしの中のドストライクだった。

事なかれ主義の先生の中に送り込まれた商社マンという異分子は、「それじゃあ社会では通用しない」と一刀両断。わたしの取るにたらない営業経験の中で得た感覚であってもリンクする部分が多く、痛快だった。

あるとき学外から登用したバスケ部のコーチが勝手に遠征の予定を組んでしまう。事前に話を聞いてない親が学校へ乗り込み、子どもがやる気になっているから遠征は行かせるが、必要とされる費用の半分も出せないという。彼らの気迫におされ、「学校側でなんとか負担する」とするが、主人公は「生徒に当たり前だと思ってほしくない」「生きた金にしたい」と悩む。

そーだよね!予算取るのって本当に大変だし、取れたら取れたでその費用の効果もシビアにみられるもんね!

そして出した結論は「学校が負担する80万円はバスケ部の負債とします」
騒然とする生徒。
主人公はこう続ける。
「なので勝ってください。練習試合で一勝すれば一万円返済とします」
「80勝すればインターハイも夢ではない」
それを聞き、俄然やる気を見せる生徒たち。

彼らのこの先は描かれないのでドラマの世界線があるとして、ほんとうにそれでうまくいったのかはわからない。
けれども、ビジネスの現場でやっていたからこその発想であり、投資を結果に繋げるために部員へのコーチングになっていることがあっぱれだと感じた。

「お金を使う」ことが悪だとする価値観は日本人ならうっすらと価値観の根底にあるように思うが、
どうせ使うならリターンを想定して「生き金
」として使う。
今の仕事でもふとこのエピソードを思い出す。
もう何かを売って買って貰うことはない。今後は買う側というより、買ってもらう立場。いかに「買ってもらえるか」つまりお金を動かせるか。どうしたらお金を使いたいと思ってもらえるか。なかなか面白くもあり、これまた辛くもあるのだ。


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