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嫌いなタイプ/好きなタイプ

「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!」とルフィに似た誰かに
言われそうだが、ふと書きたくなったので記しておく。好きなタイプも書く。


・嫌い


傲慢な人間

苦手ではなく嫌い。能力があるとかないとか関係なしに嫌い。僕自身にもそういう部分が多少なりともあると認識しているが、傲慢に見られるように意図して振舞っているわけではない。無意識で傲慢だとなお悪いか。同族嫌悪などではなく、うまく言葉にできないが傲慢な人間をみると本能が拒否する。

傲慢な人間は何かに秀でた部分があるのかなと思いつつも、努力をしたのか運が良かったのか外からは判別がつかないので、好き勝手に言わせてもらうと、たまたま良い環境に生まれただけかもしれない人間が調子にのっていると運命は残酷だなと思う。

周囲に傲慢であることを求められているのを知ってか知らずか、自分に利益があるからそういうキャラクターを演じているだけの人がいるかもしれない。ただ、何か人に誇れるような実績があるにしても、他者を見下したり、自分は人よりも優れているといった態度をとっている人間はいただけない。頭の中で勝手に思っている分にはまだいいが、それを明確に表に出したりしている人間(特に立場のある人間や選民思想色が強い人間)をみると嫌悪感を抱く。嫌いだ。

※少し補足
足掻きを感じられる傲慢さはそこまで悪くはないかも。

人の心情を勝手に察して価値観を押し付けたりアドバイスという名の独りよがりな言葉をかける人間

言葉をかけられた側が相談したり、アドバイスを求めたりした場合はまだいいのだが、一方通行のものは最悪だ。自分の欲求を満たすためだけに他人の心情を利用しており、そのような状況を嫌悪する自分がいる。こういった場面はSNS上に氾濫していることだろう。僕の想像ではあるが、押し付けをする人間は、大体が敬われたり称賛されたい、人の役に立ちたい(利己的な理由によるもの)という承認欲求があると思われる。これも押し付けか。

僕が直接何かを体験したわけではないが、仮にそのような状況に陥った場合は、より心を閉ざすことになる。こちらも傲慢な人間に通ずるところがある。

書いていて自分にも刺さるところが少しはあるかもしれないと反省している。

・苦手

達観や悟りの境地に至っている風な態度をとる人間

自分何でもわかってますよ、何事にも動じませんよ的な雰囲気を出していると、何様なのだと感じる。もっと人間らしく足掻こうぜ。人間らしくって何だ。足掻く様子を人に見せる必要はない。風じゃない本物は見たことがないので実際に目にすると偽物とは違う印象を受けるかもしれない。


卑屈で必要以上にへりくだる人間

傲慢な人間は嫌いだが、かといって卑屈で必要以上にへりくだる人間は苦手の部類に入る。悩んだり考えに耽ることは結構だが、延々と負の感情に囚われている様子を表に出されるとこちらも気が滅入る。常にポジティブ思考であることがベストだとは思わないが、僕の想像以上に過酷な状況に身を置いている人もいると考えられるので強くは言えない。

独善的な人間

これは会社にいる人を思い浮かべた。顧客や会社のためという大義名分にかこつけて、正論風の言葉を発する人がいる。その人自身は、感情的であったり傲慢な態度ではなくむしろ穏やかな人柄なのだが、その人が発言するとなぜか僕はいつも独りよがりだなと思う。耳障りのいいことを言っているだけで心に響かない。他人を顧みない理想主義者といったところか。

嫌いや苦手な人間に対してはもしかすると嫉妬の気持ちがあるのかもしれない。


・好き


自信家

自信家はいいね。根拠に裏付けがある自信家が一番好きだが、根拠がなくとも自信満々な態度をとる人も結構好き。ただし、傲慢なのはNG。難しいところだ。自信がある人は物事が良い方向に進みやすいと思う。失敗や挫折を経験し乗り越えて、それを自信に変えた人は強い。自己肯定感にもつながる。

打算ではなく本心から人に歩み寄れる人間

僕自身が利己的な部分が結構あるので、こういった人は素晴らしいと思う。僕の好きな言葉に「高潔な魂」というものがある。本心から人に歩み寄れる人物は僕の中では高潔な魂の持ち主だ。相当に希少な人だと僕は思っているので、変に染まらないでいて欲しい。

人に弱みをさらけ出せることができる人間

メンヘラとかかまってちゃんなどでは決してない。人の弱みに付け込んで自分の利を求めるという打算的なものではなく、人を信頼することができる素直な心の持ち主だと考える。また、信頼された相手にも精神的に良い影響を与えると思われる。ただ、依存関係になってはいけない。

癒しの雰囲気を持つ人間

僕が成長しただけかもしれないが、世の中が昔より窮屈になっていると思うので、このご時世癒しを周囲に与えることができる人は大きな力を持っていると言っていいと思う。僕の会社にも、話していると和やかな雰囲気になる後輩がいる。周囲を染めていって欲しい。

好きなタイプは僕とは逆の傾向がある人間だ。やはり人は自分に無いものを求めるのだろうか。

謙虚に生きて行こうと改めて思った。

この記事の内容とはあまり関係ないが、noteに初めて記事を投稿する際に
一人称と文体をどうしようかと考えたことがある。普段の一人称は基本的に「俺」だ。仕事では僕→俺→私の頻度で使う。

「私」はかしこまりすぎていて、「俺」は文章だと若干違和感があったので間をとって「僕」にした。文体はとりあえずこの記事のようなものにした。


以上、俺の嫌いなタイプと好きなタイプでした。

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