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息子から母を思う(それぞれの無縁坂)

 現在も活躍中のシンガーソングライターのさだまさしさんは、デビュー当時「グレープ」という2人組のフォークディオとして活動していました。

 そのグレープ時代の代表作の1曲として、「無縁坂」という歌があります。


 これは、さだまさしさんがご自身のお母様のことを歌ったもので、当時はこの曲のために「マザコン」と言われました。

 たしかに、私も自分の母のことを歌うというのは、ちょっと恥ずかしいという気持ちになります。

 しかし、この歌を聴くと、子供がいるお母さんはもちろん、母を思う子供の気持ちが心の琴線にふれ、涙する人も多いのではないかと思います。

 さだまさしさんのお母様の佐田喜代子さんも、「永き旋律」という著書の中で、大変嬉しかったというような内容を書かれています。

 先日、私の「端午の節句と親の恩」という記事に、初めてコメントをくれた、たぬおさんという方がいました。

 そのコメントには、爺ちゃん、婆ちゃんに自分が子供の時、ずいぶん可愛がってもらった。そのお礼を伝えることなく、亡くなってしまったということが書かれていました。

 私は、そのコメントに感銘を受け、たぬおさんの記事を読んでみました。

 その中に、こんな記事がありました。

 ご自身のお母様と相方様に向けて書かれた感謝の記事になっています。 

 お父様のことは、別の記事に書かれています。インパクトのある写真を載せられています。「おもいっきり昭和ヤンキーだが、優しすぎた男」だそうです。

 お母様は、い草を生産する農家の娘さんでした。いい所のお嬢さんだったお母様がなぜ、鬼ヤンキーのお父様と結婚されたのかは謎だそうです。

 その、お母様が、「家事の神」と言われる、スーパーハイスペック母ちゃんでした。

 たぬおさんは、男ばかり3人兄弟の長男でそれぞれ曲者ぞろいだったと言います。お母様はお父様も含め、4人のヤローを従えます。

 お母様は、朝は3から4時くらいに起き、新聞配達をして、朝食、昼食を拵え、昼はパートに出て、家事も完ぺきにこなし、うますぎる夕食を作る。そんな人だったそうです。

 たぬおさんは、そんなお母様を見て、女性はそれくらいするものだと思ってしまったみたいです。

 若いころ、同棲していた彼女に同じことを要求してしまい、ケンカが絶えなかったと反省されています。

 同じ男として、私もこれはよく分かります。男にとって、女性の原型というのはやはり母親になります。

 自分の彼女とか妻は、母親とは違う人です。でも、やはり、母親の面影を求め、同じことを要求してしまう。そんなところがあると思います。

 私のことになりますが、私の実家は、農業をしており、母は隣町の同じく農家から嫁いできました。

 父の母である、私の祖母は結構強烈な人で、嫁姑の争いは絶えなった記憶があります。

 私は5人兄弟ですが、母は、姑に仕え、農業、家事、5人の子育てと毎日が奮闘の日々だったと思います。

 たぬおさんのお母様と同じく、私の母もすごい母ちゃんであったと、今更ながらそう思います。

 さだまさしさんは「母は菩薩である」と言われます。自分の誕生日は、産んでくれた母に感謝する日であるとも。

 私は、たぬおさんのことは、コメントを頂くまで存じ上げなかったです。しかし、母の日の前に、たぬおさんからコメントを頂いたのも何かの縁かもしれません。

 誰でも母はいて、それぞれの無縁坂があります。たぬおさんのお母様と相方様に対する思いに共鳴し、皆さんに紹介します。

(冒頭の写真は花が赤色のハナミズキです)

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