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因幡のしろうさぎは何色か

因幡のしろうさぎは何色か

 古事記の記述によると、「因幡のしろうさぎ」の「しろ」は「白」ではない。この場合の「しろ」は「素人」の「しろ」。すなわち「因幡の素うさぎ」なのである。
 そして「素=しろ」とはどういう意味かというと、「素っ裸」の「素」である。すなわちこの場合の「しろうさぎ」は「素っ裸のうさぎ」なのである。
 なぜ「素っ裸」なのかというと、ワニに毛をむしられ皮を剥がれたからである。この場合の「素っ裸」は「服を着ていない」という意味ではなくて、むしろ血みどろの素っ裸なのである。古事記にそう書いてある。
 ところで、この場合の「ワニ」は熱帯に住む爬虫類のワニではない。古代の日本にそんなものがいるわけない。では「ワニ」とは何者かというと、今でいうところの「サメ」である。すなわち「ワニ」はかつては「サメ」を指し、今では爬虫類の「ワニ」を指すのだが、どっちにしても獰猛で危険な動物だ。というわけで、このうさぎは「サメに毛をむしられ皮を剥がれて素っ裸になった」のである。
 かくして「因幡のしろうさぎ」の色はというと、全くもって「白」ではなくて、むしろ「ピンク」に近い色だったに違いない。ピンクのうさぎは自然界には滅多にいそうにないが、今どきのアニメにはしばしば登場する。しかし「なぜうさぎがピンクなのか?」と考えると、そこには私たちの深層心理が働いていると思わざるを得ない。古事記が培った感性である。

 ここから先の古事記の記述は、私たちがよく知っている昔話や絵本に書かれているのと同じ物語である。
 なぜ「うさぎがワニ(=サメ)に皮を剥がれたか」というと、沖の島からワニ(=サメ)の背中をつたって陸に渡ろうとしたからである。うさぎは賭けに出たのだ。その結果、渡ることには渡れたが、その代償として大きな傷を負ったというわけだ。
 そんなうさぎに大国主の兄たちは「塩水で洗って日干ししろ」と言った。うさぎがその通りにやったら、傷がさらに悪化した。その後で大国主が「真水で洗って蒲の花粉を振りかけておけ」と言った。うさぎがその通りにやったら、良くなった。そういう物語である。

 先日山陰地方を旅した。鳥取県因幡地方に白兎(はくと)海岸がある。古事記の記載では「稲羽ノ素兎」だから、「因幡」という地名はおおよそ合っている。大国主が今の島根県出雲地方から旅に出たときの物語だから、距離感も合っている。けれども「白兎海岸」というときの色に関してはズレていると言わざるを得ない。

うさぎ

 左の写真が「沖の島」。ここからうさぎがやってきたということになっている。実際には泳いでも十分渡れそうなくらいの近さで、引き潮時には岩伝いに渡れそうで、その光景はいかにも「ワニの背中伝いに海を渡る」ように見えるだろう。
 右の写真は「白兎(はくと)神社」。はっきり「白」と書いてある。でも上に書いたように、古事記の記述に従うなら「素兎」でなければ合わない。

 鳥取県内各地で「因幡のしろうさぎ」にちなんだうさぎの形を模した饅頭を売っている。さて、その色はというと、白とピンクの2種類があった。地名優先なら「白」、古事記の記述優先なら「ピンク」、そういうことで両者並び立つように配慮した結果なのだろうか。
 もちろん白とピンクの組み合わせには、かわいいとか、色合いがいいとか、めでたいとか他の理由も考えられる。けれども私は「因幡のしろうさぎ」のうさぎの色はピンクでなきゃいけないと、とことん主張したいのである。

海水と真水、身を清めるならどっちだ?

 童話でも有名な「因幡のしろうさぎ」の話は古事記にもほとんど同じ話が載っている。

 沖の島に住んでいたうさぎは、海を越えて出雲の地に渡るために、サメに嘘をついてサメの背中伝いに渡ってきた。ところが嘘がバレて、サメに毛をむしられ皮を剥がれる大怪我を負った。
 その場所に大国主の兄たちが通りかかって、うさぎに言った。「塩水で体を洗え」と。その通りにしたうさぎは、なおさら皮膚がヒリヒリしてますます悪くなった
 次に大国主がやってきて、うさぎに言った。「真水で体を洗え」と。そうしたらやがて良くなった

 ・・・そういう話である。ところで、うさぎがやってきたという「沖の島」だが、古事記には「淤岐嶋」と書いてある。「おきのしま」と読むのは間違いなさそうだが、その場所は具体的にどこだろう? 一般的な言葉としての「沖にある島」なのか、現在の出雲の沖にある「隠岐の島」なのか、あるいは今年2017年に世界遺産になった福岡県の「沖ノ島」なのか。
 そういえば、世界遺産の「沖ノ島」に上陸する前に必ず「海の水で身を清める」。テレビで沖ノ島の紹介をする度に必ずと言っていいほど出てくる話なので、ご存知の方も多いだろう。ところで、この話、大国主の兄たちが言った「海水で体を洗う」のと同じだ。
 ところで、古事記神話にとって最も大事な神社は伊勢神宮だ。伊勢神宮では、すぐ横を流れる五十鈴川の「川の水で身を清める」。大国主が言った「真水で体を洗う」のと同じだ。
 神社にお参りする前に、あるいは神域に入る前に水で身を清めることを「禊(みそぎ)」というが、古事記の「因幡のしろうさぎ」のくだりで「2種類のみそぎを比較」していると読めないだろうか。つまり、

 海水でみそぎをするなんて、大国主の兄たちも沖ノ島の連中もバカみたい。私たちが伊勢神宮でしているように、真水でみそぎした方が良いに決まってんじゃん。
 沖ノ島をはじめとする海の政権はもう終わり。これからは私たち陸の政権の時代だからね。

 うさぎの話にかこつけて、暗にそういうことを言っているんじゃないのかなぁ、と私は思うのである。

 似たような話がもう一つある。「海彦・山彦」の話である。

海幸彦・山幸彦はどちらが浦島太郎か

 先ほどの「因幡のしろうさぎ」に続いて、今度は「海彦・山彦」の話。どちらも古事記の中に入っている物語だが、同じようなテーマが流れている。

 ところで、昔話「浦島太郎」の解釈 はまったく異なるものになる。それは今風に読んでもとても面白い。とても腑に落ちる話である。

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