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18歳が友人のInstagramを見て大切なコトに気づけた話。


Instagram、Twitter、TikTok、YouTube、このnoteだって SNS。
皆さんはどんなSNSにどれだけの時間を費やしていますか?そしてそれを見てどんな感情を抱きますか?

私は18歳です。
大学へ通っているわけではなく、社会人として仕事をしているわけでもなく、家で家事をしているわけでもなく、アルバイトもせず!
ただ日々を実家で過ごしています。
恐らく多くの人はこう思うでしょう。 

「普通じゃない!」「変!」「ニートじゃん!」             

と。
そうです。普通ではありません。ニートです。

そんな普通から外れている私ですら、SNSの影響でめそめそしたり、ぷんぷんしたり、にこにこしたりしてしまうのです。
同じ土俵にすら立っていないのに、いつの間にか張り合おうとしているのです。

それでは、本題ですが、

これから私が高校時代の友人のInstagramを見てめそめそし、
それから当たり前を超えた大切に気づいた話をします。


私は週に一度精神科へ通っています。
そこで私は沢山の悩みを主治医と共に解決させてきました。
これは、主治医と私のお話です。


私はとある日、先生に言いました。

「また、大学病にかかってしまった」と。

(大学病というのは私が勝手に考えた名で、
“大学へ行かなければならない”と言う焦燥感故に精神が不安定になってしまうことをさすのです。)      

続けて私は言います。

「大学へ通っていて、サングラスをかけて、唇に真っ赤なリップを塗って、海で遊んでいる子の写真をインスタで見ると幸せそうで羨ましいとおもうの」と。                
息継ぎをせずに、うつむきながら。

そうすると先生は呆れたように、それからちょっと挑戦気味に、
「じゃあジャージャー麺さん、今から自分の学力に合った大学にすぐさま入って、口紅をベッタベッタ塗って、浜辺でウェイウェイやればいいじゃんよ。何でやらないの?」と言います。
息継ぎせずに、でも私の目をしっかり見ながら。

私は少し考えた後、やっと気づきます。
その写真は幸せそうに見えるだけで、
私自身の幸せではないということに。      
そして私は先生に向かって
「だって、それ、私には楽しくないもん…」
と蚊のような声で言います。

そうすると先生は
「そういうことっ」と言うのでした。


診察室を出て、私は反省しました。

だって私は、

『私の幸せ』と『インスタ越しの誰かの幸せ』は同じではないという当たり前のことを忘れていたから。

今時、SNS上でずっと誰かと張り合っている気がします。それは私だけじゃないはず。 

他者と比べて自分が優れていると感じた時に覚える優越感を本当の幸せと呼ぶのだろうか。と私は疑問に思います。


ならば、私にとっての幸せは何だろうか?
考えました。私。

皆様、「ニートの幸せはなんだ?!」と聞いてください。私は堂々とこう言います。

『私の幸せ』は
昼寝から起きたら、夕陽が差し込んでる時だったり、
削れたネイルを直している時だったり、
読み終わった本を本棚にしまう瞬間です!

と。息継ぎせずに。

もちろんいつまでも父や母が養ってくれるわけではないということを理解しています。
でも、私の幸せって案外、大金を必要としないひっそりとしたモノだったのです。

皆さんは
自分が本当の豊かさや幸せを感じる瞬間はいつか答えられますか?

SNSは当たり前を忘れますが、
私は今回、自分で思考すれば、SNSは当たり前を超えた先にある大切なモノを教えてくれるツールにもなりうると学べました。

長くなりましたが、
ここまで読んでくれてありがとうございます♪



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