命を燃やして表現することの価値
いったい自分は何のために生きているのか。そんなことを考えることが以前より増えたような気がします。
月一のペースで勉強会で登壇するようにしているのですが、なぜそんなことをしているのでしょう。金になるわけでもない。休日は潰れる。誰かに褒められるわけでもない。だけどやる。
最初は「アウトプットは大事」という盲目的な信仰に従っていたように思うのですが、最近はそうでもないと思います。自分の考えを発表することで、日常のフラストレーションを発散しているのだと思います。
「自分はこう思う!」という強烈な表現欲求に駆り立てられているような気がします。ノウハウを共有しようというより、信念を発表する場に近いのかもしれません。
以前、ラグビー日本代表ヘッドコーチの方も言っていたのですが、人前で話すということは行動の質を高めることに繋がるのです。発言することは決断するということに他ならず、すなわち決断力を高めることです。
強烈な発信の欲求、信念に従うことの欲求、これらが根本にあります。「自分の信念を掘り下げて、どこまでも掘り下げて、突き抜ける。そこに本当のカタルシスがある。自己実現がある。
命を懸ける価値があると思います。命を燃やす価値があるものは、いつも全身全霊で挑むそのときだけです。命を燃やしましょう。中途半端にやらない。人生を懸けて臨むべき行動がそこにはある筈です。
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