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アフターコロナのコミュニティ運営:ROMが増える5つの理由

※この記事は2020年に書いたものをお引越ししたものです。

先日とあるコワーキングスペース運営者の方とのアフターコロナでのコミュニティについてROMの話題が出ました。

お酒も入ってたのでダラダラ話してしまったのですが、今後の研究の種になりそうなのでちょっとまとめておこうかと思います。結論から書くと「参加と実践のデザイン」がより重要になる、ということなのですがなんのこっちゃわからんと思うので順を追って行きます。

※私は実践共同体という理論の研究者です。平たく言うと、みんなで協力して一つの物事を突き詰め、習熟していく人たちのコミュニティのことです。詳しいことは過去の記事に譲ることとして、そういう存在が経営(学)的にどのような意義があるかを研究しています。

なので、一口にコミュニティと言っても非常に解釈の幅があるため、あくまで私の立場(実践共同体の視点)からコメントしているものとしてご理解ください。


WhyとWhat:何のためのコミュニティか?

まずコミュニティという単語の解釈の幅が広すぎるので、私の視点を明確にしておきます。

Wenger, McDermott & Snyder(2002)においてコミュニティ(実践共同体)は次のように定義されています。

あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団

つまり、やWhy(関心や熱意)とWhat(知識や技能)という2つを相互交流という手段(How)で深めるような活動をしていなければコミュニティ(少なくとも実践共同体とは)とは呼べない。ただの人の集まりです。

したがって、我々のWhyとWhatはなにか? が明確に回答できないと、いくらHowを説いても無駄になるということです。これはコミュニティがオンラインにあろうがオフラインにあろうが同じことです。

アフターコロナに向かう現時点の世界では、人々は無自覚に持っていた人とのつながりを喪失していくことを実感しています。職場での何気ない雑談とか、飲み会とか。そんな中で、「今こそコミュニティが大切だ」という話になる(なってる)でしょう。毎夜開かれるzoom飲みやオンラインイベントはその走りだと考えています。今後そこにWhyとWhatがあるコミュニティは活動の幅を広げるでしょうし、そうでないものは「ただの人の集まり」以上の意味を持たないだろうと思います。

※誤解してほしくないのは、別にただ集まってzoom飲みすることをダメだと言っているわけではないです。あくまでその後にある、コミュニティとしての運営の話ですよ。

How:参加と実践のデザインがなされているか

WhyとWhatがあって初めてHowの話ができます。私がコミュニティ運営の相談を受けた時にまず話すのは、「参加と実践のデザイン」をすることです。

ここでいう実践とは「何かが生まれること」であり、形式知でも暗黙知でもOKです。そして、これを生み出すための活動が「参加」です。そこらへんの話は結構前にこちらに書きました。

自発的なメンバーが増える! やる気が芽生える「取り組み方のデザイン」
https://note.com/omotikuazu/n/n7cdb520d993e

なので、どうやって参加を促し、それを実践として形に残すかをデザインする事が非常に重要なわけですが、この辺の話になると「週に一回のミーティングをしてブレストします」みたいな話が出たりします。しかしコミュニティには多様なレベルの人がいますから、本当にそれでみんなが「参加」できるのか? という話になります。また、ある人から「うちのコミュニティには偉い先生がいるから、いろいろ教えてもらってるんだ」ということを自慢気に話された事があったのですが、それはもう「参加」を放棄していると言わざるを得ません(もうそれ、その先生の個人サロンやん)。このあたりはオンオフ関係なくコミュニティ運用で気にするべき点です。

アフターコロナの世界では今のオンライン前提の流れは不可逆的なものだという見方があちこちで出ています。コミュニティ活動の多くもそれに倣うかもしれません。そうなるとより一層、いかにメンバーを「参加」の渦に巻き込んでいくかということが問われます。

コロナ以前は顔を合わせる中での何気ない雑談や、「先輩の行動を見て学ぶ」ような参加の有り様も考えられました。しかしオンラインになることでそういった無意識的に行われていた参加形態は失われるので、より一層リーダーやコーディネーターがケアしていく必要があると考えられます。

ROMが増える5つの理由

参加にあたっての問題はそれだけではありません。インターネット黎明期からROM(Read Only Member)と呼ばれるように、「参加しない参加者」は一定数いました。Preece, Nonnecke & Andrews (2004)はその理由を5つ挙げています。

投稿する必要を感じない

調査対象のROMのうち53.9%が「見てるだけで十分」だと答え、21.5%は「書き込めって言われなかったから」と答えています。彼らはコメントすることでなにかにコミットすることや、自分のコメントに何を言われるのかを恐れていると考えられています。

その対策としてPreeceらは1.参加を歓迎する明確なメッセージを掲げること。2.モデレータによる動機づけを行うこと。3.貢献度合いに応じた報奨を用意すること。4.ROM自体がコミュニティを知るための良い方法と考え、サポートすること。などを挙げています。

まだアウェイ感が強い

特に新しく参加した人たちは、コミュニティのことをよく知りません。そのため、誰がよく発言しているのか、どんなやり取りが行われているのか。新人はどんなことを言われるのか、という雰囲気をよく観察しているとされています(リアルと同じように)。そのため、既存メンバーは彼らに声をかけ、コミュニティについてのガイドツアーをし、メンバーのことがわかるようなWEBページを案内するのが役に立つとされています。

自分の投稿が迷惑だと思う

テキストのやり取りが長くなったり、多数のスレッドが乱立する中で自分が何かを発信することがノイズや混乱のもとになると考える人達もいます。彼らは基本的に利他的な人たちであり、発言しないほうが有益であると考えています。しかし、誰かが議論を仕切ってしまっている時にどれくらいの人が賛成かを知ること、あるいは異なる意見を聞く機会は非常に重要です。意見に対する投票機能を使ったり、ある議論について概要や詳細を見やすくするよう改良することなどが指摘されています。Slackなどであればうまくリアクションの絵文字を使うなどが該当しそうですね。

ソフトウェアが使えない

Preeceらの調査は専用サイトなども対象にしたものだったのでその設計などが議論されていますが、現在においてもzoomが使えない、Slackを使ったことがないという人は多いでしょう。いつの世も誰もが使い慣れたツールというものは存在せず、誰かにとってはそれが参加の障害になりうることを常に意識しておかなくてはいけません。

そもそもそのコミュニティに合わない

根本的に性格がシャイで肌が合わない。匿名性を維持したい。そもそも間違ったコミュニティに入ってしまった。何かを言ったら攻撃されるのではないかと不安。コミュニティのレベルが低かった。こういった理由でそもそもコミュニティに馴染めない、あるいは参加するつもりでない人たちもいます。

アフターコロナの世界にあるコミュニティ

Preeceらの調査は少し古く、対象もBBS(って今通じるんかな。掲示板ね)なので今とは少し状況が異なることは踏まえて置かねばなりませんが、人の心理としてこの5つの要素は参考になるかと思います。

では具体的に今の話をすると、オンラインコミュニティはどんどん「高速化」しています。もともとツールによるコミュニケーションの高速化が進んできました。メール・掲示板という非同期のツールから、チャットになり、そして今は動画によるテレカンも当たり前になっています。

同時に、オンラインコミュニティに求められる実践の速度も上がってきています。それは特にこのコロナショックによって顕著になるでしょう。リアルでやっていたのと同じくらいのコミュニケーション速度、アウトプット速度が求められるようになるからです。そこではもはやオンとオフの区別は意味をなさず、社会的・経済的構造として「速い」ことが当然になっていくと思われます。

スピード感を求められる動的な世界では、発言するつもりがない人は排斥されるかもしれません。アウェイ感を感じる人が、じっくりとそのコミュニティに馴染んでいく時間はぐっと少なくなるでしょう。良かれと思って黙っていた人も、役立たず扱いされるかもしれません。ソフトウェアが使えない人は「今どきそれくらい」と思われるかもしれません。ここは合わないなと思う人は次々に去っていくでしょう。

このようなシナリオはすべて、目に見えることだけでコミュニティとそこにいる人達を判断する結果です。しかしすでにPreeceらの調査で見たように、彼らは参加していないように見えて、うまくできていないだけかもしれないのです。「オンラインでもオフのときと同じように気を遣え」というのも大切ですが、それでは属人的で刹那的な対応になります。だからこそ、「参加と実践のデザイン」という仕組みへのアプローチがことさら重要になるのが、これからのコミュニティ運営になると感じています。