結論から話すということ
「結論から話せ」ということはよく言われていると思う。
それが、どんな時でも結論から話すのがよいと曲解され、「結論から申し上げますと〜」というフレーズを使うことで、できる人間っぽさをお手軽に装う演出家が量産されている。僕のイメージと偏見だ。
これは、結論が相手に理解できる、伝わるということが前提なので、(相手にとって)全然結論でない場合は、見掛け倒しとなり自分の印象を損なうだけである。
noteにおいては、「結論を最初に書け」というアドバイスをよく見かける。
ちょっと奇を衒った言い回しだとか、極論・暴論みたいなものであれば、それなりのインパクトがあるので最初に持ってきてもよさそうな気はする。
誰に向かって発信しているのかにもよるが、ごく普通の内容をごく普通に、最初に結論として持ってくるのは個人的には面白くない。
さらに、これもよく言われていることだと思う。文章は料理のようなものだと。
いきなり結論を持ってくる。これは、パイ投げのパイを、来店したお客の顔面にいきなり押し付けて食わせているに等しい。
その前に、ちょっと一息入れたい。店内の様子を伺いたい。何か飲み物が欲しい。
題材が食材だとすると調理過程も楽しめた方がお得だと僕は考えている。
最初に結論を述べる。その後、結論についての補足説明をする。
結論というのは、言うなればメインディッシュだ。断じてデザートではない。デザートはあとがきの部分だ。
初っ端メインディッシュが出てくるので食べる。食べざるを得ない。食べた後に、食材や調理法などの説明がある。もう食べ終わった後なんだけど。
この状態をよしとするかどうかだ。
メインディッシュはなんだろ?と事前にわからない方が楽しみはある。それまでに出てくる文章が読み応えのあるものであればなおよい。
記事を最後まで読んでもらうために、最初に結論を書き、何を伝えたい記事なのか、対象は誰なのかなどを明確にするというのが結論を最初にもってくる意図なのだとは思う。
確かに、この記事のようにメインディッシュが出てくる前に、だらだらと前置きがあると飽きてくる可能性はある。
しかし、僕はそれでいいと思っている。過程を含めて結論付ける文章の書き方の方が、展開として素直だ。未知の部分に面白さを感じる。この一見すると無駄のような部分の方が結論よりも実は面白かったりする。全体の雰囲気を形作っているのも結論以外の部分だと感じる。
実際は、何か結論や主張のようなものが思い浮かんで、その妥当性だとかを補足するために考える方が多いと思う。これは脳内の思考過程の話だ。
noteにおける、メインディッシュ(っぽい)ものは別に一つでなくてよい。
全く題材が違うものが多数混在していると、読む側も混乱するが、あるテーマについて少し派生するぐらいであれば、構わないだろう。
ネタさえあれば(ネタがなくても)、自分で題材を探し、好きなように好きなものを調理する。これがnoteのようなコンセプトのプラットフォームを利用する上での在り方だと思う。
で、結論は?
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