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誰でもいつでも"変わる可能性"があるー汽水空港に込めた希望。 ー 汽水空港 森 哲也

悩みを抱えながらもそれを共有できず、一人で抱え込んでしまうことってありますよね。

『学生時代に、自分の悩みに共感してくれるであろう大人が書いた本に出会った』と話す森 哲也さんもその一人。

『本』との出会いによって世界が広がった森さんは、今度は自分が多様な人の気持に寄り添える場所を作るべく、鳥取県湯梨浜町に本屋『汽水空港』をオープンさせました。

自分は何がやりたいんだろう。うまく言葉に出来ないけどもやもやする…。答えのない悩みを抱えているのなら、森さんの生き方や汽水空港の存在を知ることは、きっと新しい自分に出会う入り口になるはずです。

ありとあらゆる世界への入り口、『汽水空港』

森:「『汽水空港』では古本の買取と販売、新品の本の販売をメインに行なっています。『汽水学港』というイベントもやっていて、普通の小学校や中学校がつまらなかったと思う大人でも、どの年齢からでも、いつでも、安く、また勉強できる。学ぶ喜びを得ることができたらいいなと思ってやり始めました。火曜日は英語、水曜日は中国語を勉強しています。語学に限らず、人間が『学ぶことによって変化していく』ということを促していきたいんです。」

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モリテツヤ/1986年生まれ。北九州、ジャカルタ、千葉で育つ。2011年に鳥取へ着陸。2015年から汽水空港を運営。

店舗裏手に建てた小屋では、展示や古着の販売を行うことも。『本屋はなんでもありだと思って始めた』と森さんは続けます。

森:「あらゆるジャンルのことが本になっているので、本が、ありとあらゆる世界につながる入り口になったらいいなという思いで、『汽水書店』ではなく『汽水空港』という名前にしたんです。」

謎の暮らしをする若者をおもしろがる、町の人に惹かれて湯梨浜町へ

森:「お金を理由にやりたくないことをやらなきゃいけない状況は嫌で、ヒッピーカルチャーやパンクスのアナーキズムに影響を受けてたんです。『自分の生存圏を自分で確立できれば大丈夫なんじゃないかな』という作戦で、自分が食べるものを作れるように農業の修行に行きました。」

一年目は有機農家の住み込み研修を、その後、アジア学院でボランティアスタッフとして滞在していた森さん。アジア学院の滞在期間を終えた後は、素人ジャーナリストとして自分の気になる問題が起きている場所へ行き、取材した内容を小冊子にまとめて配りながら旅をし、辿り着いた先で本屋を開く計画をたてていました。

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森:「最初はあてもなく京都に行って、鴨川の橋の下で寝袋敷いて寝てたんですよ。土地も家も簡単には見つからなくて、京都に滞在し始めて二、三ヶ月が経った頃に、知人から『鳥取県に家賃一万円で田んぼと畑付きの土地があるけどどう?』と物件を紹介されて鳥取にきたんです。」

車も仕事もない状態で移り住み、ただポツンと集落で暮らしていた森さん。集落の人たちの目もあり、居づらい状態だったそんな時、転機が訪れます。

森:「『YOUは何しに鳥取へ?』みたいな目で見られていたことが居づらかったので、もう少し土地探しをしてみようかなと思っていたんです。その時に、現在『たみ』というゲストハウスを運営している人たちと出会い、『たみ』がちょうどできるタイミングで、『シェアハウスの住人募集してるけど住んでみない?』という話をしてくれて。」

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森:「この町に遊びにきたら、彼らもセルフビルドで小屋を立てて暮らしてたんですよ。それを町のおばちゃんたちはおもしろがって見ていて、その様子がすごく良く見えたんですよね。謎の暮らしをする若者を怖がらない感じがすごく良くて、2013年からこの町で暮らし始めました。」

数ヶ月滞在して、この町で本屋をやることに決めた森さん。とにかく家賃の安い物件を紹介してもらい、借りることを決めたのは古い車庫でした。

森:「柱がぷらぷら浮いていたり、家賃は安くても、当時の自分には大工のスキルも知識もなかったのですぐに本屋は始めれなくて。まずは、ここにあった大量のがれきや瓦を片付けながら、"この腐った柱をどうやって交換すればいいんだろう"と悩みながら暮らしていました。」

そんな時に、倉吉で左官をしている人に知り合い、建築のことを勉強するためにバイトをすることになりました。

森:「その人のところで働くようになってようやく生活が少し安定して、とはいえ週に6日左官屋で働いていたので、休みの日に改装していると二年、三年と時間がすぎてしまって。ようやくオープンできたのが2015年の10月です。」

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オープンしたのはいいものの、誰も来ない日もあり、『このままおじいさんになってしまうんじゃないか』と絶望した時期もあったと、苦しい時期を振り返ります。

自分の人生を上手くコントロールできなかった時

森:「畑もやってるし食費はかからない。家賃は5000円だし、生きてはいけるんですよ。死にはしないくらいの収入はあるんだけど、新しく自分がやりたいことを展開するだけの資金も得られず、オープンして半年経ったくらいの時にバイトを始めるんです。」

バイトをする時間は徐々に増え、お店を開けるのが土日だけになってしまいます。『あまり良くないけど、バイトをしないとしょうがない』ーーこの時は、"自分の人生を上手くコントロールできない状況"だったそうです。

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森:「この状況を打破するために、隣にあった空き家も安く借りることにしたんです。広さもあったので、店番しながらモノを作る作業場があり、本もたくさん置けて、イベント時にお客さんもいっぱい入れる状態を作ることができたら、店も運営していけるんじゃないかなと思って、改修工事を始めたんですよね。」

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しかし、その矢先に起きた2016年10月の鳥取県中部地震。家もお店も傾き、直すお金も捻出することが難しく、元どおりに営業できるほどのモチベーションもないほど追い詰められました。

森:「これを機に、一度お店を閉めることを決めました。その間に結婚し、いま暮らしている家を二人でコツコツ直しながら畑をしているうちに、少しずつ元気になって。お店の隣に増築することはできないけど、奥行きを増やすことはできるなと考えました。奥行きを増やせば40人くらいお客さんを入れることができるし、店としても可能性が広がるんじゃないかと。」

『だったら、もう一度店をやれるんじゃないか』と、増築工事を始めてリニューアルオープンしたのが2018年の7月でした。

森:「そんな感じでずっと物件をいじりながら、やってみては壁にぶちあたり、今年一年は建築現場ときこりをやっていたけど、もう少し外で働く割合を減らして、自分たち名義の仕事で行かなきゃねっていう状態が今って感じですね。」

"24時間戦えますか?"に芽生えた、会社員への抵抗感

3歳から会社員になることへの恐怖心が芽生えてしまったと話す森さん。その理由とは?

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森:「ちょうど3歳の時にサラリーマンが栄養ドリンクを飲みながら、『24時間戦おうぜ!』ってメッセージのCMがあったんですよ。それを見て、隣にいた父に聞いたら、『そうなんだよ』って言うから『ヤベー、会社員怖いな』みたいな気持ちが芽生えてしまって、3歳から自分の将来に悩み始めたんですよね。」

『勉強した先に地獄のサラリーマン生活が待ってるだけだと思うと、勉強する意味もわからなかった』と語る森さん。そんな時に本を好きになる出来事がありました。

森:「悩んでいた時に学校の図書館に行っていろんな人のエッセイを読むと、自分の悩みに共感を示してくれる大人が書いた文章にたくさん出会ったんです。身近に自分の悩みや考えていることを話せる大人や友人がいなかったとしても、歴史上の人が本という記録を残していて、その記録の中に自分を励ましてくれるような内容が書かれていたり、共感できる悩みを抱えていたり、本が人に見えてたんですよね。いろんな人がいるみたいな、そこから本が好きになって。」

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大学時代が自分の人生を決める最後の猶予だと思い、とにかく放課後に一生懸命、ありとあらゆる場所に行っていたそう。

森:「いろんな場所に行っていたのですが、結局本屋に行くことが増えて。当時よく通っていた本屋がワークショップをしたり、映画の上映をしたり、その本屋で出会った少し異様な大人たちにいろんなことを教わって、そこで初めて学ぶ喜びを知ったんです。」

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森:「本屋は受験も授業料も必要ない。そこにはありとあらゆる人が集まっていて、いつの時代もどんな場所にも、人間が学んでいける場所は必要なんじゃないかなと思って。自分もその中にずっといたいし、そういう場所を運営できたらすごくいいなと思ったので、本屋を目指し始めたっていう感じですね。」

『自分が"こう生きたい"という意思があればそのやり方を知るのはすごく楽しくて、それこそが"学び"なんだ』と気づいたことで、『学校の勉強ができなかった自分でもやれるということがわかった』と森さんは続けます。

森:「自分にとってそのことがすごく嬉しかったし、絶望しちゃってる学生も、25歳過ぎて屋根の角度を出すために三平方の定理を学び直して家を建てれているし、いつだって人間は変われるし、やれるぞということも本は示してくれてるんです。」

誰でもいつでも変わる可能性がある

多くの本に囲まれる、汽水空港。中でも、おすすめの本を聞いてみました。

森:「『シェルター』という建築に関する本は1960年代の本にも関わらず、若い自分にもビンビンに伝わるものがあったし、あとはまだ発売されていない『薬草仙人の手帖』。薬草の見分け方や種類など詳しく書かれていて面白いです。坂口恭平さんの『まとまらない人』もおすすめです。坂口さんは一月にここでトークしてくれるんですけど、彼と同じ時代に生きててよかったなあと思いますよね。」

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『いのっちの電話』で死にたい人の相談を受けている坂口恭平さんは、人間が死にたいと思う理由も同時に考察しているのだとか。

森:「坂口さんは死にたいということは何かを産み出したい、けど産み出せない産みの苦しみかもしれないと言っているんです。電話をかけてくる人は、何かしら作家活動をしている人が多いらしくて、自分の中に沈殿していくものを上手に表現できないことが死にたいという気持ちに繋がってるんじゃないかと考察をしていて。」

死にたいと言う人に表現をすることを促す坂口さんを見て、『物を作るような能動的な行動は希望だと思う』と森さんは感じたそう。

森:「人類は誕生してからずっと物を作ってきたけど、現在は作れないという状態。それが絶望につながっているような気がしていて。今はお金を払ってなんでもプロに頼んでしまう時代じゃないですか。自分の好きな人はみんな、作るということを促している人が多くて、しかも、作るということをプロじゃなくてもやっていいんだよと後押しをしてくれている。『シェルター』もそうだし坂口さんもそうだし、『汽水空港』はそこを伝えていきたいんですよね。」

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何においても、消費者マインドを壊したいと森さんは言います。

森:「誰でもいつでも変わる可能性があるのは希望だと思うし、その可能性の中に自分もいたい。自分も過去を思うと無知だった時もあるから、いつでも学んで変わっていける状態でいたいんです。家を建てられる人、建てられない人っていうのも本当は曖昧なんですよ。明日なら建てられるかもしれないし、はっきり海水とか、はっきり淡水とわかれるのではなく、グラデーションの中にいる。それが汽水なんじゃないかと思うんです。」

課題は、絶望の種ではない

森:「生きていく上で必ずしも必要ではないのだけれど、映画が好きだから映画館に勤めてるとか、本が好きだから本屋をやる、古着が好きだから古着屋をやる、需要を無視して、でもやっちゃってる人がいまはまだいるんです。」

そういう人たちが店を続けるためにどうしたらいいかという課題があると森さんは続けます。

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森:「課題の解決策の一つとして、映画館だったら映画好きの近所の人が『この映画を上映してくれたら100人集めます』みたいなやり方もあるかもしれない。東京や大阪に行くと若者も多いし、本屋や映画館が成り立つことに不思議はないけれど、鳥取県の町でやってると、どう成り立たせるのかという知恵が試されるんです。」

鳥取県は都市部がいずれ直面する課題を、一足先に迫られているのが現状。ですが、森さんは『それは絶望の種ではない』と続けます。

森:「課題に迫られてしまっているということをむしろ楽しんで、この課題をどうやってクリアしていくかというのをいま試しておけば、数十年後の東京の人とかにも何か知恵になることとか実例として示せる可能性があるし、そうやって不利な状況をおもしろがる。」

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森:「京都で出会ったフランス人夫婦から教わった姿勢なんですけど、課題をカジュアルに捉えているんですよ。どうやってクリアしようかなって。鳥取って人口60万人くらいしかいないし、知り合おうと思えば全員と知り合える。だから色々試しやすいっていうのはあると思いますし、そんな感じでおもしろがってますね。」

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たとえ迷うことがあったとしても、急いで白黒つけないで、間を揺らぐ時間を楽しもう。大丈夫、きっと見つかるから。なんだか、そんな言葉をかけてくれているようで、"今のままでいいんだ"という安心感とそっと背中を押す優しさを感じました。

すぐに解けない問題にぶつかったとき、迷うとき、何だか力が湧かない。あるいは、新しい自分と出会ってみたい。そんなときは、鳥取県湯梨浜町にある汽水空港へぜひ、着陸してみてください。

汽水空港:https://www.kisuikuko.com/

文・撮影:米泳ぐ(森田 悟史/河津 優平) 編集:藤吉 航介

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