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私と吃音について⑭(恋愛と結婚‐下)

 妻へのプロポーズは、付き合いだしてから1年後くらいにしました。

 妻と電話で話している時に言ってしまいました。(当時は、「ポケベル」が主流で、携帯が普及しだしたのはもう少し後です。)

 その後、両家への挨拶をしました。

 先に、東京の私の実家に連れていきました。

 私の両親は、ことのほか喜んでくれました。両親は、私が嫁さんを見つけられるタイプではないと、思っていたようです。父親からは、私が就職した頃から、早く見つける様にうるさく言われていました。(笑)

 次に、京都の妻の家に行き、妻のお父さんと話をしました。

 お父さんは、私が結婚の話をしないように、はぐらかしているようでした。(笑)

 私が、結婚の許可をお願いしたときに、私は気づかなかったのですが、横で見ていた妻は、父親が涙ぐんでいたことに気づいたそうです。

 (私ももうすぐ、その立場になるかもしれません。)

 結局、その時は、明確な回答はもらえませんでした。

 後から聞いたのですが、お母さんは、かなりあと押ししてくれたようです。

 その後、結婚してよいということになり、準備を始めました。

 結婚式は神前で、披露宴をするホテルで行うことになりました。

 私にとって、難関は「誓いのことば」を言わなければいけないということでした。

 内容は、忘れてしまいましたが、400字の原稿用紙1枚分くらいの量でしたか。

 妻に見てもらって、それを読む練習をしました。

 また、当時は恋愛結婚であっても、誰かに仲人をお願いするのが一般的でした。

 私は会社の上司にお願いしましたが、その時は両家の両親も一緒に行き、おおげさな感じになってしまいました。(笑) 今は、そんなのはいらないかなという気がします。

 結婚式は1996年の3月9日に京都で行いました。

 懸案の「誓いのことば」は、なんと、すらすら言えてしまいました。

 私は、これが終わったことで、気が抜けてしまいました。その後の披露宴は、リラックスして臨めました。

 私の出身大学では、結婚式の時、「大根おどり」をするという伝統がありました。

 両親から大量の大根を式場に送ってもらい、同じ大学の仲間と一緒に「大根おどり」をしました。

 大根は「縁起物」として、出席者に配りました。

 出席者にはこれが1番うけました。

 他のことは忘れても、「大根おどり」は忘れないと言われました。(笑)

 さて、この私と吃音についてのシリーズも⑭まで書いてきました。

 結婚してから、現在まで、24年間ありますが、一応このシリーズはここで締めにしたいと思います。

 ここまで、読んで頂いた皆様、ありがとうございました!

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